本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説041 : reProfesional#112

2008-10-31 02:14:34 | reProfesional
第二部 社会的側面 社会的な成功に向けて

chapter#41 不安の正体 

ボクは思う。たとえば、ボクがこの章の表題を「不安の招待」と書き間違えていたとしても、それは一概に誤字とは言えないのではないだろかと。たしかに、僕がときに、このコンピューターを介して行われる創作活動の中で、誤字という行為をおかしてしまうが、日本語の美しき特性として、誤字は誤字として時にその書こうとしていることの本質を言い当てているということもあると思う。
不安の招待というのは、今ボクにこうやって訪れる不安の本当の姿とはどういうものなのかということを今もてる知識を構造的に解き明かそうという試みではあるが、それはいうまでもなく、どこかボクの知識の、頭脳のかなたから、不安の招待があったからだといえるし、創造主ということばを想像主と誤字をするのも、彼が、確かに、ボク等人間という存在を創り上げた存在というほかに、ボク等が、想像している中で創り上げた、こちらをいわば創造主、もしくは、想像主として対置しているということも含むといえる。

思うに、ボク等が生きる世界というのは、おそらく、たいしたことのない中ですべての生産活動が行われているのではないかと思う。
ボクのそばにいるその学ぶべき存在である老心をもった彼らが象徴しているように、ボク等はただ生きているというだけでは、いかにも意味を持たない存在であるし、そういうふうに振舞っていたほうが、害はないのだろう。
何かを創造しようとする試みは、多かれ少なかれ、既存の秩序に対する破壊をもたらす。それゆえ、みな、目を瞑ったフクロウのように、こうもりとともに、夜行性を気取ろうとする。
こうもりのつかさどる世界においては、夜行性を気取ることが利口な選択なのだろう。

はたして、老心をもつと一蹴できるほど、僕はフクロウ軍団と化した従順なハトたちに勝るところがあると、胸を張っていえるのであろうか?
結論からいうと、そういうことを胸を張っていえないというところに、ボクを創作活動に走らせる大きな理由があるのだろう。
フクロウたちのように、目を開けているか、閉じているのかわからないように、日中を過ごし、こうもりとともに、安全圏に過ごすという極上の選択肢を選びたくないし、ボクが本能のどこかで、こうもりの支配下ではない部分での社会的成功を望んでいるという部分と、このままいくと、この安全圏のこうもりとフクロウの軍団の中では、自分のうちで輝く可能性というのをいともすばらしく枯渇させることがどれだけ容易かという恐怖と不安がボクを彼らと距離を起きたいという健全な欲求へと背けるのであろう。

ボクは、これ以上、わけのわからないらせん状の対他者関係の議論に時間を割いている余裕もないし、ボクが巻き散らかしたままにしてしまっている対他者の関係における疑問というのも早急に刈り取っていかなければならないという危機感も感じている。

ボクが今書き上げようとしているのは、小説という創作物であるし、僕が人生の選択してとして選び取ろうとしているのも、文筆家としての成功である以上、この行為のレベルをさらに深化させていき、社会的に意義あるものへと消化させていかなければならないと感じている。
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小説040 : reProfesional#111

2008-10-30 01:31:03 | reProfesional
chapter#40 機嫌取りの関係

老心を持つ人物は死すべきだと思うが、ボクには彼らを概念的に消し去る方法をまだ思い浮かべていない。
ボクが以前熱心に述べようとしていた書物を読む理由のもうひとつが、大きい枠組みの中で言うと、同じことなのだが、こういう老心をもつどうしようもない、存在価値のない人間というと、嘘になるが、彼らに対する機嫌取りの方法を学ぶためというのも大きい。

どうやら、人間社会というのは、きわめて面倒くさい構造をしているようで、必要のない人間と良心的に判断できる人間にも生存の権利を与えているようで、両親を持つ人間は、彼らとのやりとりをスムーズに進める義務というのを追っているようである。つまり、ボクが彼らに見出した存在意義とは、このめんどくさい社会的使命としての良心を持つものへの存在意義としての自らを磨くという意味での格好の対象になるという意味でである。

