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議論のできない情けない「国」(センター試験の国語の問題はやっぱりよくない)

2019-11-13 16:22:52 | 国語
 「桜を見る会」のでたらめさを見ているとうんざりする。またこんなに愚かなことが行われていたのかというのが1点目。それをなんとかごまかそうとする政治家と官僚の愚かさが2点目。これだけ愚かなことを繰り返していながら政権の支持率は落ちないというのが3点目。本当に情けない国である。

 しかし一方では野党の対応も情けない。この程度のことを深追いする必要はない。教育問題、経済問題、外交問題などをもっと正々堂々と議論してもらいたい。こんな「桜を見る会」のような揚げ足取りばかりしていることは、逆に言えば他の点では政権を責められないことを認めているようなものだ。

 例えば教育問題は日本でどういう教育が必要なのかをもっと堂々と議論してもらいたい。大学入試における英語の民間試験の活用や、新テストの記述式の導入の現状の方式には私も反対だが、民間の力を導入していくことも大切だし、国語においては記述式は大切だとは思っている。この問題とからんで「センター試験はいい試験だ」と言っている人もいるが、私はそうは思わない。こういうことを含めたオープンな議論はこれまでまったく聞こえてこなかった。世の中が変わっても現状維持でいいという人よりは、前にすすめようと努力した人のほうが貴重だとも思うのだ。

 野党が太い幹の部分の議論をしてくれないから政権が多少情けなくとも支持されるのである。

 日本人が議論ができないというのは、日本の国語教育の欠陥を示しているのだと考えている。もちろん古くからの年功序列的な日本社会によって、日本人は議論をする習慣がなかったというのはその通りである。しかし、現代においてそれですませられるはずはない。議論して合意形成していく社会を作っていくことが近代国家として必要なはずなのである。ところがそのような国語能力を育てていないのだ。話したり書いたりする力、議論する力を育てていないのだ。それは高校の授業がセンター試験を中心に回ってきたからにほかならない。間違い探しのような国語のセンター試験が議論をできなくし、揚げ足取りばかりする人間を生み出している。とまで言うと言いすぎであろうが、仮説としては成り立つのではあるまいか。
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