[彼の墓に備える花は、母親の花畑から分けてもらったよ]
去年の3月10日に僕らは「三浦半島一周、決して無理をしないオフ会」を開催した。
71名の自転車海苔が三浦半島をのんびりと走った。
そのオフ会にコメントをくれたのがHさんとの最初の接点だった。
ただ、その日の僕らはほんの小さな伝達ゲームのミスで会えなかった。僕のミスだ。
彼は僕と同じ町の出身。どこかのオフで会えるだろうと思っていた。
詳しいことはここには書けない(とても慎重に書かなくちゃ…)。
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『その日』僕は彼がブログを始めたことを知った。コメントにURLが付いていて気づいた。
若い頃にトライアスロンをやっていたが膝を痛めた。そして運動を断念した。
それでも、もう一度自転車に乗り始め、そのエントリーでは下田まで走っていた。
苦労しながら下田までたどり着いた彼の手ごたえは、エントリーのタイトルにあった。
最後は希望が残った
何の希望…、そう再びハワイの地で180kmのSWIM、BIKE、RUNを走る、そんな希望だ。
いつの日かIRONMAN HAWAIIへ…
その頃、Hさんはいつも僕のロングライドのエントリーを見ていてくれたのだ。
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それから、彼からのコメントが時々届いた。そして、
『その日』…、彼は日付が変わってすぐに僕のエントリーにコメントをくれた。
『その日』…、僕は彼の"POSSITIVE"なエントリーにコメントをつけた。
『その日』…、彼はツーリング中、あと少しで峠というところで心臓麻痺で亡くなっていた…
そんなことは僕は知らなかった。僕のブログにコメントをくれた日に…そんなことって…
彼のブログはいつまでも「希望が残った」ままだった(彼が不在の今もなんだ)。
彼は僕のコメントを読むことはなかった。僕は「また、どこかで」と書いたんだ。
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Sさんという彼の友人からその死を知らされた時はとても混乱した。
彼の不在が信じられなかった。だって、ブログにはいつでも「希望」があるんだぞ。
神さんさぁ、小さな希望を奪うなよ!と思った。
未だ見ぬ人だけど、コメントのやり取りはしていたから、知らない人じゃない。
Sさんに墓参りの段取りを取ってもらっていたが遺族の心情もあり叶わなかった。
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先日Sさんから電話があった。そして、一年以上を経た今日、彼の墓を訪ねた。
[Sさんは僕と同じ年、同じ町の隣の小中学校を出ていた]
たくさんの話をした。
若い頃のHさんがどれだけの自転車海苔だったかという話だ。
九州一周を自転車で走った話、トライアスロンの練習で一日300kmくらい走っていた話、
仕事の話、趣味の話、船の一級船舶免許を持っていてカジキを追っていた話、
とてもポジティブでバイタリティのある人生だった。
膝を痛めたときは、このまま運動を続けると歩けなくなると宣告されたらしい。
それが、伊豆高原で足を着きながらも下田まで走りきったことで希望が見えた。
[彼の生まれた街が見える高台の墓苑にて…(彼の生まれた街は僕が生まれた街)]
彼は右足のビンディングだけが外れた状態で静かに亡くなっていた、とのこと。
フェリーで渡った千葉を30km走った、家から70kmとちょっとの知らない土地、
自転車とメットに小さな傷が付いただけの静かな死。
僕は、顔も知らない彼の墓に花を供え、手をあわせた。
んだよ、神様!と今でも思う。
いろいろ想うことはあるけど、うまく言えないな。
一年が過ぎても、無常という言葉しか浮かばない…
そして、あの三浦オフの日に会えなかった、僕のミスが今も痛恨の極みッス。
今回、僕の墓参りを取り次いでくれたSさん、旧友の死をようやく昇華できたらしい。
20年も昔にひと時住んだ神戸から今住んでいる鎌倉までのノンストップライド、
夜通し走り通して昔の自転車仲間の死を越えたと言っていた。
自転車は僕らの3人のキーだった。でも、僕はHさんを知らないままなんだ。
来年の4月15日、僕は僕の母校の裏の丘陵のこの墓苑に、…多分来ると思う。
[FELTもシングル化 Σ(@@; 、そしてBLACK&WHITEのフラットバーロードに]
◇今日の自転車◇
このボトルは…そんなに重いものじゃない。Hさんからのプレゼントだ。
0.00km
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でも、ひとりは身寄りがなかったので何処にいるのか不明なんです。
いきなり時間が止まっちゃうときついっす。
ひにくな巡りあわせですね。
あの日に多く方とお会いしているに、よりによって一番間近に住んでいる方とこんな対面をさせられるんだだから・・・
片足がペダルに固定されていたってのが如何にも自転車海苔らしいけどなんともやるせない気がします。
よい供養をされました。
供花にも心がこもっているようでした。
拝読していて、涙が止まりません。
私は、もともと体が弱く、鍛えるために、自転車のりになりました。
峠で、心臓が苦しく痛くなったときもあります。
心臓発作になった時もあります。
でも、運よく、今も生きております。
私の最後は、趣味で、楽しんでいる最中に死にたいものです。
自転車仲間って、素晴らしい!
