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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

メガネが歪んだ

2016-08-01 19:31:31 | 人間文化論
先日、深酒をしてしまいました。

まあたいてい飲むときは深酒になっちゃって、

夜中か朝にふと気づくとソファで寝ていたということはよくあるんですが、

今回はソファですらなく、ソファの下の床に横たわっていました。

で、ソファで寝ていたときっていうのはテレビつけっぱなしで、

それゆえにメガネもかけっぱなしということが多いんですが、

今回はテレビも見ずに、ソファに上がることもできずに倒れてしまっていたようです。

そして、メガネがないんです

私、以前に書いたことがありますが、

ド近眼なものでメガネがないとメガネを探すことができません。

これは毎朝のことですので、寝るときにはメガネを置く場所を決めているのですが、

それはきちんとベッドで寝ることができた場合の話です。

そもそもベッドに行くことができなかった時点で、このシステムは崩壊するわけです。

さすがの私も床で寝てしまうことなんてそうありませんから、

そうなってしまって目が覚めてメガネがないとなると、

本当にどこにあるのかまったく見当がつかなくなってしまうわけです。

その日も本当に困りました。

裸眼で何とか探してみますが見つかりませんし、

手近なところを手探りで当たってみましたがやはりどこにもありません。

ベッドサイドのメガネの定位置にはひとつだけではなくて、

予備のメガネも含めて全部で3つあります (今はひとつ紛失中なので2つ)。

しかたないので立ち上がって寝室まで 「メガネを探すためのメガネ」 を取りに行こうと考えました。

気をつけなければいけないのは、立ち上がって歩くときに踏んづけたりしないことです。

と思ってそっと立ち上がり、そこらにメガネは落ちてないだろうかと注意深く一歩踏み出したときです。

足の裏に柔らかく弱々しい何かをメリッと踏みつけた感覚が伝わってきました。

ガーン

なんだよ、あんなに気をつけていたのに一歩目で踏んじゃうのかよ。

しかも、あんなに探し回って見つからなかったのに、こんなに近くにあったのかよ。

とにかく 「メガネを探すためのメガネ」 はもう必要なくなりました。

やっと見つかったメガネをかけてみます。

すると何だか違和感があります。

一度外して見てみると、鼻パッドが微妙に歪んでいるように見えます。



が、鼻パッド部分は可動なので掛け心地にそこまで差が出るとも思えません。

もう一度かけてみると、違和感はさらに強まります。

ツルの部分が問題なのでしょうか?

テーブルに置いてみます。



おお、片側が浮いてしまっているじゃないか。

これはやっぱり全体に歪んでしまっているんですね。

ツルを閉じてみたら歪み具合がはっきりとわかりました。



なるほど、さっきの浮いてしまっていたほうではなく、

テーブルに接地していた右側のツルのほうが歪んでいたんですね。

これはもう実用に供することはできません。

どこかで修理してもらうことにいたしましょう。

この話まだ続くんですが、こんなに長々と話すことになると思っていなかったので、

今日のところはひとまずここで筆を置かせていただきます。

一言でまとめると、どんなに気をつけていてもダメなときはダメだというお話でした。

アメリカ初の長編映画 『国民の創生』

2016-07-09 11:43:18 | 人間文化論
7月29日 (金) は 『FAKE』 でシネマdeてつカフェですが、

その約1週間前の7月23日 (土) には 「フォーラム福島」 で、

D・W・グリフィス監督作品 『国民の創生』 が上映されるそうです。



1914年撮影、1915年に公開されたサイレントの白黒映画で、

アメリカで初めての長編作品とのことです。

私は映画には疎いのでまったく知りませんでしたが、

先日一緒に飲んでいたときに、フォーラムの阿部さんがこの映画について熱く語ってくださいました。

グリフィス監督は 「映画の父」 と呼ばれているそうで、

この最初の長編映画でもさまざまな技法が試されているし、

俳優にスポットが当たるようになったのもこの映画からだったそうです。

時代が時代だったのでストーリーには人種差別的な色合いが含まれていて問題視されていた、

ということもちょっと奥歯に物のはさまったような感じで教えてくれました。

その後調べてみるとたしかに物語としてはトレランス (寛容) をテーマにしているものの、

それは南北戦争の頃の南部の白人と北部の白人のあいだの寛容であって、

黒人に関しては一貫して差別的に描かれていて、

上掲のポスターに描かれているのはKKKですが、それがこの映画のヒーローなんだそうです。

しかし、そうした問題を踏まえた上でも、この映画の歴史的価値が減ずるわけではないでしょう。

100年前の白人の価値観がそのままストレートに表現されているというのは、

倫理学的に見ても意味あることだと言えるのではないでしょうか。

映画の技法や映画の歴史のことはわからなくても一見の価値はありそうです。

その映画が 「フォーラム福島」 で7月23日に1回限り上映されるそうです。

昨年の3月に 「てつがくカフェ@ふくしま特別編5」 をフォーラムでやらせてもらったとき、

映写室にもおじゃまさせてもらったんですが、

『ニュー・シネマ・パラダイス』 で見たような映写機がドーンと据えられていました。

しかしながら、デジタル化の波は映画の世界にも及んでいて、

今ではほとんど映写機でフィルムを回すことはなく、すべてDVDでの上映になっているんだそうです。

ところが今回の 『国民の創生』 は、

国立近代美術館フィルムセンターからお借りしたフィルムでの上映ということで、

スタッフ一同今から戦々恐々としているという裏話もうかがいました。

フィルムをセットして回せばいいだけのことかと思っていましたが、

なんとフィルムは (元の165分版で) 12巻もあるそうで、これを次々と差し替えながらの上映で、

1回限りの上映でたぶんヘトヘトになり、これを何度も上映するなんて考えられない、

とあの映画の達人の阿部さんが顔をしかめて話してくれましたので、きっと本当に大変なのでしょう。

(今回上映されるのは125分版のようです。)

