この第2巻は宗教の意味を問い続けている。ストーリーの展開は少ないが、人間の存在意義について考えさせられ、読者として追い詰められていく。かなり疲れる読書になってしまうが、この巻を読む体験が後半にどうつながっていくのかが楽しみになる。
第2巻は第4編から第6編までの3編で構成されている。
第4編で三男アリョーシャは長男ドミートリーの婚約者であるカチェリーナに頼みごとをされる。スネギリョフという男に見舞金を渡すように頼まれたのだ。スネギリョフは酒場でドミートリイに乱暴をされた。そこでスネギリョフがそのことでゴミトリーを訴えないようにしたのだ。しかしスネギリョフもこれをもらったら息子に向ける顔がないと見舞金を踏みつけにする。このスネギリョフの見舞金を断る際の描写は圧巻であった。人間の尊厳を守ろうとする心と、家族のために、生活のためにお金が必要だという葛藤が迫ってくる。
第5編で、イワンは「大審問官」という自作の物語を語る。その中でキリストの復活と思われる存在に対して「大審問官」が言う。 「人間の自由を支配するかわりに。おまえはそれを増大させ、人間の魂の王国に。永久に自由という苦しみを背負わせてしまった。」
さらに続ける「でも、おまえはほんとうに考えなかったのか。選択の自由という恐ろしい重荷に圧しひしがれた人間が、ついにはおまえの真実にも意義を唱えるようになるということを。」
自由が人間を苦しめる。現代のわれわれの社会を混乱させている大きなテーマである。
第6編でアリョーシャの師、ゾシマ長老が死の間際に自身の生い立ちを語る。ゾシマ長老が青年だったとき、自身が蒔いた種によって決闘するその前日、ひとつの気付きを得る。
「母さん、ぼくと血を分けた大事な母さん、人間はだれでも、すべての人に対して罪があるんだよ、ただだれもそれを知らないだけなんだ、もしそれを知ったら、すぐに天国が現れるにちがいないんだ!」
自由な人間は罪を犯す。しかしそれを自身は気づかずに生きていく。しかし自身の罪に気づけば、われわれは許され、心が解放される。このようなことを言っているような気がする。
さあ、いよいよ第3巻に突入。物語は展開するのか。
第2巻は第4編から第6編までの3編で構成されている。
第4編で三男アリョーシャは長男ドミートリーの婚約者であるカチェリーナに頼みごとをされる。スネギリョフという男に見舞金を渡すように頼まれたのだ。スネギリョフは酒場でドミートリイに乱暴をされた。そこでスネギリョフがそのことでゴミトリーを訴えないようにしたのだ。しかしスネギリョフもこれをもらったら息子に向ける顔がないと見舞金を踏みつけにする。このスネギリョフの見舞金を断る際の描写は圧巻であった。人間の尊厳を守ろうとする心と、家族のために、生活のためにお金が必要だという葛藤が迫ってくる。
第5編で、イワンは「大審問官」という自作の物語を語る。その中でキリストの復活と思われる存在に対して「大審問官」が言う。 「人間の自由を支配するかわりに。おまえはそれを増大させ、人間の魂の王国に。永久に自由という苦しみを背負わせてしまった。」
さらに続ける「でも、おまえはほんとうに考えなかったのか。選択の自由という恐ろしい重荷に圧しひしがれた人間が、ついにはおまえの真実にも意義を唱えるようになるということを。」
自由が人間を苦しめる。現代のわれわれの社会を混乱させている大きなテーマである。
第6編でアリョーシャの師、ゾシマ長老が死の間際に自身の生い立ちを語る。ゾシマ長老が青年だったとき、自身が蒔いた種によって決闘するその前日、ひとつの気付きを得る。
「母さん、ぼくと血を分けた大事な母さん、人間はだれでも、すべての人に対して罪があるんだよ、ただだれもそれを知らないだけなんだ、もしそれを知ったら、すぐに天国が現れるにちがいないんだ!」
自由な人間は罪を犯す。しかしそれを自身は気づかずに生きていく。しかし自身の罪に気づけば、われわれは許され、心が解放される。このようなことを言っているような気がする。
さあ、いよいよ第3巻に突入。物語は展開するのか。