まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.この世に曖昧ってあるんでしょうか?

2016-10-30 19:19:04 | 哲学・倫理学ファック
今年の郡山の看護学校には、第1回目のときに限らず、
毎回のように振り返りシートに質問を書いてくれた方がいらっしゃって、
先日お答えした 「Q.文化と文明は違うものですか?」 という問いもその方からの質問でした。
あれは第2回目の授業に関連した質問でしたが、
その後は授業の内容とは関係なくいろいろな質問を出してくれていました。
たぶんもともと哲学・倫理学の素養があった方なんでしょうね。
今回のはずいぶん哲学的な問いです。
けっこう長々と質問を書いてくれていました。
たった90分の授業のなかのどこにそんな時間があったのかと思うくらい、
授業とは関係のないことを詳しく説明してくれていました。

「曖昧って何なんでしょうか。この世に曖昧ってあるんでしょうか。
 例えば、信号機の赤と青。
 信号機の赤と青は黄があるからこそ赤と青の区別がはっきりとする。
 赤と青だけだったとしたら事故が多発するか、警察につかまる人が増える。
 これは、曖昧な黄が確実にあるためになりたっている。
 こうなると曖昧なものは確実なものとなる。
 さらに飛行機の揚力は未だに誰も説明がついていないにもかかわらず飛行機は飛ぶ。
 曖昧なものは確実にあるとなると、この世に曖昧とはあるのでしょうか?」



ね?
とても哲学的でしょう?
質問された当初は言ってることが難解でうまく理解できなかったのですが、
何度も読み返しているうちに、だんだん質問者の真意が見えてきたように思います。
問いは2つあります。
ひとつめの問いは 「Q.曖昧とは何なんでしょうか?」 ですが、これは本丸ではなく、
2番目の問い 「Q.この世に曖昧ってあるんでしょうか?」 が本来の疑問のようです。
この問いの力点を見きわめると、この問いに対する答え方が見えてきました。
最初の問い 「Q-1.曖昧とは何か?」 にはいつものように辞書を使ってお答えすることにしましょう。

デジタル大辞泉の解説
あい‐まい【曖昧】[名・形動]
1 態度や物事がはっきりしないこと。また、そのさま。あやふや。「曖昧な答え」

大辞林 第三版の解説
あいまい【曖昧】( 名 ・形動 ) [文] ナリ 
〔「曖」も「昧」も暗い意〕
1 はっきりしないこと。確かでないこと。ぼやけていること。また、そのさま。あやふや。 「態度が-だ」 「 -なことを言う」

ウィキペディアの解説
曖昧(あいまい)とは、1つの表現や文字列、項目などが2つ以上の意味にとれること、もしくは、周辺が不明瞭なことである。


大辞泉と大辞林にはどちらにも2番目の意味が載っていますが、
それは私でも使わないような古い意味ですのでここでは引用しないでおきます。
(気になる方は自分で調べてみてください。)
これら2つの辞書によれば、要するに 「曖昧」 とははっきりしないこと、確かでないことのようです。
それに対してウィキペディアの説明はちょっと毛色が違っています。
これはもともとウィキペディアというのが英語で作成されたものを元にしていて、
英語の ambiguity (多義性) という語に引きずられてこうなっているものと思われます。
多義性の 「義」 とは言葉の意味を表す漢字で、
ambiguity とか多義性という語は、ひとつの言葉や表現がいろいろな意味をもつことを指しており、
ウィキペディアはそれを中心に解説してくれているわけです。
日本語の 「曖昧」 というのは別に言葉の意味に限って使われるわけではないので、
もうちょっと広く、はっきりしないこと、確かでないこと一般に対して使用できる語だと思います。
これら3つの定義をまとめると以下のようになるかと思います。

A-1.曖昧とは、物事や言葉の意味や態度等がはっきりしないこと、確かでないことです。

物事や言葉の意味や態度がはっきりしないとはどういうことか、
質問者の方が信号機の例を出してくれていましたので、それを使って説明してみましょう。
まず物事がはっきりしないというのはどういうことかというと、
例えば赤や青や黄という色は光学的、色彩学的に言えば、
赤は赤、青は青、黄色は黄色とはっきり決まっています。
しかし赤と青を混ぜると紫になり (紫は紫ではっきり決まっているのですが)、
その赤と青の配合バランスによって無限のバリエーションの色を作ることができ、
赤とも青とも (そして紫とも) はっきり決めることのできない無数の曖昧な色が存在します。
これが物事がはっきりしない、確かではないということです。