そんな阿部さんたちをはじめとするスタッフの皆さんの、

映写室での苦心惨憺ぶりを想像しながら見るのも一興かと思います。

7月23日 (土) 13時からはぜひ 「フォーラム福島」 で 『国民の創生』 をお楽しみください

地球温暖化の証拠写真

2016-05-29 09:37:39 | 人間文化論
うちのクルマのダッシュ-ボードに付いてる外気温表示機能が、

摂氏温度ではなく華氏温度になったまま固定されてしまったという話はもうずいぶん前に書きました。

今のクルマをもらったのが2012年の4月で、

その年の12月にはもう華氏表示になってしまっていましたので、

華氏温度とももう3年半ぐらいの長い付き合いです。

華氏なんて大っ嫌いでしたが、これだけ長い付き合いになるとさすがに慣れてきました。

摂氏と華氏を換算する計算式↓なんてゼッタイに覚えられないと思っていましたが、

F=9/5C+32

C=5/9 (F-32)

これをこのまま覚えるのではなく、その意味を覚えたら、

華氏表示を見てだいたいの摂氏温度がわかるようになってきました。

一番重要なのは華氏32度が摂氏0度であるということです。

換算式のいずれのなかにも出てくる32という数字はそのことを表しています。

そして、9/5とか5/9という分数は、

摂氏5度分が華氏だと9度に当たるということを意味しています。

もう一声、10度にしてくれていたらまだわかりやすかったのに、

5度分が9度に当たるというビミョーな中途半端さ加減が華氏をわかりにくく、使いにくくしています。

それはさておき、覚えるときには倍にして摂氏10度分が華氏だと18度に当たると覚えました。

そうするとこうなります。

摂氏0度=華氏32度

摂氏10度=32+18=華氏50度

摂氏20度=50+18=華氏68度

摂氏30度=68+18=華氏86度

たまたまの偶然でしょうが、摂氏10度のところが華氏だとぴったり50度になりますので、

あとは18ずつ足していけば20度、30度になるわけです。

68と86も1の位と10の位の数字が入れ替わっただけですから比較的覚えやすいです。

5度刻みにするならこれらにプラス9してあげればいいわけです。

摂氏5度=32+9=華氏41度

摂氏15度=50+9=華氏59度

摂氏25度=68+9=華氏77度

摂氏35度=86+9=華氏95度

これらの奇数はなかなか覚えられるものじゃありませんが、

まあそのつど計算すればいいでしょう。

という感じでこの3年半のあいだに、

華氏表示を見たらだいたいの摂氏温度がわかるようになってきました。


で、先日 「等差数列ドライブ」 の話を書き、

そのために以前の 「ゾロ目ドライブ」 の記事も見返してみたわけですが、

見るともなく走行距離表示の下の華氏温度も見てしまい、その数値にビックリしました。

2016年4月7日の写真がこれです。



華氏50度って先ほど出てきたばかりだから見覚えがあります。

摂氏10度ジャストです。

それに対してその3年前のほぼ同時期、2013年4月11日の写真がこれです。



おおっ、40度を割っているじゃないか。

華氏41度が摂氏5度でしたから、これだとだいたい摂氏4度くらいのはずです。

どちらも相馬の看護学校の初日でしたが、華氏で11度、摂氏にして6度も温度が違うんですね。

昔だったらこの数字を見ても何も感じなかったかもしれませんが、

華氏温度に精通してしまった今、2枚の写真を見比べてみて、

なんだかんだで地球は着実に温暖化しているんだなあと実感してしまったというお話でした。

「第45回 伝統工芸 日本金工展」 行ってきました!

2016-05-16 08:07:21 | 人間文化論
先日 「第45回 伝統工芸 日本金工展」 のことをご紹介したときに、
「どこかのタイミングで見に行ってみたいものです」 なんて書きましたが、
そういうのって言うまでもなくただのリップサービスで、
実のところ 「本当に行ける」 とか 「本当に行こう」 なんて微塵も思っていなかったわけですが、
一昨日思いがけず東京で時間が空いてしまったので本当に行ってきました、足立区の石洞美術館。
京成線の千住大橋駅というのはまったく初めて聞いた駅でしたが、
日暮里から京成線に乗り換えて3駅のところにありました。
東京23区内の、山手線日暮里駅からもそんなに離れていないところなのでまさかとは思いつつも、
名前を聞くかぎりつい横穴式の石洞の施設を期待していましたが、
やはりそんなわけはありませんでした。



しかし、付近の街並みからは完全に浮いた素敵な建物でした。
そして入口部分はちょっとだけ石洞風。





中は撮影禁止だったのでご紹介することができませんが、
そんなに広すぎず、展示を見ながら自然と1階から2階へ上がってゆける造りの、
とてもいい雰囲気の美術館でした。

今回は、「第45回 伝統工芸 日本金工展」 の受賞作と入選作を中心に、
あとは重要無形文化財保持者や審査員らの作品147点が展示されていました。
いやあ見に来てよかったです。
ひとりで心ゆくまで楽しませていただきました。
こういう工芸品の展覧会はたいへん私向きかもしれません。
純粋な美術品よりも、自宅で使えるかどうか、どんなふうに使いたいか、
本当に欲しいかどうか、売ってもらえるとしたらいくらだったら買いたいか、
そんなことを考えながら見て回ることができ、
最終的に1個もらえるとしたらどれをもらおうかなあなどと、
意味もなく悩みまくりながら何度も行ったり来たりしていました。
で、けっきょくこんな物まで買ってしまいました。



美術館とか行ってこういうカタログ的なものを購入したことなんてほとんどないんですけど…。
こないだのフェルメール展でも手ブラで帰ってきたし。
だけど、とにかく楽しかったのでぜひブログネタにしようと思い、
でも館内で作品の写真を撮ることは不可だったから、どうしても欲しくなってしまったのでした。
あの卒業生からチケットはいただいていたので (入館料500円)、
この1,000円のパンフレットを買っても大した出費ではないなという打算も当然ありましたし。
中にはこんな感じで全展示作品が掲載されています。



このページは茶道用のお釜がたくさん載っていますね。
作品としてはこうした茶道具と花器が一番多く、
その次がブローチや帯留めなどの装飾品、そして食器類、香合や小箱などという感じでした。
私、こう見えて大学生時代には茶道を習っていたことがあるので、茶道具には若干興味があります。
しかし、その場合も美術品としてではなく、実際に使ったらどうかという観点で見ていました。
こちら↓は今回の受賞作品のひとつです。



