まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ウンコ してもキレイ

2015-07-02 18:33:14 | 人間文化論
もうだいぶ前のことになりますが、「チンコはキレイ」 という内容のブログを書いたことがあります。

小学校のときの先生が 「オシッコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」 と教えてくれたという、

たいへん懐かしい、そしてきわめて私好みのお下劣なお話です。

小学校5、6年生のころの話ですから、もうかれこれ40年以上も前のことです。

あれから長い年月が経って、さまざまなテクノロジーが飛躍的な発展を遂げました。

それに伴いトイレ文化もすっかり様変わりしてしまいました。

私は幼少のころから洋式便器でないと大きな用を足せない人間でしたが、

20年前に福島大学に着任したころは、学内のどこにも洋式便器がなくて難儀したものでした。

駅や街なかのビルなんかでも洋式便器にお目にかかることはなかなかできませんでした。

その後少しずつあちこちに洋式便器が設置されるようになって、

私のトイレット生活もだいぶ快適になってきたころ、大きな変化が生じました。

温水洗浄便座 (いわゆる 「ウォシュレット」) が普及しはじめたのです。



初めて登場したのは1980年のことだそうですから、けっこう前の話です。

しかし、それが普及するのにはものすごい時間がかかりました。

私が着任した1994年の時点で福大には洋式便器すら整備されていなかったわけですから、

温水洗浄便座なんて夢のまた夢だったわけです。

一般に普及し始めたのは21世紀に入ってからくらいじゃなかったでしょうか。

ちなみに相馬の看護学校は13年前の開校当初から洋式便器ではありましたが、

ずっと温水洗浄便座ではなく、昨年の後期にやっと温水洗浄便座が導入されて、

私は今年度から初めてお尻を洗えるようになったのでした (上掲の写真が相馬のトイレです!)。

そんなこと言ったら白河はもっと遅れていて、

白河駅のトイレは昨年やっと和式から洋式に変わりましたが、

こんなタイミングであるにもかかわらずウォシュレットではありませんでした。

この日本発の素晴らしき文化が世界中のお尻を幸せにするにはまだまだ時間がかかりそうです。


ちょっと話が脱線してしまいました。

私は長いこと 「洋式便器でないと用は足さない」 をモットーにしてきましたが、

21世紀に入ったころから 「温水洗浄便座でないと用は足さない」 に宗旨替えしました。

常に行く先々で温水洗浄便座の配備されたビルやお店を確保しておいて、

いつでもお尻を洗えるような態勢を整えておくようになったのです。

もちろん自宅でも大学でも必ずお尻は洗っています。

洗わずに直接トイペで拭いたりすると必ず血まみれになり、激しく痛んでしまいます。

もはや私にとって温水洗浄便座は不可欠の文化であり、これなしで生きていくことはできないのです。


さて、そういう生活を送っていると、トイペというのはもうお尻を拭く (ふく) ためのものではありません。

お尻を洗い終わったあとにお尻についている水を拭う (ぬぐう) ためのものでしかないのです。

もっとはっきり言いましょう。

私はもはやトイペでウンコを拭いてはいないのです。

ウンコはすでに除去されていて、皮膚に残った水を拭いているにすぎないのです。

その場合、トイペを使った私の手は汚れているでしょうか?

例えば、お風呂に入ったりシャワーを浴びたあとバスタオルで身体についた水滴を拭きますが、

そのあとわざわざ手を洗ったりしますか?

洗いませんよね。

だってキレイになった身体の水分を拭き取っただけですからね。

まあバスタオルはトイペより厚いので、

バスタオルを通して手に汚れが付いたりはしないからという考え方もできますが、

そもそも身体を拭いたバスタオルを、濡れたとみなすことはあったとしても、

身体を拭いたことによって汚れたとみなしたりはしないですよね。

だとすると温水洗浄便座を使用したあとトイペでお尻を拭いたとしても、

その行為によって拭くのに使った手が汚れたりするわけではないのではないでしょうか?

つまり、あの先生の教えをもじって言うならば、「温水洗浄後のお尻はキレイ」 なのであって、

「温水洗浄便座でウンコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」

ということになるのではないでしょうか。

私たちは長年の習慣で、トイレで用を足したら (小であれ大であれ) 手は洗うこと、

という文化を身につけ、それが当然だと思うようになっていますが、はたして本当にそうなのか?

