まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.道徳の授業で先生と意見が違ったらどうしたらいいんですか?

2014-09-15 19:31:43 | 哲学・倫理学ファック
こんな質問は初めて頂きました。
正確には次のような質問でした。

「Q.小学校の道徳の授業で担任と意見が異なり指摘を受けたという事がありました。
   それについてどう思いますか?」

素晴らしいですね。
道徳の授業って小学校と中学校でしかないんですが、
なんとすでに小学生のときに担任の先生と意見が違っていたなんて
小学校くらいだと道徳の授業ってもうすべて先生の言いなりで、
子どもたちも何とか先生の言うことに合わせようとするもんじゃないかと思うのですが、
先生の意見との違いをきちんと認識して、それをちゃんと先生 (やみんな) に伝えていたのですね。
本当に素晴らしいです。
先生が押しつけてくる道徳 (=倫理) に対して疑問を抱き、
自分なりに道徳 (=倫理) について思索をめぐらせていたわけですね。
それはまさに倫理学の第一歩です。
そんな小さな頃にもう倫理学に目覚めていたなんて
本当にうらやましいです。

私は学校の授業で先生の意見と自分の意見が食い違い、
それを押さえつけてしまうのではなく、きちんと自分の意見を主張できたのは、
高校のときの現代国語のときが初めてでした。
当時、私は国語は得意科目で、特に論説文なんかだとテストでも高得点を取れていたのですが、
文学は昔から苦手で、自分でも推理小説司馬遼太郎なんかは読んでいましたが、
国語の教科書に載るような純文学はまったく意味がわからず悪戦苦闘していました。
それでも中学までは先生が言うとおりの解釈をそのまま受け入れて、
テストでもそれをそのまま書いていればよかったので何とかなっていました。
しかし、高校の教科書で森鴎外の 「舞姫」 が出てきたときにもうどうしようもなくなりました。
授業受けているときからことごとく先生と解釈が異なるのです。
先生の言う解釈はもちろん指導書とかに記載されているとおりの、
一般的にも通用する正しい解釈だったのでしょうが、
私にはあまりにも美化されすぎているし、あまりにも当たり前すぎて受け容れがたいものでした。
それまでだったらテストのときは先生が好みそうな解答を書いてあげることができたのですが、
そのときはさすがに自分を抑えきれず、自分の思ったとおりの解釈を書き連ねて、
ことごとくバツをつけられてしまいました。
国語の成績がガクンと下がったのはあのときだけだったと思います。

高校生にしてようやく自我に目覚めて、自分でもいろいろと考えるようになっていた時期だったので、
よけいにあのときは自説を曲げることができなかったんだと思いますが、
質問者の方はすでに小学生のときにその境地に達していらっしゃったんですね。
私のように奥手だった人間からすると本当にうらやましく思います。
倫理学や哲学の素養満点だと思いますし、別に倫理学、哲学ばかりでなく、
すべての学問に懐疑の精神は必須ですから、
どんな分野であれ学問の道にも合っているのではないでしょうか。
今も看護学校でいろいろ学びながら、ただ先生方の言うことを鵜呑みにするばかりじゃなくて、
それはおかしいんじゃないとか、もっといい方法はないんだろうかと考えているんじゃありませんか?
そんなあなたは、しばらく看護師として現場で経験を積んだあと、
大学や大学院に戻って看護学の研究者を目指してみてはいかがでしょうか。
あるいはそこまで本格的にやらずとも、
看護学校教員養成講座を受講して指導者を目指すという手も考えられます。
人に教えるという仕事も、与えられた業務を自明のものとして受け取るだけでなく、
一度それらを根底から疑って自分なりに組み立て直すということをしないとできません。
ただ自分が社会科が好きだからっていい社会科の先生になれるわけではなく、
そもそもなんで社会科なんて勉強させなきゃいけないのというところまで遡って考えられる人だけが、
よい社会科の教師になれるのです。
看護師の教育もまったく同じことでしょう。
ぜひあなたには看護学の研究者か、後進の看護師の指導者になってもらいたいと思います。
というわけで今回の質問には以下のようにお答えしておきましょう。

A.小学校の道徳の授業で先生と意見が合わなかったというのは素晴らしいことです。
  あなたは小学生にしてすでに倫理学に目覚めていました。
  今後はぜひとも学問の道や後進指導の教育者の道を目指してみてください。


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