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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

病気が教えてくれたこと

2010-03-11 18:40:01 | 幸せの倫理学
アステラス製薬というところ (初耳) がエッセイコンテストをやったそうです。

テーマは 「病気が教えてくれたこと」。

先日の私の 「病の贈り物」 という話と重なり合っています。

11,970通の応募があったそうで、

そのうちの入選した120編のエッセイが公開されています。

どれも感動もので、涙もろい私はおいおい泣いてしまいます。

そのうちのひとつに 「当たり前の幸せ」 というタイトルのエッセイがあって、

私がこのカテゴリーで繰り返し述べていることを代弁してくれているようでしたので、

その一部をご紹介しておきます。



「当たり前の幸せ」

病気が教えてくれたんやで

普通にすごせることがどれだけすごいことかって。

「できて当たり前」 のことは、1つもないんやって。

生きてるだけで、どれだけ幸せかって。

できないことを数えるんじゃなくて、できたことを喜ぼうって。

あと、「みんな」 は関係ない、大切なのは 「自分」 やって。

きっと、病気になることで、改めて 「生きる選択」 をしたんやと思うねん。

だから、今は、自分なりのペースで生きていきます。

病気にしてくれて、ありがとう。



引用したのは最後の部分ですが、

前半を読むと、「病気にしてくれて、ありがとう」 の意味がよりはっきりとわかります。

120本というとけっこうな数ですので、読破するのはたいへんだと思いますが、

ぜひ一度ご覧になってみてください。

MFT (その8) ・ユニクロの折りたたみ傘

2010-02-04 17:43:59 | 幸せの倫理学
このところ 「(これについてはそのうち書きます)」 と予告したまま、
放置プレイになってる話題がけっこうあるのですが、
どんどん書いていかないと、
記憶力に重大な問題を抱えている私は (これについてはそのうち書きます)、
いつまでも書かないまま完全に忘れ去ってしまうことになるでしょう。
ブログ毎日更新という苦行に挑戦中の私としては、
そんなもったいない事態はぜひとも避けたいところです。
さて今日はとりあえず思い出しやすいところから攻めていきましょう。
一昨日、「降らずとも雨具の用意」の話の中で、
私は折りたたみ傘を常に携行していると書きました。
その折りたたみ傘の話題です。

山口洋子の美学 (これについてはそのうち書きます) と
お茶の先生 (これについてはそのうち書きます) の教えのあいだで、
しばらく板挟み状態を味わい、
最終的に 「降らずとも雨具の用意」 のほうを選び取った私にとっては、
携帯に便利な折りたたみ傘の確保は重要な課題でした。
昔は折りたたみ傘といっても、けっこうかさばるものが多かったんです。
だからバッグにうまく収まらなかったり、
キレイに折りたためなかったりなど苦労も絶えませんでした。
しかし、21世紀になってからぐらいでしょうか、
折りたたみ傘は飛躍的に進化を遂げました。
布がより薄く、より軽く、そしてなんといっても、撥水がむちゃくちゃよくなりました。
折りたたみ傘は雨がやんだら、またバッグにしまいたいわけですが、
きちんと乾かないとしまうわけにいきません。
最近の傘はその乾き方が尋常ではないのです。
撥水がよくなったと同時に、折り目もいつまでもキレイに残るようになりました。
折りたたみ傘を上手にしまうためには、
折り目通りにたためるかというのが重要なのですが (これについてはそのうち書きます)、
昔のものに比べて最近のものは格段にたたみやすくなったと言えるでしょう。
そして、骨や柄の素材も軽量化してきたため、
傘全体がどんどん小さく、どんどん軽くなってきました。
骨の折りたたみ方の構造も工夫されてきたのでしょうか、
小さくなったからといって開いたときの使い勝手が悪くなったということはなく、
むしろ以前の折りたたみ傘よりも、傘としての性能もアップしているように思います。

そして、私の知る限り、現在においてその最高峰に位置づけられるのが、
ユニクロの折りたたみ傘なのです。
たしか 1,000円だったと思います。
こんな値段で、史上最高の折りたたみ傘が買えてしまうのです。
ユニクロにも何種類か折りたたみ傘がありますが、
私が気に入っているのは、そのなかの一番小さいやつです。
全長23㎝。
ものすごく軽いです。
撥水もよく、とても折りたたみやすいです。
いつも私のバッグのなかに入っています。
そして、急に雨が降り出してバッグからこれを取り出すときに、
私は無上の幸せを感じることができるのです。
福島の人は雨のなかを傘もささず歩いていく方が多いのですが (これについてはそのうち書きます)、
そんな人たちのあいだを、この傘で身を守って歩いていく快感ははかりしれません。
そして雨がやんだら、しばらく経てばまたすぐにバッグにしまえてしまう。
そんな幸せがこんな金額で買えるなんて、
なんて便利な世の中になったんだろう、
と思う今日このごろでした。


あ~あ、せっかく待機テーマを1つ片づけたのに、
また待機テーマを5つも増やしてしまった。
でも、こうやって無限分割を続けていけば、
永遠にブログを書いていられそうだな
忘れないうちに書いていこうっと。

馬蹄ストラップ

2010-01-26 23:56:23 | 幸せの倫理学
私はケータイを使いはじめて5年くらいになります。
けっこう抵抗していたので、現代文明に屈してから、まだそれほど日が経っていないわけです。
ケータイを買おうかどうしようか悩んでいた時期、
もしもケータイを買ったらこれをしようと心に決めていたことがありました。
スワローズ・ケータイに作り上げるという夢です。
ストラップもスワローズもの、
待ち受け画面もスワローズもの、
着信音もスワローズものにしようと思っていました。
けっきょく、その夢はすべて簡単に叶い、
誘惑に負けてケータイを買ってしまった直後に、
私の初号機はみごとなスワローズ・ケータイとして転生を遂げたのでした。

