とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』は高校国語教師の必読書です

2020-03-15 11:16:55 | 国語
 『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』を読みました。この本は高校の国語教育の歴史を振り返り、現在の国語の授業の「当たり前」と思っていることが決して「当たり前」ではないということを教えてくれます。そしてそこで終わることなく今後の示唆を与えてもいます。高校国語教師は必読の本です。

 高校の国語の歴史は次のように展開してきました。

 戦前から戦後にかけて国語は現代の文章と古典の区別がなく、多くの学校では古典を主に教えていました。昔は「国語」は文章の「解釈」が主たる勉強だったのです。授業では教師が解釈を講義し、生徒はそれをノートに取るというというスタイルでした。

 戦後、検定教科書が誕生したときに、「山月記」が掲載され始めました。「中島敦全集」が毎日出版文化賞を受賞したという、「検定」に通るためのお墨付きが与えられたことが大きかったと筆者は言います。その後「現代国語」が始まり、道徳的な内容が受け入れられ、広まっていきます。さらには教科書会社が「山月記」の掲載されている教科書が採用されやすいということで近年では必ず「山月記」が掲載されているのです。

 「山月記」の定番化は国語教師の怠慢です。新しい教材を扱いたくないのです。なぜなら新たに教材研究するのが面倒くさいからです。だから未だに昔ながらの指導方法で「山月記」の授業を行っている教師も多くいます。本当に情けない。

 筆者はこの現状を批判しながらも、「山月記」を教材とした新しい授業のあり方を提言します。「山月記」は『古譚』という作品の一部であることを重視し、従来の読み方に対しての批判的な視点を示しています。また「語り論」「読者論」「音声言語」などを用いた授業例などを紹介し、「山月記」の授業の今後のあり方に示唆を与えています。

 私の筆者の姿勢に共感します。なぜ「山月記」が定番になったのかということについては私自身批判的な意見を持っていますが、現実に「山月記」が生徒に人気があるというのも事実なのです。新井紀子氏は「山月記」は多くの高校生が読解できないと言っていますが、読解できないのは最初の部分だけで、そこさえ軽く解説してあげれば、あとは李徴のモノローグがほとんどなので、簡単に理解できる内容です。生徒に人気のある教材を使って、意味のある授業ができるならば理想的です。「山月記」を使って意義のある授業をすることを目指すことは悪いことではありません。

 この本を参考にして、授業改革に取り組んでいきたいと思っています。

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