死すべきものにも、少なくとも、良心を持つ良質な人間を何ゆえか、わかりはしないが、鍛えるという壮大な役割があるのである。きっと、このあまり有意義にも感じられない生のなかでも、どうせ消えてなくなるという不条理の有期限の生のなかでも、ボク等は磨かれ続けることを本質的な性質として請け負っているようである。

おそらく、ボクが思うに、どれだけ死に値する人物に対しても、優しい創造主は、生きる権利というものを平等に与えている。彼らを殺す新しい概念的方法論もおそらく今の僕にはないわけだから、彼らを通じて学べる一番大きいことでもあろう、概念的に不必要なものを自らの必要とされる手段の中に組み込むというすべを学んでいくことがおそらく、ここにボクがおそらく第一部を閉じてもいいのではないかといえる理由を発見したといえるのではないだろうか?

それぞれの人間に想像主から与えられた意味があり、ボク等は、お互いに喜びを与え合いながら生きていかないといけない。理想論の背景に隠された、個人的な曲がった理想というのがあるわけだが、創造主の意図に、登場人物、被創造物は逆らえないし、想像主の意図に近い形を模索し、生きていくことで、ボクはおそらく有意義な暮らしを営めると思っている。
めんどうなことだが、機嫌取りの関係を成就させ、老心を持つ愚か者という主観に満ちた彼らに幸福を与えてやらなければならないのである。
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小説039 : reProfesional#110

2008-10-29 01:18:34 | reProfesional
chapter#39 無意味の反復

精神を忘我に追いやり、快感に身を鼓動させる、それだけの人生なんてボクには到底不可能である。
この帝国の中では、絶えず、無意味が反復される。
無意味に繰り広げられる視線の応酬。
老婆は若者の所作に眉をひそめ、あら捜しをする。ボクは思うもう、この老婆はこの空間から去るべきだと、老父はやはり若者の美しい足に自らの溜出物を撒き散らし、怪我していくことで快楽を得る。

精神の忘我状態というのは、この帝国で生きる人にとっては自然な状態なのかもしれない、だがボクが完璧な忘我状態を維持できるほど精神が強くないし、おろかでもないということは、これまでボクと歩みを一緒に進めてきてくれた読者の方なら、お分かりいただけるだろう。

無意味な反復を繰り返す老婆と老父。
彼らにとってはそれが生の証であり、残り少ない人生を有意義に過ごすための手段なのだろう。ボクのような若者に出来ることは、すべてのとはそのような老人たちを姥捨て山を造り廃棄処分してやることだろう。死すべきものは死すべきなのだと思う。

何も、老人を排斥しろとかそういう危険な、アナクロなことをボクを論じているわけではない、ボクは、精神を忘我の極地に追いやり、他者を扱えない、もしくは言い方を帰ると、他者を排斥することでしか自らの生きるすべを見出せない、そういうゾンビのような連中は比喩的意味において、社会の産業廃棄物として、処理されるべきだと思う。

自ら、芽を育てようとしている若者にとって、そういう精神の腐りきった老心の持ち主は弊害以外のほか何者でもない。
ボクは本心から娼婦であることに深い拒絶を反応を感じる。
老心をもつ連中というのは、こうもりにより、精神を餌食にされたゆえにそういう性格になっている側面もあるのだろうが、従順なハトの中の属性においても、もっとも、憎むべき性質を持ち合わせたクズであるといえる。

適切なものに死を。
ボクは常々そういう風に願う。罪のない純粋な若者が不慮に殺されることには大反対だが、年齢を問わず、そういう社会の害になるような鼻糞のような人物には積極的に死を求める。
もしくは、我という存在の醜さ、その精神の造詣の醜さから発する悪臭に築き、自ら、その精神に死を宣告するという勇気を持ってもらえることを強く望む。
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小説037 : reProfesional#109

2008-10-28 23:19:46 | reProfesional
chapter#37 娼婦の喜び

娼婦の喜びは、自分がたとえお金を払い、一時的な性欲を満たすためのはけ口としてでも、自分が存在するという確証をえられるというところにある。
娼婦はただ一人では存在できないし、その尊厳を保持することもままならない。
およそ、ほとんどの人間は娼婦のように、金でその肉体と精神を忘我の極地においやり何とか生きている。