言葉の意味がはっきりしないというのは、
普通 「青」 という言葉は先ほどのきっちりと決まった青色、
ならびにその周辺の青に近い曖昧な色のことを指して使われますが、
ところが信号機の例で言うならば、全然青ではなくて緑色なのに、
「緑信号」 と言わずに 「青信号」 と言ったりします。
また、青いという形容詞は、色とは関係なく未熟なとか若いという意味でも用いられます。
このように青に限らず言葉というのはどんな言葉もはっきりとひとつの意味だけをもつわけではなく、
いろいろな意味をもつ曖昧なものなのです。

態度がはっきりしないというのは、たぶんこれまで生きてきてたくさん目にしてきたでしょうし、
自分自身も態度をはっきりさせなかったことはいくらでもあったのではないでしょうか。
信号機を作った人は最初は、青=進め、赤=止まれの2つだけで考えていたのかもしれませんが、
車が止まるにも、人間が横断歩道を渡りきるにも時間がかかりますので、
ちょうど信号が赤になった瞬間に交差点のなかにいた人や車はどうしたらいいんだろうと考えて、
進めとも止まれともはっきりしない別の態度が必要だと思い至り、
黄色ないしは青の点滅というものを赤と青の間に加えたのだろうと思います (ただの想像です)。
黄色信号を見た人の態度もまちまちで、黄色は加速と思っている人もいるだろうし、
黄色は減速して停止と思っている人もいるだろうし、
同じ人でもそのときの交差点までの距離やスピードや交通状況によって態度を変えたりするでしょう。
黄色信号という曖昧なメッセージに対しては、対応の仕方も曖昧になるわけです。
また、黄色は加速と思っている人はたいてい赤になってから交差点を通過したりするものですが、
それを見かけたおまわりさんも、全部が全部信号違反で逮捕するかというとそうでもなくて、
まあ今のはぎりぎりセーフかなとか、これは完全にダメでしょうとか、
ケースバイケースで逮捕したりしなかったりいろいろな態度を取っているのではないでしょうか。
これもはっきりとしない曖昧な態度だと言えるでしょう。

さて、ここからが今回の質問の本題になるわけですが、
このようにこの世には曖昧なものが確実に存在しています。
そうなると曖昧なものははっきりと存在する確かなものとなり、
だとすると曖昧なものではなく確実なものとなってしまうので、
曖昧なものなんてこの世には存在しなくなってしまうのではないか、
というのが第2の問いでした。
もう一度ご質問を見てみましょう。

「これ [信号のシステム] は、曖昧な黄が確実にあるためになりたっている。
 こうなると曖昧なものは確実なものとなる。
 曖昧なものは確実にあるとなると、この世に曖昧とはあるのでしょうか?」

たしかに先ほど見たように定義上、曖昧とははっきりしないこと、確かでないことでした。
しかし、曖昧なものははっきりと確かに存在しているわけで、
だとするとそれは曖昧なものではなく確実なものになってしまうのではないか、
というのがご質問です。
はっきり申し上げましょう。
これは 「曖昧」 という言葉の意味の曖昧さ (=多義性) によって生じてきた錯誤です。
したがって 「曖昧」 という言葉の意味をはっきり区別することによって答えることが可能です。

先に私はいくつかの辞書を統合して次のように 「曖昧」 という語を定義しておきました。
「曖昧とは、物事や言葉の意味や態度等がはっきりしないこと、確かでないことです。」
先に説明した3つ (物事、言葉の意味、態度) のあとに慎重に 「等」 を付しておいたのですが、
お気づきだったでしょうか。
今回の質問者が最後に 「曖昧」 という言葉に託していたのは、
物事、言葉の意味、態度の曖昧さということではなくて、
この世にあるかないかがはっきりしない、確実ではないという、存在の曖昧さだったわけです。
質問者のロジックを次のように論理的に整理してみましょう。

