まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

荒れる成人式問題

2014-01-14 20:08:04 | 人間文化論
昨日は成人式であったそうで、まったく失念しておりました。
昔は1月15日が成人の日と決まっていたものですが、
最近は祝日の日にちがコロコロと変わるようになってしまって、
そうなって以来、私のなかではたんなる1月の3連休のうちの1日という位置づけになり、
成人の日という意識が完全に消え去ってしまいました。
ただ、その日が成人の日であったことは、その日の夜、または翌日に意識されることになります。
毎年必ず成人式で何かしら一悶着があって、それがニュースで報道されるからです。
今年もいくつか問題があったようですね。

「成人式「侍」逮捕 羽織で模造刀」(日刊スポーツ2014年1月13日)

「橋下市長ブチ切れ!騒ぐ新成人に一喝「出ていきなさい!」」(スポーツ報知2014年1月13日)

「【衝撃】東京都・世田谷区の成人式に暴走族が乗り込む→壇上に上がって大暴れ」(NAVERまとめ2014年1月14日)

私の見立てでは全体的にはだんだんと沈静化しつつあると思っているのですが、
それでも毎年毎年なにかしら起こってはいるようです。
というか、起こらないわけがないと思うんですよね。
20歳になったばかりの若者を何百、何千人と集めて大人しく聞いてくれると思うのが間違っているし、
久しぶりに地元で同窓生が集まれば友だちどうしの話題には事欠かないだろうし、
しかも成人式ですからアルコールはつきものでしょうし。
そもそも成人式なんてものを行政主導でやろうという企画そのものに問題があるように思います。
ちなみに私は横浜市だか何かでやってる成人式なんかには行きませんでした。
成人の日には小学校だか中学校だかの同期会が山下公園の氷川丸で開かれ、
あれはなかなかいい企画だったなあと思います。
(ただし氷川丸の床は平らではないので、
 その斜めになってる上で酒を飲んだらミョーに酔ったのを覚えています。)
そんなふうに自分たちで自主的に集まればいいんであって、
なんで行政がわざわざ騒動の種を蒔く必要があるのでしょうか?

前々からそんなふうに思っていたところ、今日見かけた記事は、
成人式というものがいつ頃からなぜ開催されることになり、
いつ頃から荒れ始めたのかということをまとめてくれていて参考になりました。

「荒れる成人式」 はいつから?

なるほどね。
もともと政治家の票集め (青田刈り) の場として始まっていたんですね。
そっちの都合で集めておいて 「出ていきなさい!」 と逆ギレされてもね。
みんなを静聴させられない自分の弁論術を嘆いたほうがいいんじゃないでしょうか。
まあ何にしてもこの儀式、要らないな。
少なくとも住民の税金を使ってやるほどの行事とは思えないんですがいかがでしょうか?


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
俺は行ったよ (おとうとさま)
2014-01-15 12:31:22
横浜市の成人式は、伊勢佐木町大通公園横の横浜文化体育館で、数区ごとの三部性くらいでありました。俺は行ったし、現地で大勢の同級生にあったよ。その後は、予めの約束に加えて、現地で自然発生合流者を交えて予約してあった山下公園の方面のパブで二次?会。中学、高校入り混じっての飲み会になって楽しかったです。

成人式ありかなしかで言えば、あり かな。

記念品は使えないものだったから、なしで。
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俺は行かない (仙人)
2014-01-15 23:02:27
30年前も行かなかったし、今俺が二十歳でも行かない。もしかしたら成人式に出る二十歳の人の数って今の方が多いんじゃないかな?俺や小野原さんの時代、成人式なんて全く話題にならなかったと思う。女性は違うのかな?俺の学部は女性がほとんどいなかったからわからない。
成人式を自治体が催しておいて、そこの首長が自分の話のつまらなさを棚に上げて、いやどんな面白い話だって二十歳の馬鹿者、失敬!若者か、が黙って話を聴くと想定していたことが驚きだし、そんでその想定の甘さを棚に上げて、繰り返すけど招いた方がだよ、出て行け、はないよ。だったら大阪市は成人式なんてやめればいいんだよ。
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参加しといて大騒ぎ (おとうとさま)
2014-01-17 19:30:05
集めておいて逆ギレ、とのご意見がありましたが、参加しないという選択肢があるにもかかわらず参加しておいて大騒ぎ、も言う側面もありませんか? 少なくとも私か参加した30年前にはなかった現象ですから、何か最近の教育とか環境が影響してますよ。

入社式は? 大学の授業は? 高校の授業は?

まさおさまは、生徒が興味を持つような仕掛けをして授業に望まれていますが、それでも私語を話す生徒がいると、授業を一旦停止し、他のものの授業をうける権利を妨害しないよう静かにするか、退室するかを選ばせるのできたよね。

バイトテロや子供虐待・放置死など、同根の問題のような気がします。

行く行かない有り無しが先ほどのコメント、集めて逆ギレに対するコメントがこちらです。
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古いっ (まさおさま)
2014-01-21 19:09:02
おとうとさまさん、コメントありがとうございました。
君ももうアラフィフだよね。
古いっ、古すぎる。
今どきの若者のことをわかっていなさすぎるっ。
参加しておいて大騒ぎ?
もうスタンダードです。
基本です。
大学の授業や高校の授業はとっくに崩壊しています。
こちら側が必死に努力した場合に何とか崩壊を食い止められている状態です。
私たちが学生だった30年前とは全然違うのです。

この問題を論ずるときに入社式に譬えるのは間違っているでしょう。
必死に就職活動してやっとの思いで入社した会社の入社式で騒ぐバカはいないよね。
しかも入社式ではほとんど知り合いなんていないんだから、
私語をする相手もいないだろうし。
同じ意味で大学の入学式も静かなもんです。
だけど、1週間も経てば大学の授業 (特に大人数講義) は私語だらけになります。

私はそういうもんだと思っています。
学校やお役所等々の権威や権力が失われてしまった現在、
好きで参加した以上じっと黙って静聴するべきだなんていう倫理は失われました。
大勢の若者を一堂に会させるなんていう企画を立てようと思う人は、
そこのところをわかった上で万全の対策を立てて臨むべきです。
しかしこれはなかなか困難な課題なので、
やらなくてすむんならやめといたら、というのが私のイチオシです。
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古き良き時代 (まさおさま)
2014-01-21 19:23:31
仙人さん、コメントありがとうございました。
ぼくの時代あたりからだんだん行く人が増え始めていたんじゃないでしょうか。
うちの弟は4つ下ですが、どうやらもうその頃には行くのがフツーになっていたようです。
そして弟の頃はまだその手の式典では静かにするという良識が残っていたようですね。
古き良き時代です。
その後、いつ頃からその良識が失われたのか?
先の記事によると80年代の終わりから90年代にかけて変化があったようですね。
私は仮説として携帯電話の普及と関連があるのではないかと思っています。
出先で簡単に人と待ち合わせられるし、広い会場でも人を探せるという技術が、
この問題の裏に潜んでいるように思うのです。
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