自分ひとりでは存在価値を得ることが難しいという風に、絶望的境地を実感することは、生きていくうえでのタブーなのだろう。すべての人間はおよそ彼がよほど天真爛漫で、幸せな人間でない限り、その本質を娼婦のような人間であるといえる。
でも、だれも自分が本質的に娼婦のような人間であるなんというふうには思わないし、自分がそのような性質の人間であり、他社へ恐ろしく依存しなければ生きてイケないという事実を直視してしまうと、おそらく自らの存在を外部に自己実現という欲求のために躍進しようという気などうせてしまうだろう。

どうやら、ボクは思うのだが、この世の中、閉じ込められた帝国の中でイキイキと生きていくには、そんな存在の本質とでもいうべき部分に対して水晶体を、網膜を煙を吹いたライターで焼き尽くさないと生きていけないという性質のものであるようである。
自分の本質が娼婦のようなものであるにもかかわらず、ボクたちは出来るだけ幸福そうな顔をして生きていかなければならない。
果物を好む理由のひとつとして、さっきの章では書きそびれてしまったが、自分にも果物を食べることが出来るという淡い期待が持てるからこそ、果物を食べてみたいという欲求も起こるのであろう。

もし、自分は他社の存在に絶望的にしばられており、果物を食べるという行為そのものにも管理者の許可が必要で、管理者、保護者に口に入れてもらえないと食べられないし、ましてや、罪に手を汚さないと果物を食べられないというような状況であれば、そこまでの足かせを感じてまで、果物を食べようという努力家はいないだろう。

元来人間は、自分の存在を認めてほしいものである。この命題の中には、本質的には、他者を認めたくないというテーゼも内包されているのではないだろうか?
自分を認めてもらう代償として、必死で他者を否定しようとするおろかな人間。
ボクは思うのだが、社会、つまりは、低俗な人間の中で、つまりは自己を高揚させようという欲望もなく、ただむなしくも、他者否定のテーゼの中だけで自己顕示をなそうとするくだらない人間の中で生きていくということは、おそろしく精神の疲労をもたらすし、肉体的にもくさっていく。

こうもりがたとえいなくても、こもりによって、灰色のハトとしてかんせいされてしまった腐った鳥獣の中ですごすということは恐ろしくけだるいものである。

これだけ、けだるく、自分が娼婦のように、他者に絶望的に頼らなければ、人間的最低限度の文化的生活も営めないとわかりきっている中でそれでも、幸せそうな顔をして生きていかないといけない。そんなのは正直僕は選択したくないし、他者否定で何とか、空しくも自己存在を担保するような連中は、冗談ではなく、殺してもいい存在なのではないかと思う。
殺しても、死んでもいい、むしろ、存在の抹消こそが望まれるおろかな灰色のハトたちは、不幸にも明日ものうのうと生きている。

娼婦は幸せを感じる、自分は娼婦ではなく、あたかもビジネスを営む成功者だと感じているから、娼婦と感じてしまうボクは不幸を感じる。
本当の灰色のハトはのうのうと生きていき、ボクは死んだほうがましだと自分自身に対して思っているという矛盾に対して。

たいてい、純朴なものから順に汚されていく。罪あるものは排斥されていく。
罪は作られていく。
おろかな灰色のハトによって。
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小説036 : reProfesional#108

2008-10-27 01:39:48 | reProfesional
chater#36 夜の果実

夜寝る前に、空腹を感じたなら、果実を食べるといいらしい。
その果実もわざわざ山に行って、よなよな肌が凍える中取りに行くほど、ボクは気力もないし、果実に求めるのは、一時的空腹を満たしてくれる類のものであったり、ただ何かを食べたいという欲求を満たしてくれるものであればいい。