40年前にその常識の前半部分に対する懐疑を植え付けられた私は、

40年経って、その後半部分にも根源的な懐疑を突き付けるようになったのでした。

今後は、「トイレに行っても手は洗わなくていいんだ運動」 を全国に広げ、

さらには、ウォシュレットの普及とともに全世界へと拡張していきたいと思います。

「文化創造論」授業改善学生アンケート結果2014

2015-07-01 10:45:16 | 教育のエチカ
昨年度末にアップし忘れていた記事のうちのひとつです。
「文化創造論」 の授業改善のための学生アンケートの結果集計報告ですが、
先日アップした 「科学技術と環境の倫理学」 と比べて相当問題含みの結果でした。
ところが残念ながら、この 「文化創造論」 は専攻共通科目が廃止されたのに伴い、
今までのようなスポーツ・芸術創造専攻の2年生を全員集めてやる形態は2014年度が最後、
今年度の後期にはいちおう開講しますが、まだ未履修の学生数名のみを対象に開くだけで、
来年度以降は完全に閉講されてしまいます。
というわけで、このアンケートから浮かび上がった問題点を授業改善に活かすことはできません。
うーん、なんでこんなことになったんだろう?


「文化創造論」 では最終の文化創造プレゼンテーションも終わり、
いつものように 「授業改善のための学生アンケート」 を実施しましたので、
その結果をご報告させていただきます。
ちょっと今年の 「文化創造論」 は問題含みだったようです。
まずは、5段階評価から。

「1.教員の授業に対する姿勢はよかったですか。
 (観点:授業の準備、授業への熱意、学生への対応等)」・・・・・・・・・・・・・・・・4.57

「2.教育の方法は適切でしたか。
 (観点:質問への対応、発表・討論の機会、シラバスの記述内容等)」・・・・・・4.51

「3.授業の内容は適切でしたか。
 (観点:魅力あるトピック、教材・教科書の適切性、参考文献の提示、
  授業の進度、シラバスに記述された目標の達成度等)」・・・・・・・・・・・・・・・・4.49

「4.総合的にみてこの授業に満足しましたか。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.46

私のなかでは4.5を割るというのは相当低い評価と受け止めているのですが、
この授業でこんなに低い評価を受けたのは初めてではないでしょうか?
昨年が、1-4.67、2-4.61、3-4.57、4-4.65 でした。
いずれも0.1ポイントぐらいずつ下がっています。
一昨年は 1-4.75、2-4.67、3-4.71、4-4.75 でした。
なんなんでしょう、この下がり具合は。
その要因を自由記述のなかに探ってみましょう。


【自由記述】
●体育が他の美術や音楽という分野と多くの共通点があり、影響し合っていることが印象に残っている。体育を “文化” という視点から学び、本来の意味から現代までどのように発展していったのかを知ることができた。また最後に新しい文化を創造するという作業もとても頭を使いためになりました。協力して発表する機会は貴重な経験だった。他分野への興味が湧いた。

●主にスポーツ、美術、音楽それぞれの分野について、違いや共通点を考えて、色々なことに気づくことができた。プレゼンテーションをする能力。議論する能力。

●発表のデータが全部消えたけどなんとかなったこと。考えれば何とかなること。

●専門は体育だが、美術や音楽という異なる分野についての文化を学ぶことができた。また多くの共通点を見つけることができ視野が広がった。

●グループでのプレゼンです。どのようにしたら自分たちが言いたいことがみんなに伝わるかを考えさせられた。また、他の班の発表を聞いて、自分の専門分野以外の知識も深まり、非常に勉強になった。人に伝えようとする力、コミュニケーション力、創造力、プレゼンする力が特に身についたと思う。

●グループプレゼン。それぞれ工夫をしながら発表していた。あとノリがすごい。プレゼンテーションをする時に、どうすれば伝わりやすいかを考える力が身についたような気がする。あと、文化の種類に関して学びが深まったと思う。

●“文化” を通して、違う文化を持つ他の人々とコミュニケーションがとれ、自分の考え方が深くなったし、他の文化に触れることで様々な人とつながれるように思えました。

●スポーツ、芸術分野の考え方の違いを感じることができた。

●スポーツ、芸術、音楽それぞれの起源について学び、そこからそれぞれの分野で新しい発見をし、また共通点を考え、見つけることができたこと。物事を様々な面から捉える力がつき、視野を広げることができたと思う。

●自分の伝えたいこと、知ってほしいことを伝える手段をしっかりと工夫しないと相手には伝わらないということ。

●文化とは何か考えさせられたこと。自分の専攻の教科また他分野の教科のことをたくさん考えさせられた授業でした。

●音美体の3つの文化について、共通点を見つけることができグループワークを通して他のグループと交流することができてよかった。異文化の人と交流し、ディスカッションしていくことで自分の意見を伝え、相手の意見を取り入れていく力。文化を様々な面から見て、限定するのではなく新しい文化を創造していく力。

