もうだいぶ前のことになりますが、「チンコはキレイ」 という内容のブログを書いたことがあります。
小学校のときの先生が 「オシッコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」 と教えてくれたという、
たいへん懐かしい、そしてきわめて私好みのお下劣なお話です。
小学校5、6年生のころの話ですから、もうかれこれ40年以上も前のことです。
あれから長い年月が経って、さまざまなテクノロジーが飛躍的な発展を遂げました。
それに伴いトイレ文化もすっかり様変わりしてしまいました。
私は幼少のころから洋式便器でないと大きな用を足せない人間でしたが、
20年前に福島大学に着任したころは、学内のどこにも洋式便器がなくて難儀したものでした。
駅や街なかのビルなんかでも洋式便器にお目にかかることはなかなかできませんでした。
その後少しずつあちこちに洋式便器が設置されるようになって、
私のトイレット生活もだいぶ快適になってきたころ、大きな変化が生じました。
温水洗浄便座 (いわゆる 「ウォシュレット」) が普及しはじめたのです。
初めて登場したのは1980年のことだそうですから、けっこう前の話です。
しかし、それが普及するのにはものすごい時間がかかりました。
私が着任した1994年の時点で福大には洋式便器すら整備されていなかったわけですから、
温水洗浄便座なんて夢のまた夢だったわけです。
一般に普及し始めたのは21世紀に入ってからくらいじゃなかったでしょうか。
ちなみに相馬の看護学校は13年前の開校当初から洋式便器ではありましたが、
ずっと温水洗浄便座ではなく、昨年の後期にやっと温水洗浄便座が導入されて、
私は今年度から初めてお尻を洗えるようになったのでした (上掲の写真が相馬のトイレです!)。
そんなこと言ったら白河はもっと遅れていて、
白河駅のトイレは昨年やっと和式から洋式に変わりましたが、
こんなタイミングであるにもかかわらずウォシュレットではありませんでした。
この日本発の素晴らしき文化が世界中のお尻を幸せにするにはまだまだ時間がかかりそうです。
ちょっと話が脱線してしまいました。
私は長いこと 「洋式便器でないと用は足さない」 をモットーにしてきましたが、
21世紀に入ったころから 「温水洗浄便座でないと用は足さない」 に宗旨替えしました。
常に行く先々で温水洗浄便座の配備されたビルやお店を確保しておいて、
いつでもお尻を洗えるような態勢を整えておくようになったのです。
もちろん自宅でも大学でも必ずお尻は洗っています。
洗わずに直接トイペで拭いたりすると必ず血まみれになり、激しく痛んでしまいます。
もはや私にとって温水洗浄便座は不可欠の文化であり、これなしで生きていくことはできないのです。
さて、そういう生活を送っていると、トイペというのはもうお尻を拭く (ふく) ためのものではありません。
お尻を洗い終わったあとにお尻についている水を拭う (ぬぐう) ためのものでしかないのです。
もっとはっきり言いましょう。
私はもはやトイペでウンコを拭いてはいないのです。
ウンコはすでに除去されていて、皮膚に残った水を拭いているにすぎないのです。
その場合、トイペを使った私の手は汚れているでしょうか?
例えば、お風呂に入ったりシャワーを浴びたあとバスタオルで身体についた水滴を拭きますが、
そのあとわざわざ手を洗ったりしますか?
洗いませんよね。
だってキレイになった身体の水分を拭き取っただけですからね。
まあバスタオルはトイペより厚いので、
バスタオルを通して手に汚れが付いたりはしないからという考え方もできますが、
そもそも身体を拭いたバスタオルを、濡れたとみなすことはあったとしても、
身体を拭いたことによって汚れたとみなしたりはしないですよね。
だとすると温水洗浄便座を使用したあとトイペでお尻を拭いたとしても、
その行為によって拭くのに使った手が汚れたりするわけではないのではないでしょうか?
つまり、あの先生の教えをもじって言うならば、「温水洗浄後のお尻はキレイ」 なのであって、
「温水洗浄便座でウンコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」
ということになるのではないでしょうか。
私たちは長年の習慣で、トイレで用を足したら (小であれ大であれ) 手は洗うこと、
という文化を身につけ、それが当然だと思うようになっていますが、はたして本当にそうなのか?