しかし、弐号機に乗り換えるころには古田の解任劇などがあり、
スワローズに対する思い入れが一気にしぼんでしまっていました。
ですので、待ち受け画面や着信音をスワローズのサイトから取り寄せるという
ひと手間をかける気にもなれないまま、
ストラップだけ付け替えて、あとは初期設定のままという、
まったくやる気の感じられないオーナーに成り下がってしまいました。
そして昨年の秋ごろ、私のやる気のなさが伝わってしまったのか、
つば九郎のストラップからつば九郎が取れてしまい、
Swallows と記されたベルトみたいなものだけが残っているという状態になってしまいました。
なんとかしてあげなきゃいけないなあと思いながらも、
わざわざ新しいスワローズ・ストラップを入手するために神宮に行く気にもなれず、
もちろんネットで購入するなんていう甲斐性もなく、
私の弐号機はとても残念な感じになってしまっていたのでした。

ちょうどそんなときにある方から、ケータイ用とは限らないのかもしれませんが、
ストラップ的なものを頂戴してしまいました。
その名も 「イタリアから届いた幸運のお守り」 だそうです。
説明書つきで、こんなふうに書いてありました。

「ヨーロッパで幸運をもたらすと言われている馬蹄に、
 恋愛、健康、仕事、夢を叶える、学問、金運などの
 願いが込められたチャームが更についています。」

「ヨーロッパでは、馬蹄は幸運を運んでくれると言われています。
 馬蹄部分を両手で挟み良いことがありますように!とお願いして下さい。
 そして、いつも一緒に持ち歩いてください。
 一つ一つ職人さんの手作りです。
 皆さまに、幸運が訪れますように祈っています!」

馬蹄はすべてに共通ですが、ラッキーチャームのほうはたくさんの種類があるみたいで、
私がいただいたやつは、「夢を叶える」 という羽根のチャームがついていました。
近代合理主義者の私は、お守りとかまったく信じておらず、
初詣とかもまったく行かないタイプの人間なので、
この手の類のものを 「いつも一緒に持ち歩い」 たり、
「両手で挟んで良いことがありますように!とお願い」 したりはしないのですが、
ちょうどストラップが壊れてしまって次のアテがないときに、
こういうものを頂戴したというのは、何かの縁なんだろうと思い、
(近代合理主義者は 「縁」 なんかも信じてはいけないはずですが…)
試しに付けてみることにいたしました。
それが冒頭の写真です。

誰にも理解も共感もしてもらえないスワローズ・ケータイよりは、
こちらのほうがオシャレな感じかもしれません。
自分が信じているかどうかは別として、
「馬蹄っていうのはね…」 とか、「この羽根は実はね…」 とかって説明してあげると、
ほとんどの女の子が食いついてきてくれることでしょう。
つば九郎ストラップはまったくスワローズの優勝とかを運んできてくれませんでしたが、
馬蹄ストラップのほうはひょっとすると具体的な幸せを本当に運んできてくれるかもしれません。
しばらく、これで様子を見てみようかと思います。

ところでこの馬蹄、お守りとしてどうかということとは別に、
ひとつすでに気に入っていることがあります。
プラスチック製のつば九郎とちがい、この馬蹄は本物の金属でできていますので、
ケータイを持ち上げた瞬間に馬蹄を机の角とかにぶつけると、
音叉みたいにすごくきれいな音が鳴ることがあるのです。
毎回鳴るわけじゃなく、どうぶつければ音がするのかもまだ解明できていませんが、
とにかく何かの拍子に、金属が共鳴しあっているようなきれいな音を奏でることがあるのです。
今、その音を再現してみようとあちこちにぶつけてみていますが、うまく鳴ってくれません。
普通に物と物がぶつかってる音がするだけです。
あの音叉のように美しく響く音は、どういうときに鳴るのでしょうか?
鳴らそうと思って鳴らすことはできないのだけれど、
たまたま偶然に美しい音を奏でてくれることがあるというのは、
なんだかとても有り難い感じがしますね。
その音を聞けるということ自体が幸運なのかもしれません。
なるほど、「イタリアから届いた幸運のお守り」 ですか。
近代合理主義者をも納得させることのできるパワーを秘めているのかもしれませんね。

頭がデカイ

2010-01-23 19:06:29 | 幸せの倫理学
シャンプー台の話をしたときに、私の頭がデカイという問題に触れました。
今日はその話を。
私は子どもの頃から頭が大きかったです。
私は横浜国立大学教育学部附属横浜小学校というところに通っており、
そこには制服があって、制帽をかぶることが義務づけられていたのですが、
それほど背は高くはないのに、
帽子に関してだけはみんなのよりも一回り大きなものをかぶらなくてはならなかったのです。
小学生ぐらいのときは、自分としてはあまりそのことを問題と認識してはいませんでした。
頭がデカいんだから、みんなより脳も大きくて、きっと頭もいいんだぞ、
ぐらいに思っていたように思います。

しかし、中学、高校と進むにつれてそれはコンプレックスとなっていきました。
頭がデカイから頭がいいという仮説は、経験によって否定され、
それよりもルックスとかスタイルが重要になってくるにつれて、
頭がデカイということは大問題と化していったのです。
みんなからからかわれたこともあったように思います。
大学ではダンス部に入部して、部室の大鏡に自分の踊る姿を映したりしていましたから、
いよいよこの問題は自分にとって可視化されるようになったわけです。
とはいえこの問題は如何ともしようがないので、
自分にとってはずっと躓きの石であり続けました。

ある程度年をとって、ルックスやスタイルもどうでもよくなってきた頃、
この問題をポジティブに捉える視点が自分の中に育ってきました。
ひとつは、目の錯覚による利点です。
私は身長が168㎝しかないのですが、
ひとは私のことをもっと背が高いと思ってくれている、
ということがわかってきました。
ほぼすべての人が、私を170㎝以上あると思っているようです。
それはどうやら私の顔が長いので、
その顔の長さから類推して身長はこれくらいあるだろうと、
みんなが錯覚を起こしているようなのです。
実際以上に背が高く見られるということはとても有り難いことですので、
わざわざ本当は168㎝だなんて触れ回る必要はなく、
みんなの勝手な思い込みは特に訂正せずに甘受しようと思います。

もう一つは教えるショーバイに携わる者として、
自分の頭のデカさはけっこうネタに使えるということです。
塾で教えていたときに、たまたまそんな話題になり、
生徒のひとりが 「先生、マッチ棒みたいだぁ!」 と言ったら、
それがみんなの共感を呼んで、
しばらく生徒たちから 「マッチ棒先生」 と呼んでもらえたことがありました。
卒業のときの色紙にマッチ棒の絵を描いてくれた子もいました。
子どもにとってはなんであれ印象に残るということが大事ですので、
外見の弱点も、教師にとっては大きな長所となります。