●新しい文化を創造する力。異文化に興味を持った。

●新しい文化を創造することが印象に残った。音美体の文化の共通点を見つける、その文化を多方向から見る力がついた。この授業を受けて、音美体それぞれの文化は関係していないようで、実は関係しているということを知り、3つの文化を関連付けて考える力が身についた。

●スポーツ芸術創造専攻といっても、普段音美体の人は交わることがないので、このような他専攻の人々と交わることのできる授業にとても満足している。来年から、このような授業がなくなってしまうのはもったいないと思う。自分の専門だけでなく、他の専門についても積極的に踏み込んでいきたいと思えるようになりました。自分の視野が広がったと思います。

●自分の専門種目以外の人たちの発表を聞いて、知らなかったことを知り、視野が広がった。また、発表の仕方なども分かった。

●自分たちでプレゼンを一から作り、みんなに上手く伝わるように工夫を重ねた経験がとても力になり、授業の中で印象に残りました。人に何か伝える時、その表現や術を学ぶことができた。

●スポーツと芸術の分野で、今まで知らなかったことがたくさんあったので、学び合いができた。ディスカッションをする機会はなかなかないので、いい経験になった。自分の専門だけではなく、他の分野はどんなものがあるのかなど学びの幅が増えて楽しかったです。

●その文化をよく知っている人とそうでない人の目の付け所が異なるため、プレゼンではそのギャップを小さくできるように努めた。感想を聞いても意外なところでコメントをもらったりして 「ここに目を付けたか」 となったのが、印象的だった。“チェスがスポーツかどうか” などの話を聞いてスポーツ=体を動かすという今までの固定観念がなくなり視野が広がった。

●芸術・音楽も素晴らしい文化だなと思った。発表や討論など考えを外に出す力が身についたと思った。

●「スポーツ・美術・音楽に共通するもの」 とは何か、様々な面からまた違った専攻の人々とディスカッションすることが楽しかった。「表現すること」 とは何か、考えの幅が広がった。

●普段あまり関わらない分野の人たちとも関わることで、いろんな方向への視野が広がったと思う。他の人と協力してプレゼンテーションをつくりあげていくことでコミュニケーション力をつけることができたと思う。また、スライドを作ったことでパソコンに関する技術も身につけられたと思う。

●自分の創造性が問われる授業だと感じた。自分たちで考えることが中心だったので自主的な学びが増えたのではないかと思う。芸術の概念が広がった。それぞれの文化のつながりや関係性が見え、視野が広がったように感じる。

●様々な文化のことを知った。色々な知識が増えた。

●プレゼンテーションが上手な班などは真似したり、逆にやらない方がいい所はやらないように気を付けたりすることができました。プレゼンテーションを通して、どのようにしたら相手に自分が調べたことを魅力的に伝えられるかを考える力が身についたと思います。

●今まで学ぶ機会がなかった美術・音楽について学ぶことができ、文化についての認識が変わった。

●様々な文化の表面だけではなく、その専門の人たちだからこそ知っているような事を多く学ぶと同時に、プレゼンテーションを工夫したりし、伝えるということの難しさと分かりやすく多くのことを伝える力というのが身についたと感じる。

●異文化交流プレゼンで、自分の知っていた分野のスポーツ、美術、音楽も知らなかった分野も、理解を深めることができた。

●「へえ」「初めて知った」 という言葉が多く、自分もそう言って、他人も自分のプレゼン(発表)についてそう言ってくれたので、異文化と互いに新しく学ぶことができたと感じた。発表の力、人の話を聞く力、それを文章でまとめる力、意見を言える力など。

●それぞれ自分の興味があることに関して、15分間のプレゼンをしたのが印象に残っています。15分間という長いプレゼンをしたのは初めてだったし、色々な工夫をプレゼンの中で見ることができて、とても面白かったです。違う文化に目を向けたり、興味を持つということが大切であることに気づきました。

●チーム毎にプレゼンしたのがチームの個性がでていて面白く、学ぶことが多かった。

●スポーツと芸術の共通点や相違点を文化を通じて学ぶことができたこと。自分の専門分野に関する視野が広がったこと。他の2つの分野に対する姿勢を見て、自分も見習おうと思った。

●普段あまり交流はできない他の専門分野の人と関われたので刺激になりました。今までと違って、自分の専門分野を別の視点から見ることができるようになった。他分野への理解を深めることができたので、視野が広がりました。

