演劇による『羅生門』授業を行った後、「語り手」に意識させる授業を行った。ほんの短い時間ではある。しかし小説における「語り手」や「視点」の意識は小説を構造的に読むことにつながる。
授業としては次の発問から始まる。
「『羅生門』を読んで、これまで読んだ小説と一番大きく違うところはどういうところですか。班で話し合ってください。」
多くの場合、これによってすぐに
「『作者』が小説の中に出てくる。」
という回答が出てくる。もし出なければ、生徒の意見を尊重しながら、最後に「作者の介入」について説明する。
そして先に述べた「物語」と「小説」の違いについて説明する。(これはもちろん一つの説であるということを念押しすべきことではあるが、そこまで厳密にする必要もない。後でこの考え方が訂正されようとそれはかまわない。大切なのは新たな視点を与えることである。)
生徒にとって新しい概念であるが、これをおもしろいと思う生徒も多い。特に理系の生徒は興味を示す。そうなれば成功であろう。
授業としては次の発問から始まる。
「『羅生門』を読んで、これまで読んだ小説と一番大きく違うところはどういうところですか。班で話し合ってください。」
多くの場合、これによってすぐに
「『作者』が小説の中に出てくる。」
という回答が出てくる。もし出なければ、生徒の意見を尊重しながら、最後に「作者の介入」について説明する。
そして先に述べた「物語」と「小説」の違いについて説明する。(これはもちろん一つの説であるということを念押しすべきことではあるが、そこまで厳密にする必要もない。後でこの考え方が訂正されようとそれはかまわない。大切なのは新たな視点を与えることである。)
生徒にとって新しい概念であるが、これをおもしろいと思う生徒も多い。特に理系の生徒は興味を示す。そうなれば成功であろう。
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