まん丸の手鞠状に仕上げて、蓋を曲線的な六角形にしてあるところなどとても素敵ですが、
これちょっとお湯汲みにくいだろうなあ、柄杓があの曲線部分に引っかかっちゃうんじゃないかなあ、
などと心配してしまうのでした。
審査員の方のこの作品↓も、



見ている分には、この 「○△□文」 がとてもいい感じでしたが、
やはり筒釜というのは細長い分、お湯を汲むときどうなんだろうなあと考えていました。
(まあ、久しくお茶を点てていませんので実際にやってみないとわからないんですが…。)
それよりはこちら↓のちょっと赤みがかったやつが使い勝手は一番よさそうでしたし、



一番のお気に入りはただの入選作のこちら↓でした。



この写真じゃわかりにくいと思いますが、
名前どおり手前部分に岳景が立体的に浮き彫りにされています。
これは欲しいですねえ。
最後まで悩みましたが、もうお茶やらないしなあ、
炉に炭をくべて、お釜でお湯沸かしてる余裕ないもんなあ、
卒業生にもらったティファールの電気ケトルで十分だよなあ、
と、うじうじと考え続けて最後の一個に選ぶのはあきらめました。
(最後の一個に選ばれたからといってどうということはないのですが…)
が、まあそれくらい気に入っていたということです。
茶道具といえば、このお茶入れ↓も素敵でした。



今までのお釜の写真と比べて縮尺がわからないかもしれませんが、これは小さな物です。
「杢目金打出茶器」 と名前が付けられていますが、
「杢目金」 とは 「種類の異なる金属板数十枚を、原子拡散反応を応用して接合加工し、
圧延切削を繰り返して文様を作り出す技法」 のことであり、
「打出」 とは 「金属の板を叩いて部分的に地金を延ばして三次元の立体にする技法」 だそうです。
「ちょっと何言ってるかわからない」(by サンドイッチマン) ですが、
さすがは受賞作だけあってとても繊細な造りです。
ただこれもお抹茶なんてうちではもう飲まないからなあ。
飾っておくだけでも素敵かもしれませんが、こういう物は使ってナンボだからなあ。
別の使い道もなさそうだしなあ。
というわけでこれも残念ながらまさおさま賞には落選です。
この表紙に載っていた小箱↓。



これも堂々の受賞作で、金と黒の色使いがとてもいいんですが、
パソコン全盛の時代にこれをどう使えばいいのか思いつかなかったので落選。
同様にこちら↓も、



「切嵌象嵌接合 (きりばめぞうがんはぎあわせ) 小箱」 というものだそうですが、
切嵌象嵌が 「金属の素地そのものを切り抜いて透かし、
そこへ別の金属を嵌め込み、鑞付けする技法」、
接合せが 「二種類以上の金属を鑞付けした金属の板を、打ち延ばして成形する鍛金技法」 だそうで、
きっとものすごい物なんだろうとは思いますが、やはりうちでは利用法が思いつかず落選です。
小物っていうことで言うとこれ↓もとってもキレイな作品でした。



細い銀線で編まれた香合です。
うちではお香とか焚いたりはしませんが、これならアクセサリー入れとかには使えそうです。
ただこういう造りだと、使ってるうちにこの細い銀線の隙間に埃やら汚れがたまってしまい、
この白銀の輝きがすぐに失われあっという間に黒ずんでいくんだろうなと想像できて却下です。
花器もたくさん出品されていましたが、
残念ながら私は自然ギライで生花を活けたりもしないので、花器というだけで評価が下がります。
こちら↓は審査員の方の作品です。



造形的に素晴らしいし、色やデザインもいいのですが、
これってホントに花瓶にしか使えませんよね。
うちにはちょっと…。
それに比べるとこれ↓は!



大きさ的に言ってもひょっとするとティッシュボックスに使えるのではないかと思って、
相当何度も前を行ったり来たりして検討したのですが、
最終的に、下に穴が開いているわけではなくて、
ティッシュを入れるのもこの上の穴から入れなければいけないのだとすると、
ちょっと実用には供することができないだろうなと思いあきらめました。
あとは一輪挿しではなく、こういうドカンとした花器↓ですね。



あるいはこれ↓とか。



こういうのはワインクーラーに使えるんではないでしょうか?
色的には最初の金色のやつのほうが素敵ですが、
ちょっと底部が狭いのでワインボトルを入れたときのバランスが心配です。
黒っぽいほうは完全にワインクーラーとして使えるでしょう。
モダンなデザインもそこそこに素敵です。
最終選考に残るほどではありませんが、なかなかの佳作です。
しかしワインクーラーということで言うならば、
こんなの↓があって群を抜いていました。



これは花器ではなく、最初からワインクーラー、
しかもワイン一般ではなく、シャンパンだけ入れろというシャンパンクーラーだそうです。
これは本当に欲しかったですね。
でも銀製なんですか?
これ一体いくらなんですか?
しかもこの写真じゃわからないかもしれませんが、ものすごく厚いんです。
このパンフレット、大きさしか記してありませんが、どのくらいの重量なんでしょう?
日本金工展の主催者の皆さんには声を大にして言いたいです。
金工作品の紹介にあたってはぜひとも重さも開示してほしいと思います。
この展覧会ではすべての作品はケースのなかに入っていて、
私たちは実際に手に取って重さを計ってみることができないのですから、
どれくらいの重さかわからないじゃないですか。
重さがわからなかったら実生活で使えるか使えないかわからないじゃないですか。
ですから来年のパンフレットからはぜひ重量も表記するようにお願いいたします。
というわけで、このシャンパンクーラーは最有力候補だったんですけど、
その厚みからして私たち庶民に買えるかどうか、
また、非力な私がふだん実際に持ち運びできるかどうかがよくわからないということで、
今回まさおさま賞の受賞は逃してしまいました。

このようにうち使いということを考えるとやはりお皿などの食器類が一番欲しいところです。
食器はそれほどたくさん出品されていたわけではありませんが、どれも目移りするほど素敵でした。
例えば、この 「吹分四方盤」↓。



「吹分 (ふきわけ)」 というのは 「溶解した2種または3種 (白銅・真鍮・唐金など) を
一つの鋳型に順次流し込み、幻想的な模様を作り出す鋳造技法」 だそうで、
こんな金工の食器を見たことありませんし、大きさ的にも使い勝手がよさそうで、
値段次第ではぜひ買ってみたい代物でした。
それからこちら↓の八角皿。