●自分の分野について学び直すとともに、他の分野についての理解が深まった。自分の専門分野以外の文化にも触れることができ、広い視野を持つことができた。

●文化は生活から切り離されてもなお、生活のそばにあるということ。班でのプレゼン、班をこえてクロストークは初めてであったために、面白くいい経験になった。自分の専門分野にとらわれず、他分野との共通点、相違点に気づき、新しい視点を得る力。他者の意見を聞き、吸収して自分の考えに反映する力。

●情報を疑うことを学びました。まとめる力や全体を見回す力がつきました。

●プレゼンする力がついたと感じる。

●文化というものの幅が非常に広いと感じた。自分の専攻であるスポーツだけの文化としての知識以外のものを知ることができたので、多面的な視野で見る力が付いたと思う。

●色々な文化に触れることができた。

●各分野での知識の幅が広がった。各分野への興味が非常に高まり、新たな趣味に踏み出すきっかけをもらえた。また、音楽や芸術分野とスポーツとの共通点も見つけられた。

●他分野の人たちが普段どのような事をやっているかなど知れて良かった。スムーズにプレゼンしたり、うまく人に伝えられるように工夫したりしたこと。

●視野を広く持つことの重要性や他者の意見を聞き自分の意見と比べたり深めたりすることの楽しさを学べ、それをグループで共有できたこと。

●プレゼンテーションを各グループ行い、たくさんの分野の知識を身につけたこと。自分の専門分野だけではなく、幅広く物事を見る視点。一見違うもののように思えることでも共通点を見つけ出す力。文化という大きな一つのくくりの中に所属しているという自覚。

●各チームの発表、特に「お祭りチーム」。創造する力、固定観念を壊す力。

●グループワークが多く、楽しい授業だった。

●いろんな文化を知ることができた。自分の知らない分野の理解を深めることができて興味が湧いた。プレゼン力、コミュニケーション力、興味をもち追及することができた。

●異文化交流プレゼンで、他の班の発表を聞けたこと。プレゼンでパワーポイントを使うとき、どのようにまとめていくとよいか。

●自分の取り組んでいる種目について詳しく知れたこと、また他の分野や種目についても詳しく知ることができた。また、文化とは何か、それぞれの文化の共通点とは何かを知ることができた。物事を様々な視点から捉える能力。人々に自分の伝えたいことを発信する能力。

●人と話すことができました。人と協力することがとても難しいことを学びました。

●新たな視点から物事を見る能力。プレゼンの後にプレゼンさせたところ。案を考えて一人ひとり提出すればよかったのではないか。アイディアが10チームなので、10個しか出なくなってしまう。

●合唱だって素晴らしい文化ですよ。サケの産卵みたいな顔してますが…。スポ科の人への偏見が少なくなりました。チャレンジしようと思うようになりました。

●下品な言葉を使ったり、教員中心の講義に少しうんざりしました。

●この授業は苦痛だった。精神的負荷が大きかった。教員の発言は、物事に対してネガティブなものが多く、授業に関係のない人物・団体への悪口ばかり目立った。


大体は例年通りの感想ですが、
批判的内容を含んでいると思われるものを最後のほうにまとめておきました。
特に最後の2つ。
「下品な言葉」、「教員中心の講義」、「ネガティブな発言」、「悪口ばかり」 等々。
相当辛辣な言葉が並び、本当にこの授業が苦痛だったことがうかがわれます。
ただ、この授業のどこでそう感じ取られたのか、私としてはちょっと思い当たる節がありません。
「文化創造論」 ではほとんど学生たちのアクティブラーニングの活動ばかりで、
私のほうから講義するのは15回中の3回しかありませんから、
私が担当している授業のなかでも、というより他の教員の授業と比べても、
この授業は最も 「教員中心の講義」 からかけ離れているように思うのです。
したがって、そもそも私が話す機会がほとんどないのですから、
「下品な言葉」 や 「ネガティブな発言」、「悪口」 なんかを言う機会もほとんどないはずです。
このお2人は何を指して、こんなふうに言われたのでしょうか?

その点についてあれ以上は何も書かれていなかったので、あとは想像するしかないのですが、
ひょっとすると最後から3番目の方が書かれていたことに関係があるのかもしれません。
「合唱だって素晴らしい文化ですよ。」
これってぼくが何か合唱の悪口を言ったというふうに捉えられたのでしょうか?
そんなこと指摘されなくとも私は合唱は素晴らしい文化だと思っています。
福大混声合唱団の演奏会は必ずブログで告知するようにしていますし、
何か先約と重なってしまっているのでない限り、できるだけ聴きに行くようにしています。
どこでそういう誤解が発生してしまったのでしょうか?