また、先ほど私は顔が長いと言いましたが、
やはり塾でその話になったときに、
たしかに前から見ると顔が長いんだけど、
横から見るとオレの頭はけっこう奥行きが深いんだぞ、と自慢したところ、
これもある生徒が 「うわー、エイリアンみたいだっ!」 と叫び、
この呼び名も一世を風靡しました。
私もエイリアンはひどいだろうと思いながらも、
こいつ、うまいこと言うなあ、と我ながら納得してしまい、
「エイリアン先生」 の呼び名も甘受することになりました。

マッチ棒にせよエイリアンにせよ、外見でインパクトがあるというのは、
芸人にとっては、じゃなくて教師にとっては有り難いことです。
子どもの頃は、なんで自分はジミー・ペイジみたいに生まれなかったんだろうと、
けっこう悩んでいたものでしたが、
大人になってくれば外見というのはたんなる誘い水にすぎなくて、
人に覚えてもらえるようなインパクトさえあれば、
プラスのものであれマイナスのものであれ関係ないと思えるようになってきます。
現に悩んでいる子にそんなことを言ってあげてもしょうがないかもしれませんが、
早くこのことに気づいて幸せになってほしいなあと思う今日この頃でした。

大泉洋、または、ベートーベン

2010-01-17 23:12:42 | 幸せの倫理学
私は顔になにかがかかるのがキライです。
顔を洗って水がかかったりするのは最悪です。
髪を洗うときも下を向いて流すのは不可能で、
美容院のように上を向いて流してもらうのが好きです。
自分の髪の毛が自分の顔にかかってくるのも、イヤでイヤでしょうがありません。
ところが、私の髪の毛は前に向かって生えてくるクセがあるようで、
放っておくとどんどん自分の顔にかかってくるように伸びていくのです。
ですので、最近はいつも軽くパーマをかけていて、
髪の毛が全体にうしろに流れていくように調整しています。
あくまでも髪の毛をうしろに流すためだけですので、
それほどパーマがかかっているとはっきりわかることはないと思いますが、
コンスタントにパーマをかけているわけです。

さて、前回のパーマはかかりかたが弱かったのか、
すぐに髪の毛が伸びてきて、それが顔にかかってきてイヤでイヤでしょうがありませんでした。
今回はそのことに関して文句を言い、
すぐに顔にかかってきたりしないように強めにパーマをかけてほしいと頼みました。
いつもの美容師さんは、そんなに髪の毛がまだ伸びていないので、
強めにかけることには若干難色を示していましたが、
まあ顧客の言うことは絶対ですから、やってみましょうと言ってくれました。
というような諸々のやりとりがあって、今回のパーマが完成したわけなのです。

結果は、私の要望が通り、パーマがしっかりかかって、
当分、自分の顔に髪の毛がかかるというあの不愉快な思いはしなくてよくなりました。
本人的にはものすごくすっきりしています。
大成功です。
しかしながら、美容師さんの危惧は現実のものとなってしまいました。
パーマが強くかかりすぎてしまったのです。
軽く後ろへ流す、なんていうレベルをはるかに超えています。
もはや 「パーマの王様」 です。
「くるくるパーマ」 と言っても過言ではありません。
髪の毛が濡れている状態だと完全に林家三平師匠です。
これを一生懸命乾かしていき、なんとか髪の毛を伸ばしていくのですが、
がんばった結果が、せいぜい大泉洋と言った感じです。
あるいは、音楽の教科書に載っていたベートーベンにも似ているように見えます。

センター試験監督でお会いした先生方にはだいぶ不評を買いました。
ものすごいイメージチェンジに見えるようです。
しかし、本人的にはいつものパーマが少し強めにかかっただけですので、
いずれいつもの自分に戻っていくのはわかっていますし、
今はとにかく顔に髪の毛がかかることがありませんので、
すっきりさわやかいい気持ちです。
まあ髪型というのは、ひとからどう見えるかがすべてなわけですから、
本人的なさわやかさなんて関係ないのかもしれませんが、
本人はこの大泉洋もしくはベートーベンにすっかり満足しているわけです。
というわけで、大学生の皆さんには明日がお披露目ですが、
皆さんの率直なご感想をお聞かせいただきたいと思います。
それでどうにか修正できるわけではありませんが、
次回以降の参考にさせていただきたいと思います。
しばらくのあいだは、この大泉洋もしくはベートーベンをお楽しみください。

昔の友 最近の友

2010-01-13 18:12:16 | 幸せの倫理学
インフルエンザ物語も飽きてきたので、今日はちょっと趣向を変えた話を。
ここ数日ずっとヒマだったので急に思い出した昔の友人の話と、
最近決まったばかりの新しい友人との新しい仕事の話を。

まずは、小中学校時代にスポーツ抜群で勉強もよくできた、
我が学年のアイドルというかスーパーヒーローだったS君の話です。
彼とは小中学校時代そんなに親しかったわけではなく、その後もそうなんですが、
たまたま同じ大学に進み、大学4年のとき、同じ授業を取って教室で一緒になりました。
久しぶりに会っていろいろと聞いてみると、4年の後期だというのに、
彼はパンキョー (福島大学でいうところの共通領域) の単位が全然取れていないそうです。
あんなに勉強のできたS君がなんでだろうと思い、
今はどんな科目にエントリーしているのか尋ねてみると、
単位を取りにくいと有名な先生の科目ばかり取っています。
しかも、彼の専門とはほど遠い内容のものばかりなので、
もっと取りやすいのはいくらでもあるし、
もっと自分の興味に近いやつを取ればいいんじゃないの、
と要らぬ助言をしてみたところ、次のように返されました。
楽勝の科目を取るのは好きじゃない、
厳しい先生から単位をもらってこそ意味がある、
パンキョーは自分の教養を広げるための科目なんだから、
自分の専門や興味に近い科目を取ったんじゃ自分の視野は広がらない、と。
もともと彼は自分とは器がちがうなあと感じていましたが、
この答えには完全に打ちのめされました。
でも、それを認めるのが悔しかった私は彼にこう言ったのです。
「S君って、自らに高いハードルを課して、それに躓くタイプだよね。」
それを聞いたときのS君の苦虫を噛み潰したような表情は忘れられません。
しかし、彼にそう言いながら私は心の中で自分自身に対してこう言っていたのです。
「オレって、低いハードルだけ選んで飛んで記録更新し、それを吹聴するタイプだよなあ。」
ずっと忘れていましたが、このときの会話がなぜか急に思い出されてしまったのでした。