そもそも八角形のお皿ってうちにはないので、メインの食事を盛るのにいい感じじゃありません?
お皿自体の色が濃いので何色の料理を載せればいいのか、
メインメニュー用だとすると人数分 (少なくとも6枚) 揃えたいところだけど、
そんなに買ったらいくらになるか想像もつかなかったので最終選考までは残りませんでしたが、
ぜひ欲しい品のひとつではありました。
それに比べるとこちら↓はそれほど大きな作品ではなく最初から5点セットでした。



いろいろな使い方ができそうですし、1枚1枚少しずつ模様が異なっていて、
これもけっこう最後まで選考に残っていましたが、5枚組というのが最終的に引っかかりました。
和皿って5枚セットのものがよくありますが、洋テーブルって6人掛けが基本ですから、
今後は和皿も6枚セットを基準に作成してほしいものだと思います。

この日本金工展では一般の部のほかに一昨年から 「21+部門」 というのを設けて、
21世紀にふさわしい新しい金工を創作する若手 (学生~30歳未満) を奨励しているのだそうです。
そちらはやはり一般の部とはだいぶ作風の違う作品が並んでいました。
例えばこれ↓。



ブローチだそうですけど、今どきの女性はこういうのを付けて街を練り歩くのですか?
これ、ネズミの腹かっさばいて内臓が見えてますよね?
昨年 「はじまりの美術館」 でこういう感じの美術品が展示されていたらしいですけど、
これを一般女性が普段使いしちゃうんですか?
さすがにこういうのをプレゼントして喜んでもらえる相手は思い当たりませんでしたが、
しかし、今どきの若者の感性にまったく付いていけないというわけでもありません。
例えば、「21+部門」 の最優秀作品はこれ↓でした。



折り紙のように見える小皿です。
これはとても素敵でした。
物を載せる部分がとても狭いので、刺身醤油のお皿くらいにしか使えないかもしれませんが、
ムリヤリに用途を考え出してでも使ってみたいお皿で、これは最後まで選考に残りました。
同じ形ではないものの6枚セットというのも現代的でいいですよね。
最終的には、この6枚をどうやって収納したらいいんだ、というのがネックになって、
残念ながらまさおさま賞の受賞には至りませんでしたが、素敵だったことに嘘偽りはありません。
食器部門での最優秀作品 (まさおさまのみ認定) はこちら↓でした。



これも 「21+部門」 の入選作ですが、これはまるで木のお皿のように見えます。
これは扇形のお皿5枚1組のセットです。
その5枚を丸く並べると全体としてこういう感じになるのです。
これはいろんな使い方ができますね。
お正月のおせち料理とかにもいいかもしれません。
5枚重ねてコンパクトに収納できるのも高得点です。
できれば6枚セットのほうがよかったのですが、
いろいろ計算した上で、6等分ではなく5等分にしたのでしょう。
この写真ではわかりにくいと思いますが、十二支の絵柄が江戸時代っぽくてそれも素敵です。
こちらにまさおさま賞を贈りたいと思いますが、こちら↓も捨てがたかったです。



これも 「21+部門」 の入選作で、星座の時計です。
ホロスコープというのは1~12の数字と正確に対応しているわけではありませんが、
我が山羊座が12に充てられて、この作品の頂点に君臨しているというのも、
高評価を得られたポイントでした。
協議の結果、十二支皿は一般の部で、
星座時計は新人の部でそれぞれまさおさま賞をお贈りすることになりました。

さて、こんなふうにどれが一番使いたいか、どれを一番買いたいかなどと考えながら、
石洞美術館でのんびり時間を過ごさせていただいたわけですが、
今回、わざわざ千住大橋まで足を伸ばしたのはそんな物見遊山のためではありません。
もっと直接的な目的があったのであって、それを果たさないことには帰るわけにはいきません。
それは大きな謎を解くという使命です。
そうです。
あの卒業生です。
この方↓ですね。



この人は学生・院生時代、エッチングによる版画作成を専門としていたはずなのですが、
その人がなぜ今回このような展覧会のチケットをわざわざ送ってきてくれたのでしょうか?
知り合いにむりやり買わされて、売りつける相手も見つけられず、
しかたなく先日ブログ記事に取り上げてあげたお礼に私にタダでくれたのでしょうか?
それとも二足のわらじで、エッチングついでに金工作品にまで手を広げ、
せっかく出来上がったので日本金工展に応募してみたら入選しちゃったということなのでしょうか?
答えはこちらでした。



おおっ、ちゃんと入選しとるやないかっ
しかも 「21+部門」 ではなく、一般部門のほうでした。
素晴らしいっ!
おめでとうございます
せっかくですのでもうちょっとアップにしてみましょう。



写真をアップで撮ってるだけなので、本物の味はあまりよく伝わらないかもしれませんが、
青銅花挿 「ついり」 です。
今回の展覧会のなかでもひときわ異彩を放った作品でした。
金工作品ってほぼ大概、金か銀か黒か赤なんですよ。
その中で唯一この青い花挿は別次元の作品として存在していました。
この青というか水色によって、雨の色なのか紫陽花の色なのか、
梅雨入り (ついり) を表しているのでしょう。
残念ながらこれが花器であって、花を挿す以外に用途がなさそうだというだけの理由によって、
今回まさおさま賞の受賞は逃してしまいましたが、
そんなことがこの作品の価値を貶めるものでないことは言うまでもありません。
今後も精進して、ぜひ来年以降はお皿や酒器等の制作にも挑戦してみてください。
とても楽しい時間をありがとうございました。
この日本金工展、6月19日まで開催されているようです。
皆さまもぜひ石洞美術館に足を運んでみてください

第45回 伝統工芸 日本金工展

2016-05-12 06:56:39 | 人間文化論
先日、東京での展覧会に招待してくれた卒業生から、

再び展覧会へのご招待を受けました。

この方ですね。



コメント欄では、まさか招待状の裏面まで掲載されるとは思っていなかったと、

無断転載に対する軽い抗議のお言葉も頂戴しましたが、

このイラスト可愛らしいので、再度無断転載させていただきます。

ご招待いただいたのはこういう展覧会です。



「第45回 伝統工芸 日本金工展」 だそうです。

ん? 「金工展」?