果実は熟れすぎていないほうがいいし、おいしいほうがいい。美しい造詣を保っているほうがなおいい。ただ硬い柿のような果実ではなく、マンゴーのように躍動的なものであったり、苺のように淫靡なイメージのものがいい。
快感を与え、それに加えて、身体に、精神に潤いを与えてくれる類のものであれば、よりいいし。健康という秩序に整合性を与えてくれるものであれば、それはすばらしい。

また、僕のや若くなった頭脳を、精神をガチガチに硬直させ、自信を取り戻してくれたり、疲れを取り戻してくれ、幸福感に満たしてくれるなら、その果実はまさに媚薬であろう。

忘我のことをエクスタシーとも言うらしい。
ボクは夜になると、いや果物をみるとぜひ食べてみたいと思う。とくに空腹でもないのに、食べてみたくなることも多々ある。
なぜ、ボクは果実を之ほどまでに食べたいと思うのだろうか。
ただおいしいとか、食べたいとか、空腹であるという以前に、そのマグマのように放出する熱気を放つ、果実が魅力的であるとか、ただ鼻を近づけ、その芳香を独り占めしたいという以前に、おそらく果物を食すということ、それを愛撫するということに快楽があるということを本能的に知っているがゆえに、ボクはそれがいとおしくすきなのだろう。

ふれる喜び、舌にからみつく甘美な味。
ただそれに出会うことの喜び。



たいして、人生において、果物をたべるということが、大きな意味を持つわけでもないだろうに、どうしても魅力を感じさせる。

娼婦の喜び。
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小説035 : reProfesional #108

2008-10-26 01:24:18 | reProfesional
chapter#35 自己破滅的遊び

復讐心だけでは王国の中で生き延びていくというのは難しいだろうし、復讐心に満ちたようなやつに、たとえそれが無垢なハトといえども、許すほどに甘いとボクも思っていない。
ボクはボクでボクの王国を築くことが必要だし、できれば、ボクがボクの王国を築くために何が出来るかということを考えることこそ、本当にいまのボクに必要なことだろう。
ボクにも遊びが必要だし、この第一部の大きな本題である対他者の関係ばかり見ているだけでは、この物語も完成しないだろう。
物語を成功裏におさめるためには、遊びに放蕩するようでは、その成就はおぼつかないだろう。いまのボクには本当はこうもりや、ハトに現を抜かすような余裕もないし、時々現れるくちだけの狐女に苛立ちを覚えて精神を消耗しているような余裕もない。利害がそれほど自分の人生を考えた際に少ない、人の幸せ、彼らの不幸を考えていくようなことは本当は役立たないことなのだろう。

でもそれでも、ボク等は、たいてい人生にとってたいして役立たないことに身を投じてしまうという愚行を平気で繰り返す。
不必要とされているものだからこそ、逆に身を興じてしまうというおろかな一面もある。してはいけないとわかっているからこそ、放蕩に走ってしまうこともある。今何をするべきかということが明確であればあるほど、何かの抑圧が強烈であればあるほど、別の圧力が精神の中で生じ、そこから逃げようとしてしまうというおろかなこともある。

何か大切なものを傷つけたり、失ってしまう可能性があるからこそ、時として冷静な指向を失い、放蕩に走ってしまう可能性もある。
なぜ、ボク等は、ある程度意味がないとわかっているにもかかわらず、おろかな行動を選択してしまうのであろうか?

性にも何種類かあるのだろう。本能的な性と、愛の明かしてしての性。ただ興味から生じる性。ボク等は倒錯しているし、気が狂っているとも思う。
目の前で娼婦が目を隠して笑っている。色白い魅惑的な素肌を、すらりと伸びた脚をこちらに向けて開き、その奥からは、朝露のかかった果実がひくひくとすばらしく美しい方向とともにこちらを眺めている。
ただ、美しいもの、甘美なものを有したいと思うゆえに、われわれは、無駄な行為を行うのか?
その遊びからは何が生まれるのか?
究極を言うと、こうやって本来自分の人生の中で行うべきではないと自分が感づいていることに身を投じるということも、娼婦との性に近いのではないだろうか?

