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漱石情報 ①

2016-02-22 10:18:22 | 歌う

               漱石情報 ①

 ♦ しかしながら、しかしながらと呟いて書き続けたのか夏目漱石  松井多絵子

 『吾輩は猫である』の発表から絶筆『明暗』まで漱石が執筆に専念したのは僅か10余年。
しかし1世紀を経た今も、世界の誰もが逃れ得ない「近代」という時代の問題をいち早く指摘した漱石の作品群は、21世紀を生きる日本人のみならず、世界各地の多くの人々の心を捉えています。没後100年。未来に何を残し、何をなすべきか。私たちは漱石の精神を同時代の人として学ぶべきではないでしょうか。 朝日新聞2016年1月1日・岩波書店広告より。

 本日☀朝日新聞文化・文芸瀾に次のような漱石についての記事が掲載されている。

          < 後ろ盾失い辞表提出 >

 漱石は朝日新聞社に辞表を提出したことがある。1911年秋、漱石が痔の手術で入院中、東京朝日社内で紛争が持ち上がり、主筆の池辺三山が辞任する。直接の原因は、漱石が主宰する文芸瀾に古参の記者たちが「主筆は文芸欄を擁護しすぎる」と反発、社内の勢力争いもからんで、大ごとになった。池辺の推薦で入社した漱石は辞表を提出。その頃の日記に鏡子夫人とのこんな会話が残されている。

 「あなたなぞが朝日にいたっていなくたって同じじゃありませんか」「仰せの如くだ」「ただ看板なのでしょう」「看板にもならないさ」。幹部は強く慰留し、漱石は辞表を撤回した。もしこのとき辞めていたら、「こころ」も「道草」も「明暗」も、今の形で残されることはなかっただろう。
                                           (牧村健一郎)

 漱石の『こころ』には漱石の「こころ」が漂っている。~私は今より一層淋しい未来の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなにこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう。~

    生きれば生きるほど淋しいですねえ。     2月22日  松井多絵子

 


 

 

 


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