あれ? 彼女、金工なんてやってましたっけ?

絵画がご専門ではありませんでしたか?

エッチングは版画の技法の一種ですよね?

版画だったら絵画に含まれるんじゃないの?

銅版を扱うから金工ってことになるの?

あ、ウィキペディアで調べてみたら、どうやらエッチングは版画の技法を指すだけでなく、

より広く、金属加工のある種の方法を表す言葉のようです。

とすると彼女はエッチングで版画を作成していただけでなく、金工もやっていたということでしょうか?

でもやっぱり版画と金工ってまったく別のジャンルのような気がするんだけどなあ?

どういうことなんでしょう、よくわかりませんね。

この謎を解明するためにも 「金工展」 見に行けるといいですね。

石洞美術館って東京のなかでもちょっとはずれのほうにあるみたいですが、

今回の展覧会は期間が長いですので、どこかのタイミングで見に行ってみたいものです。

菜箸の謎

2016-05-07 13:52:16 | 人間文化論
長年使ってきた菜箸がだいぶ傷んできたので新しいのを購入しました。

菜箸買ったのは久しぶりです。

たまたまこういうのしか売っていなかったので、

前々から感じていた菜箸の謎を思い出してしまいました。



由緒正しい菜箸ですね。

最近こういうのじゃない菜箸もあるんですが、

由緒正しい菜箸はこのようにひもで結ばれています。



昔から不思議だったんですが、このひもジャマじゃないですか?

箸の自由な動きを阻害していませんか?

なんで2本をひもで結ぶ必要があるんですか?

これって誰もが一度は疑問に思う謎らしくって、

ググってみたら 「YAHOO!知恵袋」 とかで多くの人が質問していました。

その答えにどこまで信憑性があるのかよくわかりませんが、

ネット上で確認できた答えとしては2つの理由があるようです。

ひとつは1本1本バラバラになって片方なくしてしまわないように。

もうひとつはどこかに引っかけてぶら下げておくためだそうです。

ふーん。

でも別に1本だけなくなったりしませんよね。

もしもそうなら菜箸じゃない普通のお箸もひもで結ばなきゃいけなくなるし。

じゃあどこかに引っかけるためか。

でもうちの台所にそんな場所ないからなあ。

いちいちどこかに引っかけなくても特に菜箸の置き場所困ったりしないし。

引っかけて使うんでないとするとあのひもはやっぱりいらないな。

ひもは切り捨てて使うことにしたいと思います。

さて、ついでに古くなった菜箸を見て思い出したもうひとつの謎。

菜箸って使い続けているうちにこうなっちゃいますよね。



長さが違うんです。

先だけ見てみましょう。



この菜箸は箸先に段がついているタイプだったのでどれだけ短くなったのかが歴然です。

左側のやつは右側のと比べて2段分短くなってしまっています。

一緒に使っていたはずなのになんで片方だけこんなに短くなってしまったのでしょうか?

ところが、この菜箸は3組セットで売っていたんですが、

別の組を見てみるとこうでした。



おお、なんだ元はといえば8段もあったのか。

それと比べてみるとこうです。



一番左のやつだけでなくその右のやつも4段分くらい短くなっていたんですね。

それにしても菜箸ってなんでこんなに短くなっていくんでしょうか?

別にカッターナイフの刃先みたいに1段ずつカットしていったわけではありません。

フツーに料理していただけなんですがいつの間にか減ってしまっているんです。

何かの機会に折れたという記憶もありません。

短くなった分はどこに行ってしまったんでしょうか?

料理のなかに入っちゃって食べてしまったってことですか?

菜箸はなぜ短くなるのか?

短くなった分はどこに行ってしまったのか?

菜箸の謎は深まるばかりです。

エイプリルフールの困惑

2016-04-02 10:00:00 | 人間文化論
昨日のブログで、一昨日のこの状態↓から



たった一日でこの惨状↓



と書きました。

もちろんそんなことありえるわけがなく、これはエイプリルフールネタでした。

この写真は実際に昨日撮ったものですが、テーブルの上はちょっと荒れたふうを演出したものの、

久しぶりにテーブルが空いたのでそこに感想用紙をいっぱいに広げて分類作業をしただけですし、

机の上に乱雑に並べられている書類の入った袋も、

机の中に収納していた昨年度の書類をキャビネットに移すために一時的に机の上に出しただけです。

その後、作業が終わったらすぐに元通りに戻ったのですが、

あたかももう崩壊が始まってしまったかのようなウソ記事にまとめてみたわけです。

ところが、このブログ上でも Facebook 上でもまったく誰からも何の反応もありませんでした。

3年前に 「長い間ありがとうございました」 という記事で、

著作権法に違反した責任を取ってブログをやめますというウソをついたときは、

皆さんコロコロ引っかかってくれて、たっくさんコメントを頂戴しました。

それに比べて今年は誰も何も言ってくれないというのはどういうことだったんでしょうか?

ひょっとして皆さん本当にもう崩壊しちゃったと信じちゃいました?

たった1日でそんなわけないでしょ。

これってみんなをダマせたと喜んでいいんでしょうか?

でも 「そんなまさか これってエイプリルフールネタですよね?」 とか、

「全然散らかってないじゃないですか。わざと雑然と並べただけでしょ?」

みたいな反応ほしいじゃないですか。

誰も何も疑いもせずそのまま受け入れられたとなると、みんなをダマせてうれしいというよりも、

なんだかものすごーくつまらないというか、困惑してしまうのです。

あまりにもありえそうなリアルなウソをつきすぎてしまったんでしょうか?