ただ快楽をもとめ、いや言い方を変えるなら、一時的な不快を避けるためにボク等は、永遠の不快を引きづれることにすらなることがある。

忘我のことをエクスタシーとも言うらしい。
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小説034 : reProfesional#107

2008-10-25 00:15:01 | reProfesional
chapter#34 神の悲劇

擬似神としての神であるこうもりも、それほどおろかではないし、本当の独裁者としておろかに振舞うには、学習能力を持っている。
独裁者がただの従順なハト以外の人間から嫌がられるひとつの大きな理由が、彼の意思決定のプロセス、もしくは、彼の判断基準が見えないということになるのだろう。
本当の独裁者のように本当に優秀かもしくは、本当におろかでない擬似神は、たいていの思考・判断のプロセスをひとりで執り行うものではない。しかし、こうもりをはじめとしたたいていのまだ良心のあるどっちつかずの独裁者は他の力をそれも、疑心暗鬼で、人間不信の弱弱しい関係性、相助の仕方でアドバイスをこう。
こうもりの助言の請い方は自信のないものである。
本当は自分の判断で決定を下しているという印象を与えないと、彼が之まで築き上げてきた王国が脆くも崩れ去ってしまうからだ。

ハトはハトで裏切らない。でも、ボクは確実に長い目で見ると、こうもりを裏切ることになるだろう。何も彼を恨んでいるとかそういうことではないが、もくの人生の方向性をボク自身が見誤ってしまったこと、若気のいたりゆえに、ボクはよわよわしいこうもりを無残にも裏切ることになる。
こうもりがボクにそうであったように、たいして良質の血液を吸血できそうにもないが、ボクは彼から、吸い取れるものは吸い取らないといけないと思っている。

こうもりの悲劇というと、絶対的な価値はないということを彼の中途半端な知性ゆえにわかってしまっているがゆえに、絶対的な君主となれないという矛盾をはらんでいるということだろう。
ハトは、彼が絶対的なカリスマであるということを疑いもしないが、それ以外のタカであったり、ボクのようなハイエナもしくは、狩人の連中は彼を裏切ることになるし、こうもり自身もこれまで多くの裏切りを経験してきたのだろう。
それゆえの擬似神であり、自分を絶対的な価値観の上におけないし、おこうとしないというポーズを随所で採らざるを得ないという悲劇にとらわれてしまっているのであろう。

それでも、こうもりが本心から信頼を置けない野獣たちはつぎつぎに、こうもりが健気なハトたちに、彼がハトをハトたらしめ、魂を吸い尽くしたように、こうもりに襲い掛かろうとしている。
人を欺くことほど恐ろしいことはない。
結局欺かれるのは本人なのだから。
ということは、ここでボクが、狩人が、タカがこうもりをどれだけ巧妙に裏切り、欺むくことができたとしても、結局は、当人が仕打ちとして別の狩人に裏切られ、欺かれることになる。

人間社会では、一方の願望、欲望のみが一方って気に成就するなどという好都合なことはほぼ皆無であるといっていいだろう。
不正義に対しては、一定の正義が制御機能が働く、つまり、自分が正義を行っている限りは、不正義はある程度制御されるし、自分が不正義を行ってしまう限りは、正義がそれを帳消しとまでは言わないまでも、相殺にかかろうとする。

そういうある程度まとまな社会だからこそ、一方的な悲劇はない。だからこそ、ボクは気を引き締めなければならない。
与えられた屈辱は自分が狼に化けることで、こうもりを食い尽くすというカタチで必ず、借りは返す。

それは、決して不正義なやり方で返そうとは思わない。こうもりが彼の至らなさの上で作り出してしまったカオスに秩序をもたらすという結果で彼に復讐を出来ればと思っている。
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小説033 : reProfesional#106

2008-10-24 22:37:26 | reProfesional
chapter#33 狩人の悲劇

神の国で生きていく以上はルールがいるんだ。ボクは今回のタカの事件を経験する前から、そんなことはわかっているつもりであったが、より鮮烈にそのことを感じた。
ボクは狩人でもないし、本心からハトになろうとも思えない。
ボクは狩人ではないにしても、自分自身のちっぽけさ、ハトのおろかさ、自分を神として君臨させている擬似神のおろかさもある程度はわかっているつもりである。
でも、神の国でハトに囲まれ生きていくということは、予想以上に厳しさがあるものである。