40年前にその常識の前半部分に対する懐疑を植え付けられた私は、
40年経って、その後半部分にも根源的な懐疑を突き付けるようになったのでした。
今後は、「トイレに行っても手は洗わなくていいんだ運動」 を全国に広げ、
さらには、ウォシュレットの普及とともに全世界へと拡張していきたいと思います。
小学校のときの先生が 「オシッコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」 と教えてくれたという、
たいへん懐かしい、そしてきわめて私好みのお下劣なお話です。
小学校5、6年生のころの話ですから、もうかれこれ40年以上も前のことです。
あれから長い年月が経って、さまざまなテクノロジーが飛躍的な発展を遂げました。
それに伴いトイレ文化もすっかり様変わりしてしまいました。
私は幼少のころから洋式便器でないと大きな用を足せない人間でしたが、
20年前に福島大学に着任したころは、学内のどこにも洋式便器がなくて難儀したものでした。
駅や街なかのビルなんかでも洋式便器にお目にかかることはなかなかできませんでした。
その後少しずつあちこちに洋式便器が設置されるようになって、
私のトイレット生活もだいぶ快適になってきたころ、大きな変化が生じました。
温水洗浄便座 (いわゆる 「ウォシュレット」) が普及しはじめたのです。
初めて登場したのは1980年のことだそうですから、けっこう前の話です。
しかし、それが普及するのにはものすごい時間がかかりました。
私が着任した1994年の時点で福大には洋式便器すら整備されていなかったわけですから、
温水洗浄便座なんて夢のまた夢だったわけです。
一般に普及し始めたのは21世紀に入ってからくらいじゃなかったでしょうか。
ちなみに相馬の看護学校は13年前の開校当初から洋式便器ではありましたが、
ずっと温水洗浄便座ではなく、昨年の後期にやっと温水洗浄便座が導入されて、
私は今年度から初めてお尻を洗えるようになったのでした (上掲の写真が相馬のトイレです!)。
そんなこと言ったら白河はもっと遅れていて、
白河駅のトイレは昨年やっと和式から洋式に変わりましたが、
こんなタイミングであるにもかかわらずウォシュレットではありませんでした。
この日本発の素晴らしき文化が世界中のお尻を幸せにするにはまだまだ時間がかかりそうです。
ちょっと話が脱線してしまいました。
私は長いこと 「洋式便器でないと用は足さない」 をモットーにしてきましたが、
21世紀に入ったころから 「温水洗浄便座でないと用は足さない」 に宗旨替えしました。
常に行く先々で温水洗浄便座の配備されたビルやお店を確保しておいて、
いつでもお尻を洗えるような態勢を整えておくようになったのです。
もちろん自宅でも大学でも必ずお尻は洗っています。
洗わずに直接トイペで拭いたりすると必ず血まみれになり、激しく痛んでしまいます。
もはや私にとって温水洗浄便座は不可欠の文化であり、これなしで生きていくことはできないのです。
さて、そういう生活を送っていると、トイペというのはもうお尻を拭く (ふく) ためのものではありません。
お尻を洗い終わったあとにお尻についている水を拭う (ぬぐう) ためのものでしかないのです。
もっとはっきり言いましょう。
私はもはやトイペでウンコを拭いてはいないのです。
ウンコはすでに除去されていて、皮膚に残った水を拭いているにすぎないのです。
その場合、トイペを使った私の手は汚れているでしょうか?
例えば、お風呂に入ったりシャワーを浴びたあとバスタオルで身体についた水滴を拭きますが、
そのあとわざわざ手を洗ったりしますか?
洗いませんよね。
だってキレイになった身体の水分を拭き取っただけですからね。
まあバスタオルはトイペより厚いので、
バスタオルを通して手に汚れが付いたりはしないからという考え方もできますが、
そもそも身体を拭いたバスタオルを、濡れたとみなすことはあったとしても、
身体を拭いたことによって汚れたとみなしたりはしないですよね。
だとすると温水洗浄便座を使用したあとトイペでお尻を拭いたとしても、
その行為によって拭くのに使った手が汚れたりするわけではないのではないでしょうか?
つまり、あの先生の教えをもじって言うならば、「温水洗浄後のお尻はキレイ」 なのであって、
「温水洗浄便座でウンコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」
ということになるのではないでしょうか。
私たちは長年の習慣で、トイレで用を足したら (小であれ大であれ) 手は洗うこと、
という文化を身につけ、それが当然だと思うようになっていますが、はたして本当にそうなのか?
40年前にその常識の前半部分に対する懐疑を植え付けられた私は、
40年経って、その後半部分にも根源的な懐疑を突き付けるようになったのでした。
今後は、「トイレに行っても手は洗わなくていいんだ運動」 を全国に広げ、
さらには、ウォシュレットの普及とともに全世界へと拡張していきたいと思います。