もうひとつは、ちょっと大事 (おおごと) だけど、もっと楽しい話です。
私が若手芸人の何組かと飲み友だちだという話はしたことありましたっけ?
ま、あまりその話はしないようにしているので、ブログには書いたことなかったと思います。
たまたまあるコネで蛍原さんと知り合う機会があり、
その後そこからだんだん飲み友だちの輪が広がっていってるんです。
ついこのあいだも、雨上がり決死隊のお2人や陣内さん、劇団ひとりさんと、
あと新人の芸人さん、全部で8人くらいで飲んでいたんです。
で、わいわい騒いでいるうちに 「アメトーク」 っていい番組だよねっていう話になりました。
その話が出ると決まってそのあとは、なんであの番組が打ち切られちゃうんだろう、
という愚痴トークが延々と続くことになるわけですが、
今回はなんだかそういう流れになりません。
蛍原さんがニヤッと笑ってぼくのほうに目配せします。
ぼくはなんのことかわからないので、
あの番組のよさがわからないプロデューサーはアホウだ、みたいな話を続けていると、
今度は宮迫さんが、まあいいじゃん次があるんだから、と
またぼくに向かって意味深な表情を見せます。
えっ次ってなあに?とみんなが聞くと、
蛍原さんや宮迫さんはやっぱりぼくのほうを見ながら、
次があるんだよねぇ、とニヤニヤ笑っています。
ぼくが怪訝な顔をしていると、宮迫さんがぼくのほうを見ながらうれしそうに、
今度3人で番組やることになったんだ、と発表します。
ぼくはまったく何のことかわからず、え、なに?と聞くと、
蛍原さんは少し不安げな顔で、まさおさまと3人で番組やるんだよ、と言います。
みんなの歓声が上がる中、宮迫さんはぼくを指して、この人面白いと思うよ、とか言ってますが、
蛍原さんは気づいてくれたようで、ひょっとして何も聞いてないの?と聞いてきました。
知らないよ、知るわけないじゃん、何の話?
3人で新しい番組やるんだよ、もう決まっちゃったよ。
えー? 何にも聞いてないよ。ムリだよ。えー? いつから? 何曜日?
ここまで聞いてやっと宮迫さんも事態を把握してくれたらしく、
別席にいたマネージャーさんを大声で呼びつけています。
それにしても3人で番組? いったいぼくは何をやればいいんだろう?


















皆さんもうとっくにお気づきだろうと思いますが、
2つの話はどちらも、この間インフルエンザ療養中に見たたくさんの夢の中のひとつです。
午前も午後も夜も、食事をし薬を呑んではベッドにもぐり込む、という生活を続けていたので、
それこそ数限りなく夢を見ました。
睡眠時間がショートタイムなので、夢を覚えている確率も高いんですが、
この2つに関しては、目を覚ましたときに腹がよじれるほど笑ってしまいました。
1番めについては、夢のくせに上手いこと言うなあ、というのが笑っちゃった理由です。
「自らに高いハードルを課して、それに躓くタイプ」
「低いハードルだけ選んで飛んで記録更新し、それを吹聴するタイプ」
なんて譬えとしてよくできています。
しかも後者はみごとな自己分析なのですから、夢とはいえ侮れません。
目覚めてすぐに、忘れてしまわないよう、ケータイに打ち込んでしまったくらいです。
ちなみにS君に関しては、最初の3行を除くすべてがフィクションです。
大学も別でしたし、あの分析が当たっているかどうかはまったくわかりません。
そもそもなんで彼が夢に出てきたのでしょうか?
私とは正反対のタイプという意味で彼が選ばれたのでしょうか?
でも、私の正反対のタイプがパンキョーの単位を落とすとは思えないのですが…。

2番めの夢はホントに意味不明です。
こちらはもちろん、芸人と飲み友だちだという設定の部分からしてすべて夢物語です。
それにしても、なんでこんな夢を見るのでしょうか?
お笑いの人と一緒にテレビ出演するというのが私の野望なのでしょうか?
そのわりには、雨上がり決死隊とレギュラー番組をもつと聞かされて、
夢の中の私は、喜ぶよりも相当動揺していました。
にもかかわらず、なんでスケジュールの心配してんだよぉと、
自分がこんな夢を見てしまったこと自体がおかしくておかしくてしょうがありません。
自分として一番納得いく夢分析は、
もう何日もお酒を飲んでいないので、飲み会がしたいのだろう、というものです。
飲み会をするなら、楽しい人たちと一緒に飲むのが一番ですね。
で、バカ騒ぎをしながらも、少しは自分の仕事とかの新たな展開がそこで見出せると、
最高の飲み会と言えるのではないでしょうか。
そんな飲み会をやりたいという欲求が夢に現れたのね、
などと大まじめに分析してみるのですが、やはり意味不明です。
この夢のことを思い出すと、未だに笑いが止まりません。
きっとタミフルにやられてしまっただけなのかもしれません。
というわけで、インフルエンザ物語第4弾でした。

元気なくすなら、わかりやすく

2010-01-06 14:27:22 | 幸せの倫理学
年末年始のあいだ福島の家を留守にしていると、若干心配なことが。
うちには生き物がいるので、彼らが長い放置に耐えてくれるかどうか、ある種賭けなのです。
いちおう出かける前にはたっぷり水をやっていきますし、
お店で買ったときも1週間くらいは平気ですよと言われたので、
今年のように年末年始の休みが短ければ、まあそんなに問題はないと思うのですが、
いちおう心配は心配です。
うちには今5種類いるのですが、
ご覧いただいている写真は以前にも紹介したことのある 「旅人の木」 です。
この人が一番、変化がわかりにくいです。
元気なのか元気ないのか、水は足りているのかいないのか、
ほとんど表情に出さないまま、
このあいだのように、ある日ぽっきり折れてしまったりしますので、
とても扱いに困ります。