ハトは白い。紙に従順である限りにおいて、白い。
でも、この世界においては、たとえ、それがどんな色であっても、ひとたび、修正液のようなハトたちのわなに引っかかると一塊もなく、真っ白になってしまう。
最初はボクは自分自身は狩人であると思っていた。
でも、狩人もこの島国に入ったとたんに別な存在に置き換わってしまうという恐怖感。

みんな若いうちは、自分はこんなはずじゃないと思い、老いに従い、やっぱり自分はこんなものかもしれないというように徐々に自分自身を変化させていく。

単純な作業の反復で、単純な恐怖の押し付けで、ボクが感じている以上の歴史がハトたちには襲い掛かっている。
無意味に感じるハトたちと神であるこうもりとの関係。でもそれも彼らが生きていくうえでは重要な意味をもっているんだろう。

ハトはハトで平和な世界を生きている。神は彼自身の中で築き上げてきた世界があり、その世界を維持拡大していくことで、幸せと恐怖を味わっている。
神が作り上げた国。その島国の中では、彼がルールであることは変わりない。
今の僕には、その島国から出る意思はあっても、それだけの十分な知識も勇気はない。

狩人の一番の悲劇は、狩りをする対象を失ってしまった状態となることと、自分にはもはや狩りは出来ないのではないかという恐怖心を持ってしまうこと。
この島国は、思ったよりも自然状態に近い、ハト同士の中でもいつか機会があれば、裏切りを働いていやろうという輩で満ちている。

もし、もうひとり狩人がここにいるとすれば、彼の力も借りて、少なくとも、この自然状態に近い神の国に、秩序をもたらし、ボクは無秩序というなの獲物を狩りをする対象として生きていければと思っている。
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小説032 : reProfesional #105

2008-10-23 00:19:27 | reProfesional
chapter#32 悲劇

ハトの悲劇。
ハトは信じるものによって動く。信じるものを正しいと信じ、えげつもなく、彼らの信じる作り上げられた神によって、動く。
ハトは、首を縦にしかふれない。
ハトはよく飼育されている。よく飼育されているがゆえに、飼い主である神にはけっして逆らわない。
ハトは、神を信じているという範囲において、決して贖罪をする責務を負わない。

タカの悲劇。
タカは自分を信じて動く。自分の信じるところと近しいものを身の回りに発見したときは幸福だが、ハトの集団に、しかもハトを率いる作り上げられた神の元で飼育されたソレに加わったときはタカにはさらなる悲劇が襲い掛かる。
自分の信じている方向とまったく事実は津波のごとく逆に動く。
タカには交渉力はある、ただ神はだませても、神に飼育されたハトまではだますことは出来ない。

ハトは逆襲する。神が飼育しきれる範囲を超えたタカの存在に。
タカは餌食になる。

ハイエナはどうすればいいんだろうか?ハイエナもタカに近いのかもしれない。でも、ハイエナはペニスを虚勢されようとしている。攻撃性は不必要となる環境。
それが、ハトの楽園。
ハトはみせかけの平和を好む。タカはある程度ハトの楽園の秩序を乱した。
ハイエナはただ、身の回りを徘徊し、様子を物色することしか出来ない。
ハイエナはタカほどは攻撃的ではない。

それゆえ、タカと身近にいすぎない限り、ハトの集団にその、屍をさらすということもない。

ハトよ。幸せなハトよ。
お前は幸福だ。君たちの神により、幸福という定義を曲げられて、その上での幸福を感じている。君たちは、幸福とは何たるかということを考える必要がもはやないんだ。君たちは、おそらしいほどの同化能力をもっている。

タカよ。幸せなタカよ。
お前は幸福だ。君は君を忌みきらうハトと、その神により、常にあらたな幸福を自分なりに再定義していく能力を持っている。君にはあまり同化能力はない。でも、君には自分の世界を構築していくという彼らにはない能力がある。