エイプリルフールの困惑といえば、去年 「クララが当たった」 という記事を書きました。

前年に応募していた科学研究費補助金の申請が受理されて、

科研費の交付が内定したという喜ばしいお話だったんですが、

その日本学術振興会からのお知らせが4月1日に届いたもので、

そんなれっきとした団体がこんな人を傷つけるようなウソをつくわけがないと思いつつも、

ひょっとするとエイプリルフールネタかもしれないという疑いが晴れず、

その日は素直に喜ぶことができませんでした。

けっきょくわざわざ事務方に確認し、

「エイプリルフールではございません」 という返信をもらってやっと信じることができたのでした。

これだけエイプリルフールが定着すると、4月1日に届く知らせはすべて疑ってかかってしまいます。

昨日は Facebook の 「ライフイベント」(自分の近況を Facebook 友達に知らせる機能) で、

うちの卒業生 (元院生幹事さん) の 「結婚しました」 という知らせが駆けめぐりました。

大変おめでたい話ですからすぐさまお祝いのコメントを送りたいところですが、

なんせ4月1日ですからどうしても疑ってかかってしまいます。

まさかこんなウソをつくわけないと思いつつも、あの2人ならやりかねないという疑念も晴れません。

そこで私が送ったのはこんなコメントでした。

「なぜ4月1日に おめでとうっっっ

クエスチョンマークが拭いきれないお祝いのコメントです。

いや本当、なぜ4月1日に結婚なんでしょうか?

エイプリルフールでさえなければ年度替わりのとてもキリのいい日ですが、

でももうエイプリルフールとして定着してしまっていますからねぇ。

そう思っていたところ、ご本人から 「本日、婚姻届を提出して参りました」 という記事も流れました。

誰それに証人になって頂きましたとか、今後ともご指導ご鞭撻をお願いしますという挨拶とともに、

こんな写真が添付されていました。



おお、これは間違いないでしょう。

これがエイプリルフールネタだとしたら、いくらなんでもやりすぎです。

これを読んでやっと結婚を確信できたので次のようなコメントを送りました。

「おおっ、さすがにここまで壮大な引っ掛けってことはないよね。

 本当におめでとうございます\(^o^)/

 この件、ブログに書いてもいい?」

ご本人からご承諾をいただき、写真使用の許可も得たので、

こうしてブログネタにさせていただいている次第です。


それにしてももうエイプリルフールってやめませんか。

4月1日に限らず世の中は十分ウソにまみれているじゃないですか。

詐欺師も政治家も東電も他の日にはゼッタイにウソはつかないというのなら、

1日くらいいくらでもウソついてもいい日があってもいいかもしれませんが、

私たちのまわりは365日ウソだらけなんですから、

もはやエイプリルフールの存在意義は失われていると思うのです。

エイプリルフールなんかがあるために、その日の通達やおめでたい知らせが半信半疑で扱われる、

なんていうのはとてもまともな風習とは思えません。

私だってあまりにリアルなウソをつきすぎてみんなスルーされるなんていう経験せずにすむでしょう。

エイプリルフール、要らないな。

どうです?

みんなでエイプリルフール廃止に向けて運動していきませんか?

さもなくば、逆にエイプリルフールには何ひとつ真実は語ってはならない、というくらい徹底しましょう。

官公庁も企業も学校もすべてお休み。

仕事にならないでしょうから。

だから婚姻届もその日には提出できないし、みんなに報告してもいけない。

うん、ここまで徹底してくれたら困惑せずにすむな。

もうどちらかに決めてほしいと心から願うのでした。


最後に、もうエイプリルフールは終わっているので今度は心から。

元院生幹事さん、ご結婚おめでとうございますっっっ

福島にゆかりのある6人展

2016-03-29 19:49:37 | 人間文化論
こんな招待状を頂戴しました。



awai ~福島にゆかりのある6人展~

■4/4 (mon) - 4/10 (sun)

■11:00-18:30 (最終日17:00まで)

■あかね画廊 (東京都中央区銀座4-3-14 筑波ビル)


だそうです。

招待状をくれたのはうちの学類のスポーツ・芸術創造専攻、芸術文化クラスに学び、

私の 「文化創造論」 を取ってくれたのち、大学院にも進学して 「地域文化創造特論」 も取り、

「てつがくカフェ@ふくしま」 にも何度か参加してくださっている高橋実那さんです。

ハガキの裏にはこんな一言も添えられていました。



せっかくお誘いいただいたのですが、残念ながらその週はもう大学が始まっていますし、

週末には 「第36回てつがくカフェ@ふくしま」 もありますので銀座には行けそうにありません。

6人のうち3人は大学院生で、私はこのあいだの 「IN展」 も見逃してしまいましたので、

可能であれば何としてでも見に行きたかったのですが、東京開催ではしかたありません。

それにしてもうちの卒業生たちが現役の芸術家としてバリバリ活躍していて、

互いに連携してこうして東京で展覧会を開いてくれるというのはとても嬉しいことです。

関東在住の皆さん、私の代わりにぜひ足を運んであげてください


P.S.

この手描きのイラスト、必要最小限の線でささっと描かれているにもかかわらず、

ご本人の特徴をよく捉えていて見事な出来映えです。

できることなら土日に訪問し、このイラストをもとに高橋さんを探し当ててみてください。

おっ! うちの院生がこんなところに

2016-03-26 17:47:05 | 人間文化論
今週配付された 「リビング福島」、1面はこんな特集でした。



「箸、正しく持てている?」 という特集記事です。

おや?と思ってよく見てみたら、やはりうちの院生さんたちの記事でした。



昨日うちの大学院を修了したばかりのお2人です。

右側の井間さんのことは以前にこのブログでご紹介しました。

研究の一環として 「ただしいおはしのもちかた」 というDVDを作成した方です。

今年度のうちの大学院 (人間発達文化研究科・地域文化創造専攻・地域生活文化領域) は、

私のゼミ生2人も含め全員社会人ばかりで、

食品学のN先生のところにもまったく同じ経歴 (栄養教諭) のお2人が師事していました。

左側の籏野さんは、郷土食を学校教育に取り入れ、

飯舘村から避難してきた女性たちを講師に招いて子どもたちに味噌造りなどを教えてもらうなど、

たんなる食育にとどまらず、福島における復興教育の独自の形について研究された方です。

今回の記事は、このお2人が講師となって開催された、

「リビング親子料理&正しい箸の持ち方教室」(主催/福島ヤクルト・福島リビング新聞社)