・曖昧なものは確実に存在する
・確実に存在するものは曖昧なものとは言えない
・ゆえに曖昧なものは存在しない

これだけ見ると一見正しい推論であるかのように見えますが、
「曖昧」 という語に多義性があり、第1文と第2文の 「曖昧なもの」 が別の意味で使われているので、
この推論は成り立たないわけです。
第1文で言う 「曖昧なもの」 とは、物事や言葉の意味や態度に関して曖昧なものです。
(質問者の出した信号機の例は、態度の曖昧さの例になるのかな?)
それに対して第2文で言う 「曖昧なもの」 は、存在に関して曖昧なものです。
したがって第1文の意味での 「曖昧なもの」 が第2文の意味での 「曖昧なもの」 とは言えないので、
第3文のような結論を導き出すことはできないのです。

それでは、存在に関して曖昧なものとはどういうものでしょうか?
あるかないかがはっきりしない、確かではないものということですね。
例えば、神様とか天国とか幽霊とか超能力といった超自然的なものは存在が曖昧です。
(超自然的とは、私たち人間の普通の五感によって捉えることのできないものです。)
超自然的とは言えないものの、今のところ人間が経験的に出会ったことのないもの、
例えば、宇宙人はいるかもしれないしいないかもしれないし、その存在ははっきりしません。
さらに言えば、現代科学の最先端で唱えられている仮説のひとつであるビッグバンなども、
今のところ多くの傍証から大方の科学者の賛同を得られているようですが、
まだ解明しきれていない謎も残されているようで、
この先まったく別の仮説に取って代わられるという可能性がないわけではありません。
となるとビッグバンが本当にあったのかなかったのか、その存在は曖昧と言えるのかもしれません。
何と言っても138億年も前の話ですから、それ自体を私たちが経験することはできないのでね…。
存在に関して曖昧なものというのはこういうようなもののことを指すのでしょう。
なお、質問者の方は存在が曖昧なものの例として揚力を挙げてくれていましたが、
どうやらこれ (揚力は科学的に証明されていないという言説) は最近広まった都市伝説のようです。
揚力はすでに100年前にその複雑なメカニズムが解明されているそうなので、
詳しくはこちらをご覧ください (「飛行機はなぜ飛ぶのかまだわからない??」)。
揚力は別としても、存在が不確かという意味での曖昧なものというのはいろいろとあることでしょう。

それに比べて、私たちが今目の前に見ている様々な、何色とはっきり特定できない曖昧な色は、
この世にしっかりと存在しています。
オスともメスとも分類することのできない、未分化であったり、両性具有であったり、
時や条件とともに性が変わってしまうような、性の曖昧な動物もたしかに存在しています。
いろいろな意味を表すことのできる 「青」 とか 「曖昧」 というような言葉もたしかに存在しています。
ふだんの人間関係のなかで煮え切らない曖昧な態度なんていくらでも見たことがあるでしょう。
それらはいずれも曖昧なものですが、存在に関して曖昧なわけではなく、たしかに存在しています。
たしかに存在はしているのですが、だからといってそれらが曖昧でなくなるわけではないのです。
というわけで第2の問いに対するお答えは次のようにまとめておきましょう。

A-2.物事や言葉の意味や態度に関して曖昧なものはこの世にたしかに存在しています。
    たしかに存在しているので、それらは存在が曖昧なものの中には含まれませんが、
    物事や言葉の意味や態度がはっきりしないという意味で 「曖昧なもの」 として存在しています。

いかがでしょう、これで納得いただけたでしょうか?
哲学の一部である論理学には、「媒概念曖昧の虚偽」 というのがあるので、
今回はそれを参考にしながら答えてみましたが、
たぶん今回のケースに 「媒概念曖昧の虚偽」 を直接適用することはできない気がします。
それよりも哲学の歴史のなかには神の存在証明というとても大事な仕事があったのですが、
今回のご質問はその神の存在証明とはちょうど反対の 「曖昧の非存在証明」 になっていて、
とても面白かったと同時に、これにお答えするにはとても頭を使いました。
たぶんこういう答え方でよかったんだろうと思っていますが自信があるわけではありません。
(実は1カ所、自分で書いていてこれは矛盾してるなと思っているところがあります。)
ご自分でもさらに考え続けてみて、納得いかなかったらまたコメント欄に質問してください。

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