それに対して、すぐに表に現れるタイプの人もいます。
お店でオマケにつけてくれたやつなので名前も知らないのですが、
昨日帰ってきて見たら、こんなに元気をなくしている人がいました。
これは一目見て、ああ水が足りないんだな、とわかります。
こういう人はいいですね。
こちらもすぐに、じゃあ水をあげよう、となりますから。
そして、水をあげてから大学に行き、授業をこなして帰ってきてみると、
もうこんなに元気になっています。
とってもわかりやすいです。

人間もかくありたいものです。
にっこり笑って表には出さず、健気に耐えに耐えて、
ある日ぽっきり折れてしまうというのだと、まわりも助けてあげようがありません。
元気をなくすときは、はた目から見ても明らかなほど元気をなくし、
だからみんなにも心配してもらえて、
そして、かまってもらうととたんに元気になるというふうだと、
こちらもある程度、安心して見ていられます。
元気なくすなら、わかりやすく
これを心がけるようにしましょう。

今日は誕生日

2009-12-28 06:00:00 | 幸せの倫理学
今日は48回目の誕生日です。

今年は丑年で年男でしたが、今日に至るまでずっと47歳だったので、

どうも年男という実感がないままでした。

そして、やっと48歳になったというのに、

あとほんの数日で丑年は終わってしまいますので、

やはり年男気分はほとんど味わえないで終わってしまうようです。

たぶん、12年後の還暦の時も同じように過ぎ去ってしまうのでしょう。

こんな年の暮れに生まれたというのは、

いろいろな意味でハンディキャップを背負っています。



以前書いたように、

子どもの頃はクリスマスと誕生日を同時に祝ってもらっていた幸せな長男でしたが、

小学校に進んで以来、

12月28日なんて冬休みの真っ最中ですから、

友だちからは私の誕生日はいつも完全に忘れ去られていました。

それで友だちを恨んだりしたことはありませんが、

なんでこんな日が誕生日なんだろうと両親に問いただしたことはあります。

そうしたら 「あんたはハネムーン・チャイルドなんだからしかたないの」 と言われました。

なるほど、それは仕方ないですね。

結婚した当時、父の実家は旅館を経営していたので、

温泉のかき入れ時に新妻が身重ということで、

母もけっこう肩身の狭い思いをしたそうです。



近年、私の誕生日はたいてい年賀状の作成日となっております。

以前はもう少し早く年賀状を書いていたのですが、

年を追うごとに忙しくなって、少しずつ年末にずれ、

とうとう28日まで手をつけられずにいるという状態になってしまったのです。

さすがにここを越えるとヤバイ感じなので、

この日よりも後にずらすわけにはいきません。

というわけで今も年賀状の作成中です。

皆さんたぶん、元旦には届きません。

でも、その遅れて届いた年賀状を見て、

あ、これは誕生日に書いていたんだな、と思いだし、

遅ればせながら私の誕生日を祝ってあげてください

MFT (その6)・お布団

2009-12-20 10:31:02 | 幸せの倫理学
冬になると思い出す My Favorite Things (私のお気に入り) のひとつですが、

ぬくぬくのお布団ってサイコーですね

人類の発明品のなかでも、布団ってそうとう上位にランキングされると思うんです。

誰がこんなもの考えついたんでしょう?

福島の冬は厳しいですから、いくら屋内とはいえ、明け方近くになってくると、

室温は10℃以下 (場合によったら0℃近く) まで下がっているはずなんです。

ところが、お布団のなかにいれば、外気温なんてまったく関係なく、

ぬくぬくと暖かみを感じていられるじゃないですか。

布団の外に出ている顔は、ヒンヤリした空気を感じていますが、

それとのコントラストで感じ取られる布団のなかの暖かさは格別です。

冬の朝はくっきりはっきり目覚めた後も、

いつまでもお布団のなかに籠もっていたいと思ってしまうのは私だけでしょうか?

私は現在ベッドを使っていますので、

ここで布団と言っているのは、和風・洋風を問わず、寝具一般を指しています。

また、昔はできるだけ重たい綿の布団が好みでしたが、

大人になって羽毛布団を使い始めてみると、

軽いのに暖かいというこの贅沢感も捨てがたく、

いずれも甲乙つけがたいので、どんなタイプでもいいことにしましょう。

とにかく布団ってスゴイと思うんです。

これがなかったら、とっくに人類は滅亡していたでしょう。

(いや、ハワイあたりは大丈夫かな? 少なくとも日本人は全滅です。)

毎日当たり前のようにお世話になっているお布団ですが、

そう考えてみると、とってもありがたい人類の宝じゃないですか。

お布団のなかで眠ることのできる有り難さに感謝しつつ、

もしも地球上に布団の恩恵にあずかることができない人がいるとしたならば、

その人々にこの幸せを分けてあげたいと思うのでした。

ユニクロでお買い物

2009-12-05 18:50:55 | 幸せの倫理学
今日は久しぶりにユニクロに来ました。
ヒートテックのアンダーウェアがあったかくて着心地がいいという噂を聞いて、
冬に備えて寒さ対策の買い出しが第1の目的ですが、
このところ服を買うヒマもなく、一週間単位のローテーションが崩壊しかけていたので、
あわよくば新戦力の補強もしてやろうという野望も抱いての来店です。

駐車場にはわりとすんなり入れたので、かつてほどの勢いは衰えたのかと思いきや、
店内はいつも通り、というか今まで以上のお客さんでごった返しています。
ヒートテックはやはり大人気ですが、人混みをかき分け、
クルーネック、Vネック、タートルネック、タイツをゲットします。
新戦力に関しては買おうかどうしようか悩んだあげく、
最近ダメになったジャケットやパンツの代わりになるものを買うことにしました。
そうこうしているうちに、ユニクロにもかかわらずけっこうな額の大人買いになってしまいました。

レジで精算を終えたところ、クジを4枚渡されました。
クジは箱の中から引かせてもらえるわけでもなく、
お買い上げ5,000円につき1枚のクジを店員さんから直接渡され、
その場でめくると、そこに結果が書いてあるというシステムです。
なんだかワクワク感もドキドキ感もないクジだなあと思いながら、
事務的にめくっていくと、次々と 「残念」 の文字が現れます。
チッ、どうせオレには外れクジしか渡してくれなかったんだろうと、
ふて腐れながら最後の1枚をめくると、なんとそこには 「アタリ」 の文字がっ

