とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

スローフード論(「近代」を考える2)

2016-04-29 09:11:54 | 国語
【スローフード】
 このような画一的な食事に危機感を抱いた人がでてきました。それが「スローフード運動」です。

 スローフード運動はイタリアで始まりました。イタリア料理というと、ピザを連想し、味が濃いという印象を持っている人がいるかも知れません。確かに日本食と比べれば濃厚な印象を持ってもしょうがないかもしれませんが、ヨーロッパの中では、素材にあまり手を加えないで素材の味を活かす料理です。カルパッチョのような刺身料理も食べますし、野菜をたくさん料理に使います。ヨーロッパの中では日本食に一番近いかもしれません。
 スローフード運動が広まっていったのには理由があると思います。

 第1にファストフードが不健康であるということです。味が濃く、油を大量に使う料理です。栄養も偏ってしまいます。食べ続ければ肥満になり、成人病の危険性が高くなります。食品添加物もたくさん使用しているように思えますので、別の面でも危険性が出てくる可能性があります。

 第2に、ファストフードが地域を破壊してしまったという反省があります。みなさんも日本のどこに行っても同じような風景を目にするのではないでしょうか。ガソリンスタンド、コンビニ、ファストフード店、ファミリーレストラン、日本中同じような街並みです。沖縄だって北海道だって大きく変わらない。
 人間ひとりひとりが個性があるように、町にも個性があります。その土地、その土地で気候が違いますし。地形が違う。適した作物が違いますし、歴史も違う。それぞれの土地にはそれぞれの土地の個性があり、その地域性がそこに住む人の個性をさらに育ててくれる。それが少なくとも100年前までは当たり前でした。
 しかし、今はどうでしょう。日本中どこでも同じ風景になり、それと同時に方言をしゃべる子どもたちも消えていっています。もはや日本に地域性がなくなりました。逆に「地域性なんていらない。」という声が聞こえてきそうです。
 この状況は、世界に広まっています。どんどん、その国の個性は失われていき、世界中が同じ価値観に統一されていきます。
 「同じ価値観になれば戦争がなくなっていいんじゃない?」という声が聞こえてきそうですが、はたしてどうでしょうか。そこまで価値観が統一されるということは、もはや人間に個性はひつようなく、人間が人間である必然性がなくなるということになるのではないでしょうか。

 第3に、時間に追われるという状況が、本来人間が求めていたライフスタイルなのかということです。
ファストフードというのは近代合理主義の生んだ文化です。近代合理主義の大きな特徴のひとつは経済優先主義です。効率をよくして少ない労力でいかにして経済効果を上げていくかが大きな課題なのです。そのためには食事は楽しむものではなくなりました。少ない時間で、栄養のあるものを摂取し、そして満足感を得るものでなければなりません。そうしてファストフードは生まれたのです。
このようなファストフードは、人間が長い歴史の中で培ってきた、食事を楽しむという文化を破壊してしまいました。また、その土地、土地でとれる作物を無用な作物に追いやってしまいました。
それはやはり行き過ぎです。人間だれもがそういう生き方を望んでいるわけではありません。ゆっくりとした時間の中で、地域を愛し、その土地でとれる新鮮で、新鮮であるからこそ栄養のある作物をゆっくりと食べ、その土地の人との共生を大切にし、日々を過ごしていく。そんな生き方を望む人だってたくさんいるはずなのです。

b近代という時代の中で見失われつつあったそんな生活を取り戻す運動がスローフード運動です。ですから、スローフード運動はとても「ポストモダン」な運動なのです。
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