の様子を伝えたものでした。

したがって、全体のタイトルは 「箸、正しく持てている?」 ですが、

紙面の右上のほう、記事の書き出し部分の小見出しは、

「”食べるものを作る” 体験で好き嫌いのない子に」 となっています。

このお2人は院生時代もずっと二人三脚 (N先生も入れて三人四脚) で一緒に研究していましたが、

これからも2人で互いに協力し合って福島の食育を支えていっていただければと思います。

修了、おめでとうございました

東京のひな飾り

2016-02-29 19:43:08 | 人間文化論
今日で2月も終わり。

早くも1年の6分の1が過ぎ去ってしまいました。

明日からはもう3月。

3月といえばひな祭りですね。

残念ながら今年もひな人形は飾りそびれてしまいました。

今年は完全に失念していたわけではなく、

去年出せなかったのでできることなら飾ってやろうと意欲満々だったのですが、

けっきょくそのヒマがありませんでした。

心の余裕がないというのは悲しいことです。

ていうか福島のひな飾りは本格的にがんばんなきゃいけないから大変なんだよなあ。

さて、この週末は東京に行ってきて、東京のディスプレイを見てきました。

こちらはあっさりしていて、これぐらいならぼくでもできるぞという感じでした。

まずは玄関入ってすぐの薬棚の上。



なんだかひょうきんなカップルです。

続いて、リビングに入ってすぐの和箪笥の上。



これは最近購入したものだそうです。

先ほどのやつは顔ばっかりデカかったですが、こちらは考えられないくらい頭が小さいです。

八頭身とかそういうレベルではありません。

特にお内裏さまのほうは顕微鏡で探さなきゃ見えないくらいです。

そして、リビングの隅の噴水のある一角。



これは陶器でできていて、どこかの温泉に行ったときに一目惚れして買ったやつだと思うのですが、

どこで買ったのか2人とも思い出せませんでした。

ああ、悔しい。

まあでもぼくだけが思い出せなかったわけではないのでよしとしましょう。

噴水の近くにあるコーヒーテーブルのところにはこれ。



ひな祭りとハマグリはつきものだそうで、これは貝合わせの飾り物。

以前は福島に置いてあったんですが、かわいいからと持って行かれてしまいました。

トイレにはこんな柄の布が、匂い袋と一緒に飾られていました。



ひな祭りを直接に意識した意匠なのかは不明ですが、とにかくひな祭りっぽいです。

もうちょっとアップにしてみましょうか。



ね、ひな祭りっぽいでしょ。

今回のテーマに沿ったディスプレイはこれくらいでしょうか。

クリスマスお正月に比べるとちょっと控えめですね。

やはり福島できちんと階段箪笥にひな人形を飾ってあげるべきでした。

来年は何とかがんばりたいと思います。

スペシャルティコーヒーって何だ?

2016-02-28 21:51:06 | 人間文化論
最近街なかでよく 「スペシャルティコーヒー」 という単語を目にするんですよ。

喫茶店とかコーヒー屋さんとかで。



それが何だかものすごく気持ち悪くって。

「スペシャルティ」 って 「スペシャル」 という形容詞から派生した名詞ですよね。

なぜ名詞に名詞をくっつける

特別なコーヒーと言いたいのなら 「スペシャルコーヒー」 でいいじゃないかっ

と、この単語を見かけるたびに憤っていたわけです。

しかし、あまりにもよく見かけるので、

ひょっとすると私のほうが間違っているのかもしれないという気がしてきました。

(自分が間違っているかもしれないと疑ってみることができるのって、

 教養ある人間にのみ認められる美徳ですよね、安倍さん。)

そこですぐにヤホーでググってみました。

するとなんと驚いたことに、スペシャルティコーヒーというのは、

日本人が勝手に作った和製英語ではなく、

もともとコーヒーの原産地で使われ出したれっきとした英語だったようです。

日本には 「日本スペシャルティコーヒー協会」 という組織があり、

そこのウェブサイトにはスペシャルティコーヒーの定義が記されていました。

「消費者 (コーヒーを飲む人) の手に持つカップの中のコーヒーの
 液体の風味が素晴らしい美味しさであり、
 消費者が美味しいと評価して満足するコーヒーであること。
 風味の素晴らしいコーヒーの美味しさとは、際立つ印象的な風味特性があり、
 爽やかな明るい酸味特性があり、持続するコーヒー感が甘さの感覚で消えていくこと。
 カップの中の風味が素晴らしい美味しさであるためには、
 コーヒーの豆 (種子) からカップまでの総ての段階に於いて
 一貫した体制・工程で品質管理が徹底している事が必須である。(From Seed to Cup)
 具体的には、生産国においての栽培管理、収穫、生産処理、選別そして品質管理が適正になされ、
 欠点豆の混入が極めて少ない生豆であること。
 そして、適切な輸送と保管により、劣化のない状態で焙煎されて、
 欠点豆の混入が見られない焙煎豆であること。
 さらに、適切な抽出がなされ、
 カップに生産地の特徴的な素晴らしい風味特性が表現されることが求められる。」

何かからの翻訳文なんでしょうか?

日本語としては若干難がありますが、まあ言いたいことはわからないではありません。

ただ今日問題にしたいのはスペシャルティコーヒーの定義ではなく、

スペシャルティコーヒーという言葉自体ですので、定義は置いておくことにしましょう。

なんとスペシャルティコーヒーの協会は日本にだけあるわけではなく、

アメリカにもヨーロッパにもあるようです。

そのウェブサイトを見るかぎり、スペシャルティコーヒー (specialty coffee) という単語は、

ちゃんと欧米社会においても定着しているようです。

ウェブ辞書で specialty を引いてみると、基本的にはやはり名詞のようですが、

ひとつだけ 「こだわりの」 という訳語が載っていました。

特に品詞は記されていませんでしたし、例文も載っていませんでしたが、

これは名詞ではなく形容詞ですよね。

そもそも名詞を2つ並べてもいいのだろうかと思い、これも調べてみたところ、

名詞の形容詞的用法というのがあるということもわかりました。

たしかに 「シートベルト」 というのは英語でも seat belt であって、

わざわざ belt of seat とは言いませんね。

どうやら何でもかんでも名詞をつなげてしまっていいわけではなく、

決まりきった表現の場合にのみ名詞の連続が許されるようですが、

スペシャルティコーヒーはその許容される例外にもはや含まれているのでしょう。

というわけで、スペシャルティコーヒーという語は、

「特製品」、「特選品」 という意味の名詞 specialty を coffee に付けて、

「特選コーヒー」、「こだわりのコーヒー」 という意味で使われているようです。

ふーむ、そうだったのか。

いちおうちゃんと調べてみてよかった。

知らずに間違い英語としてディスったりしようものなら、逆に無知を笑われるところでした。

危ない、危ない

IN展2016

2016-02-25 09:10:52 | 人間文化論
現在、学類卒業生たちの 「卒展」 が開催中ですが、

その最終日の2月27日 (土) から今度は大学院生による 「IN展」 が始まります。



「IN展」 は 「卒展」 と異なり卒業生だけではなく、

大学院の1年生と2年生全員による展覧会です。

今年も出品者は6名のようです。

各自の作品の一部と作者名を記すというこのポスターのスタイルが定着してきていますね。

大学院生ともなるとひとりひとりが表現者として独り立ちし始めているということなのでしょう。

さて、私はまだ 「卒展」 も見ていませんし、27日は国際シンポジウムで東京ですから、

はたして 「卒展」、「IN展」 を見に行くことができるでしょうか?