「えっ? アタリなんてあるんだ」 という私の素直な感想にかぶせるように、
レジの店員さんが店中に響き渡るような大きな声で、
「ウワーッ、おめでとうございますっ」 と叫びます。
すると、別のレジで会計をしていた店員さんたちも次々と、
「おめでとうございますっ」 と叫んでいくのです。
「ブックオフかっ」 とツッコみたいところですが、
付近にいたたくさんのお客さんたちの注目を浴びてしまってそれどころではありません。
なんでもいいから早く賞品をもらって退散したいところです。
賞品は何だろうと思っていると、奥からエライ人が出てきて封筒を渡してくれました。
なんと中には一万円札が入っていました。

あとで知ったのですが、ファーストリテイリングは創業60周年だそうで、
(福島大学と同い年ですね)
その記念キャンペーンで、10万人に現金1万円が当たるというクジだったのでした。
なんだ10万人か、だったらアタリはバンバン出ているのでしょうか。
たまたま知り合いの福大生がこのユニクロでバイトしていて、
ばっちり一部始終を見られたらしく (うー、恥ずかしい)、
パンツの裾上げを待ってるあいだに声をかけられました。
彼女に聞いたところによると、1店舗につき1日に2~3名しか当たらないのだそうです。
それもけっこうな高確率ですが、しかし、これだけごった返している店の中で、
自分がその当たりクジを引けるというのは、とても有り難いことです。
なにかに祝福されているのでしょう。
こういうおめでたいお金は、なにかいいことに使いたいと思います。

とりあえずファーストリテイリングにお返しをしておきましょう。
みんな、今、ユニクロはキャンペーン中だよ。
本当に現金1万円が当たるよ。
運試しに5,000円以上の買い物をしよう
たとえ外れても、景気回復には役立つはずだっ
クリスマスだし、年末だし、財布のひもをゆるめてあったかいヒートテックを買って、
日本経済を救おうではありませんか。

MFT(その5)・クリスマス

2009-12-02 17:20:49 | 幸せの倫理学
福島駅前もライトアップされました。
街はクリスマス気分が高まってきています。
クリスマス、大好きなんです。
クリスマスそのものというよりも、クリスマスに向けてだんだん盛り上がっていく感じかな。
そういうクリスマス気分が大好きで、
うちにはクリスマス・ソングのCDが5、6枚あります。
12月に入ると毎日聴いてる感じです。
階段箪笥のディスプレイもクリスマス仕様に変更です。
写真ではわかりづらいかもしれませんが、
クリスマス・プレートの間に、ツリーとキャンドルとサンタクロースが立っています。

なんでこんなにクリスマスが好きなんでしょうか。
私の誕生日が年末の28日なので、
子どもの頃はクリスマス・パーティと私のお誕生会が同時に開催され、
1年の中で最も大きな行事として盛り上がっていた、
という子どもの頃の楽しい思い出が影響しているのかもしれません。
私は3人兄弟の長男で、そのWパーティのときには、
妹や弟とは格段にちがう豪勢なプレゼントをもらっており、
やっぱ長男はトクだよなあとひとり悦に入っていたのですが、
長じてからよく考え直してみると、
妹や弟は自分の誕生日には誕生日プレゼント、
クリスマスにはクリスマス・プレゼントと年に2回もらっていたのですが、
私は誕生日プレゼントとクリスマス・プレゼントが兼用なので、
2人のクリスマス・プレゼントよりも豪華だったのだというカラクリに気づきました。
自分の頭の弱さに呆れましたが、
しかし子ども時代はそれでものすごくうれしかったのだから、
まあ、それはそれでよい思い出なのでしょう。

とにかくそういう幼少時の記憶もあって、クリスマスは私の大のお気に入りなのです。
クリスマスが近づいていくこの12月は、
もうホントに気分が浮かれて浮かれてしかたありません。
ライトアップ
クリスマス・ツリー
シャンパン
ケーキ
プレゼント
サンタクロース
ああ、どれも心躍る単語じゃないですか。
うーん、考えてるだけで幸せになってくる
年末までに片づけなきゃいけない仕事が山のようにあるけれど、
とりあえず幸せだあ
メリー・クリスマス

幸せのおすそわけ

2009-11-24 14:47:07 | 幸せの倫理学
久慈での結婚披露宴、いろいろ度肝を抜かれるようなことが多かったです。
私は職業柄、教え子の披露宴には数多く参加してきているんですが、
今まで見た中でも最大規模の披露宴だったと言うことができるでしょう。
本人たちの弁によると、招待客は200人とのことですが、
会場を見渡してみても、席次表を眺めてみても、
とてもそんなもんではすまないぐらいの人が集まっているように思えます。
うしろのほうのテーブルからは高砂の席の2人は豆つぶくらいにしか見えません。

来賓の顔ぶれもすごいです。
祝辞のトップバッターは町長さん、次が町議会議長さん、トリが町の教育長さん。
こんな豪華なクリーンナップは初めてです。
おかげさまで私は乾杯の音頭も勘弁してもらうことができ、
乾杯後の最初のスピーチという役回りを果たせばよいことになりました。
来賓祝辞や乾杯の音頭というのは、まだアルコールも入っていませんし、
会全体がカタイ感じですのでとても緊張し、手や声が震えてしまったりするのですが、
今回は、どうせ乾杯の後だからもう誰も聞いていないだろうし、
結婚する2人だけに向かってお得意の 「ありがたい話」 でもすればいいだろうと、
とてもリラックスモードで臨むことができました。

ところが、指名されて前に出てみると、来賓の方々が祝辞を述べた定位置ではなく、
高砂の席のうしろに回って、新郎新婦のあいだに立って喋るようにと、
式場の人に指示されました。
そんな立ち位置は見たことも聞いたこともありませんので、
「え、何これ?」 と一気に緊張モードに突入してしまいます。
会場の皆さんもせっかくお酒と食事が始まって騒然とした雰囲気になっていたのに、
新郎新婦のあいだでマイクを持って立っている私に自然と注目し、
何が始まるんだろうとシーンと待ち受けている感じです。
これでまったくアテが外れてしまい、
あらかじめ考えてあった話の内容が全部頭から飛んでしまいました。
あとはもう、突然の展開に戸惑っていることを素直に告白し、
その場で頭に思い浮かんだことをテキトーに話していくしかありませんでした。
自分的には相当グダグダなスピーチだったろうと思いましたが、
幸い、一緒に出席していた卒業生たちからは、
今までのスピーチの中で一番よかった、だんだん腕を上げていると評価していただき、
ホッと胸をなでおろしました。
あとで確かめてみたところ、あんな位置でスピーチするというのは、
久慈だろうが岩手県内のどこだろうが誰もお目にかかったことはなく、
乾杯後のスピーチで誰も聞いていないという状態になってしまってはいけない、
と気を利かした2人の発案だったそうです。
お心遣いはありがたいのですが、「師の心、弟子知らず」 とはこのことです。
ともあれ、結果的には事無きを得ましたのでそれでよしとすることにいたしましょう。