そう感じた、記事でした。
このような記事を書いていただいた、管理者様、有難く思います。
お恥ずかしい話ですがすっかり忘れていました。
このエントリーで思い出した次第です。
神様は、自分で「もういいや」って言うまで命をくれないのかな?
引き入れられる、心に染み入るブログでした。
それから 余計なお世話ですが 咳はいかがですか。
もし喘息であれば 専門医でないと的確な診断は無理かと思います。
特に大人になってからの発症は 風邪でかたずけられる事が多く、対処療法のみを繰り返しているうちに 重症化していくようです。
「吐く」程の咳では おつらいでしょう。 もし日中は比較的楽 というのであれば 喘息を疑ってみてもいいかと 思います。お大事になさってください。
余計なことかとも思いましたが 失礼しました。
でも 杞憂に終わると いいですね!
ブログが止まったままの人、僕も何人かいるのです。
でも知りようがない。
「多分、元気だろう、仕事が忙しくなったかな?」
とか
「離婚かなんかしちゃって生活が変わったんだろう」
なんて自分を納得させています。
いきなり時間が止まっちゃう。
その理由を知ることは辛いけど、今、墓参ができたことは
いいことだったのだろう、そう思います。
◇モリさん
写真を見ていないんです。
でも、Sさんの話から彼の像が見えてきたのです。
とてもタフで前向きで、そんなエネルギーをもらいました。
そして、どうにもならない"運"みたいなものも。
僕の鎖骨骨折は後ろ向きに考えることではなく、
Hさんと同じように誰に何を言われようが
僕なりに前向きに昇華してみよう。
一年です。もう。
右足だけがビンディングから外れていた、という話を聞いたとき、
良かった、と思った。
彼が最後にみた風景は優しかっただろう、と思えたから。
ブログを書けなかったのです。
が、今日SさんからOKをいただき、ちょっと加筆しちゃいました。
本当はもっと書き残したいことがあるけど…
花は早起きして母親と切ってきました。
持つべきものは母親の花畑だな(笑)
◇ピラータさん
こんばんは。そして、ありがとうございます。
この日の出来事を伝えるには文章を書く力がなく、すみません。
同級生であり、自転車海苔の大先輩であり、
最後はこんな僕のロングライドを楽しみにしてくれた読者、
お互いがお互いを尊敬できた時間だったと思います。
(彼はいないけど)
Sさんとの2時間もとても優しい時間でした。
僕らは自転車が好きッス。
こだわりとかスタイルとかは二の次として、
ペダルを回す喜びを共有したいです。
これからもよろしく、です。
僕、お気に入りとしてリンクを貼ってますから(^^;
更新されることのないブログですけど、
リンクを貼って時々見ていたのです
(クソコメントが付くのが悲しく、腹立たしいッス)。
そうは言っても、僕だって徐々に薄れていました。
それだけにSさんからのメールは感謝です。
◇ルイス水高さん
初めまして。嬉しいです。
会ったことがある人の突然の不在は僕らは想像できる。
あったことのない人の不在を悲しんだ経験が始めてだった。
だから、少しでもそれが伝わったのかも。
咳はすっかりOKです。
喘息ではなかったようで、かといってなんだったんだろう(笑)
ありがとうございます。
ところで、次週は土日が仕事なのですが、間もなく復活ですv(^o^)v
でも人間いつかは召されるのですよね。
50年後かもしれないし明日かもしれない。
感じているよりも身近な事なんだと思います。
1年経ったのですね。
以前のエントリーをみた時も思いましたが
「Hさん。一緒に走りたかったです。」
*決してmasaさんを責めている訳じゃないですよ。