明日は前期入試だしなあ。

イベントが目白押しなのはうれしいのですが、身体がひとつしかなく、

いつになく大量の事務仕事にも追われているのがつらいところです。

何とか時間を作れるといいのですが…。

上映会+トークセッション 「黒塚」

2016-02-16 08:23:30 | 人間文化論
イベント告知です。

てつがくカフェにも時々来てくださっている渡邊晃一さんが、

今週の日曜日、フォーラム福島でイベントを開催されるそうです。



ちょうど去年の今ごろにも似たようなイベントが開催されていましたね。

2014年からずっと継続的に取り組んでおられるようです。

黒塚というのが安達ヶ原の鬼婆伝説のことであるというのもこのイベントをきっかけに知りました。

いろいろな文化のクロスオーバーに触れる機会です。

「文化創造論」 の単位をもらったみんな、ぜひ参加してみてください!

卒展2016

2016-02-11 17:28:21 | 人間文化論
来週木曜日から福島大学・人間発達文化学類・スポーツ芸術創造専攻・美術分野の4年生による、

卒業制作展覧会が福島県文化センターで開催されます。



昨年の6月に 「がってん」 をやっていた人たちですね。

彼らが 「文化創造論」 を取ってくれていたのは2年前です。

今年の受講生に美術の学生さんはいなかったので、

「文化創造論」 で知ってる学生さんの卒業制作を見ることができるのも来年までですね。

名残惜しいです。

ぜひ彼らの作品を見に行きたいと思います。

毎度の宣伝ですが、いろいろなタイプの作品 (絵画、彫刻、工芸等々) をいっぺんに見られる、

たいへんお得な展覧会ですし、各自の制作ノートなんかも見ることができて、

作り手の狙いや工夫、苦労なども知ることができる、初心者にやさしい展覧会ですので、

ぜひお子さまたちとご一緒に気軽に見に行ってみてください。

鼻が尻

2016-02-04 14:23:30 | 人間文化論


またまた気色の悪い写真で申しわけありません。

私、鼻の先が割れているんですよ。

この写真でわかるでしょうか?

写真だと角度とか光加減とかでわかる場合とわからない場合がありますが、

触ってみるとくっきりはっきりわかります。

鼻柱だけでなく鼻尖までしっかり割れています。

小学校の頃はよく 「小野原は鼻に尻がある~」 とか言ってからかわれていて、

自分だけなんで鼻が割れているんだろうと、けっこう気に病んだりしてました。

しかし、中学校だか高校の頃に、当時の世界的2枚目スター、アラン・ドロンの映画を見に行ったら、

彼の鼻が割れているのを見つけて驚喜した覚えがあります。

アラン・ドロンってみんな知らないだろうなあ。

ぼくが子どもの頃はとにかく美男子の代名詞で、アラン・ドロンの次が思い浮かばないくらい、

ハンサムと言えばアラン・ドロン、アラン・ドロンと言えばハンサムみたいな別格的存在でした。

『太陽がいっぱい』『冒険者たち』『地下室のメロディ』 といったところが代表作でしょうか。

ぼくが実際に見たのはもうちょっと後の時代の 『ボルサリーノ』 とか 『フリック・ストーリー』 でしたが、

中でも 『アラン・ドロンのゾロ』 は大のお気に入りで、

今でも私のなかで冒険活劇映画としては不動のベストワンを占めています。

その絶世の美男子であるアラン・ドロンがですよ、鼻が割れているんですよ。

やはり写真だとわかりにくいので、いくつかアップの写真をピックアップしてみました。







いかがでしょう?

おわかりいただけたでしょうか?

ちょっと割れてるのが見て取れるでしょう?

写真でこれくらいってことは相当割れてると思います。

ぼくも何かの映画のアップシーンで初めて気づいたんだよなあ。

これを見つけたときは嬉しかったですねえ。

自分のコンプレックスだったところがアラン・ドロンとの共通点だったんですから。

それ以後は誰かに何か言われるたびに 「これはアラン・ドロンとおそろいなんだぜ」 と言ってました。

むしろ、「あれ? 君たちは割れてないの? かわいそうに」 ぐらいな、選ばれし者気分です。

こうして自分のコンプレックスに別れを告げることができたのでした。

ですので、自分の鼻が割れてることなんてもうすっかり意識しなくなっていたのです。

ついこの間までは…。

ところが昨年末、ドラマ 『下町ロケット』 を見ていてこの問題を思い出してしまいました。

あのドラマ、けっこう芸人さんが出ていましたね。

名キャストもあればミスキャストもあっていろいろでしたが、とにかくたくさん出ていました。

そのなかでキングオブコメディのうちのお1人も出演していましたね。



このなかの右側の方です。

どちらのお名前も存じ上げませんでしたが、今野浩喜さんだそうです。

(左側の人は高橋健一さんという方で、あのドラマ終了後、この方もコンビも終了してしまいました。)

今野さん、特徴的な顔をしていらっしゃいますね。

この写真でははっきりわかりませんが、ドラマに出ていたときの写真を見てみましょう。





おおっ、みごとに割れていますね。

角度とか光加減とか関係なく、くっきりはっきり割れていますね。

おめでとう、あなたも我々選ばれし者の一員です。

いや、一員どころか堂々 「キングオブ鼻割れ」 の称号を授与してもいいくらいです。

うーん、それにしても…。

今にしてやっと理解できました。

あの頃みんながぼくを見て 「鼻が尻」 と言いたくなった、その気持ちが。