他にも、ウェディングケーキが天井に届きそうなくらい大きかったりだとか、
キャンドル・サービスがオートメーション化されていただとか、
食べきれなかった料理をお持ち帰り用パックに詰めてくれただとか、
いろいろと度肝を抜かれることがたくさんあったのですが、
最後に驚かされたのは、引き出物でした。
(実はテーブルに着いたときにもう驚かされていたのですが…)
冒頭の写真で、引き出物の手提げ袋がどれほど大きかったか伝わっているでしょうか?
最近はカタログ・ギフトが流行っていて、
引き出物の袋はどんどんコンパクトになってきているのですが、
そんな話は聞いたこともないという風情で、
ドーンと存在感のある大きな袋です。
持ってみるとズッシリと重いです。
たぶん今までいただいた引き出物の中でも最も大きく、最も重いと言っていいでしょう。
これを400kmも持って帰ることができるだろうかと心配になるくらいです。
引きずるようにしてなんとか福島まで持ち帰り、中を開けてみると、
こんなラインナップでした。
1.シルクの掛け布団
2.ハム詰め合わせセット
3.カステラ詰め合わせセット
そりゃあデカイし、重たいはずだ。
それにしても、布団?
これは、このへんの風習なんだそうです。
できるだけかさばるものをあげるのがいいらしく、
布団というのは一番オーソドックスな引き出物だとうかがいました。
それにしても最後にビッグな、そしてあったかーい幸せのおすそわけを頂戴し、
度肝を抜かれ続けた 「岩手北リアス地方、結婚披露宴の旅」 は、
めでたくお開きとあいなりました。

ホントの自分

2009-10-14 23:45:51 | 幸せの倫理学
また授業が始まってしまいました。
2ヶ月以上やっていなかったことをまた再開するかと思うと、
ちょっと暗くなります。

でもここ数年は4月と10月の初っぱなに看護学校の授業が入っているので、
それをやりながら暖機運転というか、
じょじょに身体をならしていくことができるようになりました。
といっても別に看護師志望の女子学生に囲まれて
悦に入っているというわけではなく、
ワークショップ形式にしているので、
ワイワイ楽しく授業ができていい、ということです。
90分間ひとりでしゃべり続ける講義形式の授業とはダメージが違います。

看護学校ではいつも1時間目は 「汝自身を知れ」 というテーマで始めます。
最初にみんなに紙を配って、
自分のモットー (生き方の原則) とか興味・関心とかを書いてもらいます。
次に4~5人くらいのグループを作ってもらって、
みんなで紙を回し、ひとことずつその人のことを紹介してもらいます。
一回りしたところで、
自分で考えている自分とみんなから思われている自分とを比べてもらい、
どう感じたかを振り返ってもらいます。

例年このワークをやってもらうと、
ホントの自分って何だろうって悩み出しちゃう子がいるので、
ひとことフォローを入れるようにしています。

「自分の声を録音してあとで聞いてみると、
全然ヘンな声で自分の声じゃないって思ったことない?
でもまわりの人に聞いてみるとこれがあなたの声だよって言われるよね。
自分が自分の身体を通して聞いてる自分の声と、
他の人が聞いてる自分の声はちがっているんだそうです。
浜崎あゆみの歌声をみんな知ってるけど、
たぶん浜崎あゆみ本人はあんな声で歌ってるつもりはなくて、
ぼくたちが知らない声で歌ってるんだろうね。
さてその場合、ホントの浜崎あゆみの声はどっちなんだろう?
みんなが聞いてるあの声か、
それとも浜崎あゆみしか聞いたことのない浜崎あゆみの声か?
自分しか知らない自分の声がホントの自分の声なんだろうか?
それと同じことが声だけじゃなくて、
ホントの自分にも当てはまるかもしれないね。
みんなが知ってるあなたがホントのあなたなのか、
あなただけが知ってるあなたがホントのあなたなのか。
この問いに正解はありません。
この授業を通して考え続けてみてください。」

こうして、いたいけな看護学生たちは、
ワイワイみんなで楽しく話し合ってたはずなのに、
いつの間にか哲学の底なしの深淵へと引きずり込まれていくのです。
おお、コワイ。


強みを活かして生きる

2009-10-10 12:14:26 | 幸せの倫理学
自分の強みを活かして生きるというのは、
幸せに生きていくためにとても大事なことです。
私は、自分の強みの1つである 「着想」 を活かすことができているので、
大学教員という職に就けて本当にラッキーであった、という話を書きました。
今日は、この自分の強みをどうやって知ったかをご紹介いたします。

日本では2001年に発売されて、未だに売れているというか、
最近また売り上げが伸びているらしいのですが、
『さあ、才能 (じぶん) に目覚めよう』 という本があります。
この本はお薦めです。
「教養演習」 という私が担任している1年生の授業では、
全員にこれを買ってもらっています。

この本の哲学が好きで、人間はとかく弱いところ、苦手なところを克服し、
劣っている部分を補っていこうとしがちだけれど、
そんなことはしなくていいから、自分の強みをどんどん伸ばしていこう、
というのがこの本の基本的主張です。
著者はポジティブ心理学を提唱し、ギャラップという調査会社を創立した人で、
200万人ものインタビューに基づいて、人間の強みを34に分類し、
「ストレングス・ファインダー」 という、
自分の強みを特定するための心理テストを開発したのです。
この本には、34の強みがそれぞれどういうものか書いてあるのですが、
それだけではなく、本の表紙の裏側に書いてあるIDナンバーを使って、
インターネット上から 「ストレングス・ファインダー」 を受けることができるのです。

