とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

生徒の小論文2(『こころ』シリーズ⑮)

2019-03-24 16:15:33 | 『こころ』
 『こころ』において生徒に書かせた小論文を紹介します。たどたどしくて舌足らずだという指摘があるかもしれませんが、おもしろい視点が含まれています。この視点を生かして再構成して推敲していけば、いい小論文になると思われます。

 なお、読書感想文や授業課題提出のために「コピペ」することが、絶対にないようにお願いしておきます。

 私は「先生」は人間不信に陥り、それゆえに自分の利を追求するために他を顧みない自己中心主義になってしまった哀れな存在だと考える。そこから「先生」にとっての「K」という存在はどのようなものだったのかということを考察していく。私は次の3つであると考える。①理想、②憎むもの、③大切にすべきもの、である。

 「先生」は叔父に財産の一部を奪われ、特にお金に関することで他人を疑うようになっていく。これは、人を信じることができず卑怯なこともしてしまう「先生」と、道のために精進を怠らず、自分の生き方に向き合っていく「K」の対比関係があることが伺われる。「K」と「先生」は真逆の存在なのだ。このことを前提として先の3点について考える。

 ①「先生」は「私」との会話で、「私は死ぬ前にたった一人でよいから、他を信用して死にたいと思っている。」と言っている。「K」は他人を信用する人間であった。他人を疑うよりも自身を追いつめるほどの人間であった。だから「先生」は「K」になりたかったのだ。「K」こそが「先生」の理想だった。「K」になりたかったからこそ、「K」を下宿に一緒に住まわせたのだ。

 ②「先生」は精進している「K」を恋のライバルになろうとは思わなかった。だから「K」を同じ下宿に住まわせたのであるが、しかし「K」がお嬢さんのことを好きになってしまう。「先生」は「K」の人間的な気高さを知っているから「K」に勝てるとは思えない。「K」がじゃまになる。「先生」にとっては「K」は理想であったからこそ、「恋」の要素によって「憎む」べきものになってしまうのである。

 ③こうして「K」を裏切ってしまった「先生」だったが、「K」の決して他人のせいにしない性格によって逆に「先生」は苦しめられることになる。「先生」は「K」の姿を見て、「手をついて謝りたくなった。」とKに対する良心が生まれる。「K」が死んだ後も、罪悪感に襲われ、人を信用できなくなる。「K」という存在は「先生」にとってかけがえのない大切な存在となっていったのだ。

 人間不信に陥っている「先生」にとって「K」はそこから脱するための「鍵」であった。しかしその「鍵」を自らの心の柔さによって失ってしまった。自分の生きるための核を自分の手によって失ってしまったのだ。もはや「先生」は生きることができなかったのはしょうがないことだった。

 
 「K」と「先生」の対比を重点にして論を進めている。おもしろい視点を与えてくれる。
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