まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

権利と人権に関するQ&A

2014-05-04 17:39:25 | 哲学・倫理学ファック
福島大学での 「倫理学概説」 は今週からやっと本題に入ってきました。
前回は 「権利と人権」 の違いについて講義しました。
その両者の違いについてちゃんと教えてもらったことのある人は少ないらしく、
「今まで考えたこともなかった」、「初めて知った」 等の感想が多く寄せられていました。
いくつか質問をいただきましたので、今日のところは答えやすそうなもののみ簡単に答えておきます。

Q-1.人間以外のものには権利はないのでしょうか?
A-1.人間以外のものには権利はありません。

なぜなら、人間以外の動物などは 「正しい right」 という観念をもっていないからです。
質問者の方は例として、盲導犬は電車やバスに乗ることができるが、
それは盲導犬の権利なのか、飼い主である人間の権利なのか、という疑問を挙げてくれました。
当然のことながら後者です。
盲導犬自身が、自分は盲導犬なのだから電車に乗る権利があると主張したりはしません。
その犬を電車に乗せることは正しいことであると主張・要求するのは飼い主である人間だけです。
動物や自然の生存が脅かされている今日、
動物や自然にも権利があるとみなすべきだと主張する倫理学者はいますが、
それもけっきょく 「みなす」 というだけのことであって、
そうみなすことができるのは人間だけでしょう。
動物や自然物自身は自分にそういう権利があるなどと考えてみることもできないでしょう。

Q-2.権利と人権が一致することもあるのですか?
A-2.権利と人権が一致することはあるかもしれません。

これは質問者がどういう点に関して聞いているかによるのですが、
こんなふうに書き足してくれていました。
「権利は実定法のもとに認められるということでしたが、
 実定法において人権という理想が実現されれば2つは同じものになるのではないかと考えました。」
そういう意味でおっしゃっているのならたしかに両者は一致することがあります。
例えば現行の日本国憲法という実定法においては基本的人権の尊重が前文で高らかに謳われ、
それが条文のなかでもそこかしこで成文化されているわけですから、
人類の理想である人権が実定法のなかで実定的な権利として認められていることになります。
そのような意味において権利と人権は一致することもあると言うことができるでしょう。
もっと内容的な問題として、人類全般に当てはまる権利としての人権と、
資格を有する者のみに認められる権利という区分に立つならば、
権利と人権はまったく別物という考え方もありうるのではないかと思います。

Q-3.神が人間に与えた自然権が、時代や地域を超越した普遍的な権利でありうるのですか?
A-3.それぞれの宗教内部ではそう考えられていました。

この質問、正確には次のような質問でした。
「Q.神が立法した自然法は時代や地域を超越した法であるとのことでしたが、
   神の考え方は時代や地域によって違うので
   そもそもの意味がおかしいのではないかと気になりました。」
このように自然権についての質問というよりは自然法に関する質問でしたが、
お答えとしては同じになるのだろうと思います。
神についての考え方は時代や地域によって違うというのは、
現代の日本においてはたしかにそう考えられているかもしれませんが、
そう考えているのはごく少数派であるということは自覚しておいたほうがいいと思います。
実際に信仰をもっている人たちはそんなふうには考えていません。
彼らが信じている神こそがこの世界を創造したのであり、
時代や地域に関わりなく神の定めがこの世を支配していると信じています。
現代においてもそう信じている人々のほうが多数派なのです。
もちろん最近の哲学・倫理学はそれに対して異を唱える場合が多いですが、
ほんの数百年前までは哲学・倫理学の世界でも神は絶対であり、
その神が与えた自然法や自然権は普遍的なものであると考えられていました。

Q-4.fundamental right とは一体どういうものなのですか?
A-4.人権 (=基本的人権) のことです。

ちょっと何を聞かれているのかよくわからないのですが、
fundamental human right は 「基本的人権」 と訳されますが、
授業でもお話ししたとおり、ただ 「人権 human right」 と呼ばれることも、
ただ 「基本権 fundamental right」 と呼ばれることもあり、いずれも同じものです。
基本的人権 (=人権、基本権) のなかに具体的にどのような権利が含まれるのか、
という趣旨のご質問だとすれば、それに関しては来週以降考えてもらったり話したりする予定です。

Q-5.『新明解国語辞典』 では人権は 「人間に当然与えられるとされる権利」 となっていたが、
    「~とされる」 と書いてあることでどういう意味が含まれてくるのか疑問に思いました。
A-5.人権が事実として人間に与えられているのではなく、
    価値判断を含んだひとつの思想 (考え方、理想) にすぎないということを意味しています。

ていうか、授業ではずーっとこのことを強調しながら話し続けていたつもりなんですが、
わかっていただけなかったのでしょうか。
ワークシートの感想を読むと多くの人には理解していただいていたようにも思うのですが…。
もう一度ノートを読み返してみて、それでもわからなければ直接質問に来てください。

Q-6.人権はすべての人に認められるという点において、
    ここで認めるのは誰なのか、何が人権を保障してくれるのですか?
A-6.人間の理性です。

これはQ-3とQ-5に関わってくる質問です。
権利は実定法や裁判所によって認められ、自然権は神によって与えられているわけですが、
では現代における人権は何によって認められ、保障されているのでしょうか。
もちろん人権というのはひとつの思想にすぎないのですから、
そんなものは何によっても認められていないし保障されていないと考える人たちもいるわけですが、
人権を擁護する立場の人間は上記のように答えるでしょう。
数学の正しさや普遍性は人間の理性に由来しています。
数学の公理や定理はいつの時代であろうとどこの国であろうと、
人間が理性を正しく働かせれば誰でも到達し理解することができます。
それと同様に、人間と人間がこの地球上で共存していくにはどうしたらいいかということを、
理性にもとづいて冷静に論理的に考えていくならば、
すべての人間が人権を有しているというように考えざるをえない、
それが最も理性に適った合理的な社会システムであると誰もが考えるはずである、
と人権擁護派は主張するのです。
したがって、人権を認めたり保障したりするのは人間の理性であると答えておきたいと思います。

とりあえず答えやすそうなものからお答えしてみました。
答えにくいものに関しては、うまい答えを思いついたらお答えしたいと思います。
毎週4時間の自習が必要ですので、このブログや参考文献、
その他ニュースやドラマ、映画などを見てGW中も常に倫理学のことを考え続けていてください。

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