「ストレングス・ファインダー」 をやると、
自分の上位5つの強みがわかります。
私の強みは以下の5つでした。
1位 着想
2位 内省
3位 親密性
4位 ポジティブ
5位 戦略性
本を読んで34の強みの説明を見ながら、
きっと自分の5つはこれだろうなあと予想したものがあったのですが、
2位の 「内省」 くらいしか当たっていませんでした。
他の4つはとても意外だったんですが、
しかし、この結果を受けてよくよく自分の行動や選択などを振り返ってみると、
なるほどたしかに自分はこういう人間かもしれないと思えてきます。
特に、1位の 「着想」 はまさにこれが自分の核だったんだと、
ものすごく納得がいきました。
自分でも気づいていない、意識していない強みに気づいてみると、
これを活かさない手はないよなあと思いますし、
また実際に仕事の中ですでにけっこう活かしているということにも気づきます。
40歳を過ぎるまでこれに気づかずに生きてきたのはもったいなかったなあ、と思います。

というわけで 「ストレングス・ファインダー」 はお奨めです。
本を全部読まなくてもいいけど、
とにかく本を買って 「ストレングス・ファインダー」 をやってみてください。
(古本ではたぶん 「ストレングス・ファインダー」 をできないので注意!)
学生もみんなやってよかったと言います。
自分のキャリアを考えていく上でも、とても参考になるでしょう。
キャリア・カウンセリングのほうでもいろいろな心理テストを学びましたが、
(Y-G性格検査、適職診断検査CPS-J、MBTI、など)
「ストレングス・ファインダー」 のほうが断然お奨めだと思います。
勝間和代さんは私と同じ 「着想」 が強みらしいですが、
彼女の推薦のことばはこう↓でした。

「ぜひ、隠れた能力を見つけて、わくわくしてください」

ホントにわくわくできますよ

三春病院合同研修会 「倫理学入門 幸福の倫理学」

2009-09-29 19:06:19 | 幸せの倫理学
先日、三春町立病院に行ってきました。
三春・田村地区医療職合同研修会に講師として招かれたのです。
いつもは実践的なテーマで研修をされているようで、
「血液データの判読と病態生理」とか 「股関節脱臼に焦点を当てたリハビリテーション」 とか、
いかにも役に立ちそうなテーマばかりが並んでいます。
そんな中なぜ私が招かれたのか、
福島大学卒で私の授業を取ったことがあり、
看護教育の会合で私が講義をしたときにも聞いたことがあるという助産師の方が、
私を御指名で呼んでくださいました。

上記のような実践的な研修をやっている会とは知らなかったので、
打ち合わせの中でなんとなく決めてしまったテーマが、
「倫理学入門 幸福の倫理学」 という楽しげな (怪しげな?) タイトルです。
まあ最近、高校の出前授業とかでやってるような話を大人向けに練り直して、
なんとか楽しんでいただければ、なんて考えておりました。
毎度のことながら、あらかじめきちんと準備をしておくなんてこともできず、
日々の仕事に追われているうちにあっという間に当日が来てしまいました。

たまたま夕方の研修だったので、
当日もギリギリまで資料を作ったり印刷したりしていました。
とはいえ、これも高校の出前授業と同様、用意した資料はマインドマップ1枚きりです。
あとで知ったことですが、参加者の皆さんは私の回に限って、
資料代300円を払ってくださっていたようで、
300円も取ったのにペラペラのA4用紙1枚だけかよと呆れられたにちがいありません。
まあ、こんなマインドマップ1枚で90分も話し続けられてしまうのも、
ひとつの芸といえば芸なので、それで勘弁していただきたいですし、
マインドマップっていろいろなことに使えて便利なんですよということもお話ししましたので、
私としては300円というのもあながち高すぎるわけではないのでは、
などとも思っているところです。

今回の講義では 「受け止め方の問題」「ありがたい話」 を中心に
幸せになる方法をレクチャーしたあと、「ノーブレス・オブリージュ」 の話をはさんで、
最後の 「医療と倫理」 の話につなげるという構成を考えました。
いずれも、そのうちこのブログで論じたいと思いますが、
簡単に言うと、幸せになる方法を身につけて幸せになってしまった人は、
ただ自分が幸せならそれでいいのだろうか、というお話です。
ノーブレス・オブリージュというのを私は 「恵まれた者の責務」 と訳していますが、
人よりも恵まれている人は、その幸福をただ自分のために使うのではなく、
恵まれない人びとに幸せを分かち与える義務があるのだということを意味しています。

昔から 「医は仁術」 と言いますが、
医療というのは人びとに幸せを与える (少なくとも不幸を取り除く) 仕事です。
その意味では医療というのはノーブレス・オブリージュを職業にしてしまったような、
人もうらやむ素晴らしい仕事です。
そういう仕事に携わる人たちにはどのような倫理が求められるのか、
逆に現代は医療従事者がまったく報われない (むしろ迫害されている) 時代ですが、
社会や国家や国民は医療をどのように守っていかなくてはならないのか、
といったことを最後の 「医療と倫理」 のところで語り講義を終えました。
最後の結論は、「自分が幸せでないと人を幸せにすることはできない」 ということでした。
だからこそ、まずは自分が幸せになり、
そしてその幸せを人にも分けてあげるようにしましょう、というのが話の全体像です。

後日、研修会アンケートを送っていただきました。
どんな結果でもいいので、ありのままの声を教えてほしいとお願いしていたのです。
④満足した、③まあまあ満足した、②あまり満足しなかった、①満足しなかった、
の4択アンケートです。
結果は3.84。
ひじょうに高い評価をいただけたのではないでしょうか。
時間もなかったので記述意見はそれほどありませんでしたが、
「自分が本当に幸福であることを実感することができました」 とか、
「今日、話を聞いて幸せになった」 という、
講師冥利に尽きるお言葉も頂戴しました。
三春病院をはじめとして三春・田村地区の医療施設で働く人たちがものすごく幸せになり、
その人たちに支えられて生きている患者の皆さんにその幸せが伝播し、
そして三春から福島へ、福島から日本へ、日本から世界へと、
幸せが広がっていくことを祈っています。


(たぶんマインドマップは中身をまったく読めないだろうと思います。
 なんとかうまいこと公開する方法はないか、模索中です。)