ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Mercy,Mercy,Mercy Ⅱ

2007-07-13 02:28:25 | Weblog
キャノンボールアダレイのグループは'60年代にアメリカで商業的に最も成功したグループだと言われている。アダレイ兄弟は秀才で博識だ。特に兄は人を見る目があった。そしてピアニストにヨーロッパ生まれのジョーザヴィヌルを選んだ。パーマネントバンドとしてコンスタントに仕事をこなすには、それなりの几帳面さがないと長続きしない。そしてバンドのコンセプトとしてオリジナル曲を中心に演奏していくには、作曲やアレンジの才能が不可欠だ。アメリカにはいっぱいジャズミュージシャンがいるけど、やはりこういった条件をクリアできる人材はそうはいないということだ。キャノンボールは音楽的にも人間的にも「The Leader」といえる人物だ。こんな人にタイミングよく出会えるなんてジョーはなんてついているんだろう。これがジョーの人徳か?このグループは年に46週間も仕事していたらしい。演奏のギャラもキャノンボールは気前がよかったらしくサイドメンもジャズグループとしては破格の金額だった。そして次々とレコードを出し、たくさんの曲をヒットさせた。ジョーの曲もある。その中でもこの「Mercy Mercy Mercy」は超ビッグヒットだ。定期的に受け取る著作権印税は相当な額だったらしい。この金があったからジョーはウェザーリポートをやっていけた。ジョーザヴィヌルがキャノンボールを恩人だというのは当然だ。とてもキャノンボールのお墓の方に足を向けて寝られない。

Mercy,Mercy,Mercy

2007-07-10 00:36:20 | Weblog
この曲はもちろんジョーザヴィヌルの大ヒット曲だけど、これは彼が9年間在籍していたキャノンボールアダレイのバンドの'66年のアルバムのタイトルだ。ライブ盤で全曲バンドのメンバーのオリジナル、一時期サックスのユゼフラティーフなんかも加えたりしてたけど、この時はクインテット、フロントはアダレイ兄弟だ。このアルバムを最初に手に入れたとき、確か先輩のミュージシャンにもらったと思うけど、赤い透明なLP盤だった。録音はお世辞にもいいとはいえないけど、そんなことは全く関係なくなるぐらいの音楽の素晴らしさだ。すごいパワーとなにより強固な音楽的な基盤がある。メンバーはみんな知性派だ。アダレイ兄弟でコンビを組みザヴィヌルを加えて活動し始めて、5年か6年経っている。ヒット曲もいっぱい出したし、バンドとしてのコンセプトもゆるがない。ジャズグループとして大成功を収めた栄光の一端がこのライブアルバムからうかがえる。ザヴィヌルはウェザーリポートを解散した後自分のグループで何度も日本に来ているけど、ステージでマイクを持ってあのヨーロッパなまりのへんな英語でしゃべる時、必ず最初に日本に来たのはキャノンボールのバンドのピアニストとしてだったこと、そして9年間お世話になったジュリアン'キャノンボール'アダレイに対する謝意を述べている。よほど恩義を感じているんだろう。いわばザヴィヌルがジャズの世界でその後やっていくための基礎を作ってくれた人だ。ジョーにとってのまさに人生の恩人なんだ。

Domino Theory Ⅱ

2007-07-07 00:12:09 | Weblog
ジャズの本分は即興だけど、その方法をどうやって身につけるかというのが、ジャズを目指す全てのミュージシャンの大問題だ。最初は本当に雲を掴むような話だ。スケールの名前やリハーモナイズの方法を知っていたところで、ほとんど役にはたたない。まあ無駄とは言わないけど・・・。練習といったって何をどう練習したらいいのか分からない。ずっと悩む、時々開き直る、それの繰り返しだ。結局、思いつくことを色々練習し、音楽構造を研究し、そしてセッションでボロボロになりながら体で覚えていくんだ。それしかないんだろう。でもちょっと冷静な立場で、考えてみると、ジャズプレーヤーのアドリブの発信源はそんなに単純に特定されるものではないんだ。とにかく一番大きく影響するのはそのひとの持ってる「音楽的教養」なんだ。うううん・・・ちょっと抽象的かな?でも他に言いようがない。それが「インプロヴィゼーション」なんだ。教養というのは、その人の価値を高めるものではあるけど、ひけらかすと鼻につく。扱いが難しい。マイルスが「In A Silent Way」のレコーディングの時、ジョーザヴィヌルの創ったあのたった数小節の曲のメロディーをルバートでやるのに、そのとき英国からやって来たばかりのジョンマグラフリンに弾かせようとした。マグラフリンはアメリカではまだ無名だったけどすでに一流の腕と個性を備えていた。音楽的教養も充分だ。でもマグラフリンは教養を使って工夫しようしすぎたのと、おまけに尊敬するマイルスの前だということで緊張して何回やってもうまく行かなかった。「どうしてもできません」と泣きを入れるとマイルスは「ギターが全く弾けない奴が弾いてるみたいに弾いてみろ」と言った。そしてうまくいった。マグラフリンの弾く超シンプルな弾き方には、彼の音楽的教養があふれている。教養を捨て去ることでかえってそれがにじみでたわけだ。マグラフリンもこれでジャズの歴史的名盤の重要な役割を果たすことになった。

Domino Theory

2007-07-04 01:10:38 | Weblog
ウェザーリポートの末期の作品、と言っていいと思う。ウェザーリポートというバンド名はついているけど、完全なジョーザヴィヌルバンドだ。この中の「D Flat Waltz」、この後コンサートでも何時もやってた、ザヴィヌルらしい曲だけど、こんな複雑な曲をライブでやるジャズバンドを聴いたことがない。誰も譜面は見ない。暗譜はこのバンドの法律だ。リハーサルは大変だろう。ここまで複雑だと決まりを守って演奏するだけで目一杯になる。でもザヴィヌルはそんなことは許さない。ベイリーはよく頑張っている。ジャコの後釜というだけで大変なのに、ジョーの持ってくる曲は以前にもまして難しい。この中でジョーの想像以上のプレイをしてジョーに刺激を与えるというのは無理だろう。ベーシストの役割はいろいろあるけど、この頃ジョーはベーシストによりベーシックなものを求めるようになった。それによってかえって自分が自由になれるからか、ベイリーの能力をそこまでだと思ったのか本心は分からない。オマーハキムのドラムは強烈にスウィングするし、曲はザヴィヌルの創った一流のレパートリーだ。でもこのバンドは即興的で高級なアプローチをするジャズバンドではなくて、品のいいR&Bバンドみたいになってしまった。ウェザーリポートのアルバムは発売されるとすぐに買って繰り返し繰り返し聴くのが当たり前になっていたけど、このアルバムは何度も聴く気にならなかった。何かが終わろうとしている感じがした。