唯一思い当たるのは、音楽・美術というアートについて講義した回のなかで、
これは今年に限ったことではなく例年のことなのですが、スポーツと同様、
音楽や美術も20世紀に入ってからコンクールなどが大々的に開催されるようになり、
そのなかで商業主義や勝利至上主義が蔓延しつつある、という話をしていますが、
その勝利至上主義の話をする際に、福島県での合唱コンクールの話を例に出しているのです。
もちろん私は福島県の合唱コンクール事情はよく知りませんので、
私が赴任してきた当時に福島大学にいらっしゃった音楽教育の先生が話されていた内容を紹介し、
「コンクールで勝つために子どもたち全員にまったく同じ表情で歌わせるのって不自然よねぇ」
とか、その他、勝つためにあんなことしてるこんなことしてるみたいな話をしたのです。
別にそれは合唱だけが勝利至上主義に陥っているということを言いたかったわけではなく、
福島は合唱大国なので、合唱が一番みんなにわかりやすいかなというだけで、
ピアノだろうがオーケストラやブラスバンドだろうが、
あるいは美術もスポーツもすべてが勝利至上主義に毒される危険はあるわけですし、
より高い技術を目指すという意味では勝利を目指すこと自体はなんら非難されるべきことでもなく、
逆に勝つことをそれほど念頭に置かなくとも、素晴らしい活動をしたり、
素晴らしい成果を収めている団体もいくらでも存在するわけです。
今後、スポーツやアートがいかなる形で存在していくべきかを考える題材として話したのですが、
それがネガティブな悪口と捉えられてしまったのでしょうか?
もちろん、すべては 「受け止め方のゲーム」 ですので、
そう受け止められてしまったのだとすれば、それはやはり私の話し方に問題があったのでしょう。
今回の低評価がそこに起因しているのかどうか特定することはできませんが、
実例を出すときには常に、一面的に捉えられてしまわないような物言いを心がけたいと思います。

さて、最後に授業外学習時間です。
これもたいへん残念な結果でした。

【授業外学習時間】
3時間以上・・・・・・・・・・・・・5人(7.2%)
2~3時間未満・・・・・・・・11人(15.9%)
1~2時間未満・・・・・・・・18人(26.1%)
30分~1時間未満・・・・・14人(20.3%)
30分未満・・・・・・・・・・・・15人(21.7%)
0分(何もしなかった)・・・・・6人(8.7%)

昨年と比べて、2時間以上の人たちの割合は若干増えていますが、
それでも 「科学技術と環境の倫理学」 なんかに比べるとむちゃくちゃ授業外学習時間が少ないです。
そして、何と言ってもショックなのは、
今年度から 「0分 (何もしなかった)」 という選択肢が加わったのですが、それが6人もいるのです。
ていうか、この授業で0分 (何もしなかった) ってどういうことですか?
異文化交流プレゼンの準備は人任せで何もしなかったんですか?
それを見てのレポートは自分で書かなかったんですか?
そんなことはどう考えてもありえないと思うのですが、
6人もの人がそう答えているということは、やはり今年も、
授業外学習をちゃんとやっているのだということを、
学生たちに意識させることに失敗してしまったということなのでしょう。
昨年のブログに実はこんなふうに書いてありました。

「うーん、負担がどうのというわりには学習時間は短いですねえ。
 プレゼンの準備をさせたりレポートを書かせるだけではなく、
 他の授業や部活等での活動とこの授業での学びをリンクさせる仕掛けが必要なのかもしれません。
 パフォーマンス課題を与えるからということでちょっと気を抜いていたのかもしれません。
 来年の最後のこの講義ではその点を少し意識しながら授業をしてみたいと思います。
 (来年まで覚えていられればの話ですが…)」

なんだよ、昨年反省したんだったんじゃん。
今年はその反省を踏まえて実践しなきゃいけなかったんじゃん。
自分で予告しておいた通り、今年まで覚えておくことができませんでした
残念です。
そして、思えばこの授業は今年限り。
いちおう来年度も開講しますが、受講者はほんのわずかでしょう。
その翌年には完全に閉講されてしまいます。
なんだよ、もう授業改善できないじゃん。
最後の最後で本当に残念な結果となってしまいました。
受講者の皆さん、本当に申しわけありませんでした


というわけで、もっと早くに公開すべき記事でしたが、
まあけっきょくもはや授業改善に活かすことはできませんので、
公開してもしなくても同じだったのかもしれません。
慢心ていうやつですね。
アクティブラーニング主体の授業を構築できたことで満足してしまっていたのかもしれません。
授業づくりの道は長く険しいものですね。
こんなことを繰り返さずにすむよう、
他の授業では最後の最後まで気を抜かないように精進し続けていきたいと思います。