ハイエナよ。君はカメレオンのような存在だ。
君は、ハトにも、タカにもたいして好かれることも、嫌われることもない。
ハイエナなんてこの国にはたいしていない。
幸いキミにはこの島国を海を渡って抜け出していくような潜水能力もない。
キミは、この神の帝国で神の使いに徐々に蝕まれながら、去勢されながら生きていくしかないんだ。

その事実を曲げたいと思うなら、自慰行為を繰り返すだけではだめだ。射精をして、ハトを妊娠させるんだ。常にペニスを硬くし、ヴァギナに放出してやるんだな。人間の摂理というのは変わらないんだ。ハトをすべて、お前のDNAで汚してやるんだ。

まっしろなキレイな幼稚なハトどもを黒いカラスにしてやれ。カラスになった彼らは、自分たちが之まで作り上げていた神が実は自分たちとは違う色をしていたんだということに気づいて愕然とするだろう。

男根を鍛えろ。濃厚なザーメンを作り出せるように、たんぱく質を多くとれ。

・・・・・・・・・・

朝起きたボクの下着は生臭い匂いで立ち込めていた。
パンツを変えなきゃ。

いままでの話は何だったんだろう。
ボクは怪訝に思った。
ただ、ひとつだけこのおかしな夢から、感じたことがあった。
こうもりの悲劇を終焉させるには、自分でまわりのやつらを去勢してやらないと、オレが去勢されてしまう。。。

恐ろしく硬直し、膨張した股間から、どんどん精子が立ち込めてくる。

さあ、社会に出よう。
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小説031 : reProfesional#104

2008-10-22 23:58:32 | reProfesional
chapter#31 真実と事実

真実はあまりに危険なものだ。
ボクはそのように感じた。なぜそのように感じたのだろうか?
ボクは彼が本当に、罪を犯したのかということは、実は不確かなのではないかと思っている。彼は確かに、暴力的なところもある。
しかし、彼は、こうもりの呪縛から逃れたいあまりに、嘘を真実として、もしくは、真実ではあっても、こうもりから逃れるために、作り上げたのではないかと思う。
彼は、暴力的ではあっても、僕には優しかったし、嘘をそれほど、うまくつけるほど残酷な人間にも思えなかった。ただ、たしかに、彼は、ボクがうまく獲物を見つけるのに、妨げとなることもあった。

彼はおそらく、こうもりに生贄にされた鳥であった。彼はもともと自由であったし、現在も自由であったんだろうと思う。疑わしきところはあったにしても、彼はうまくゲージの中にこうもりの監視の下に飼育されていた。
こうもりのもとで彼を見守る、ハトたち。
ハトは、首を横に振らない。ハトは、こっけいな鳴き声ともに、無意味に首を縦にふるだけである。

それにしても、ここには毛並みによくないハトが多い。毛に光沢のあるハトなんて皆無に近い。

彼への悲劇。
彼は、こうもりによって、そしてこうもりに操られるハトによって、タカへとしたてられた。
歴史上、現在もそうだが、ハトと、タカの争いは後を立たない。ハトは、表面上の正義に弱い。タカは暴力的な正義をこのむ。

タカは、自分の主張を突き通すために時に自己中心的になる。


大群のハトが、タカを襲った。
ハトが、タカを単独でしとめるためには、あまりに無力であった。
大空を舞うタカは、無残にも地上へと鮮血とともに急降下していった。

ボクは、ココロというのが、初めて、これほど惨めに壊れ去りそうになるのを感じた。

タカは死んだ。タカは逃げる路もあったが、逃げなかった。鮮血をボクの肌に撒き散らし、惨めにも死んでいった。

ハトは神の象徴らしい。ハトは、時にこうもりという神のもとにあまりに残酷になる。自慰意識というオブラートに包まれた真実。
タカは、軽くやぶれるオブラートをのどに詰まらせ、窒息した。

真実はつくられるもの。神によって、無残にもつくられるもの。
別に、それが本当に事実によって、構成されているとか、いないとかそういうことはあまり関係ない。ただ神によって都合がいいか悪いかということが時に優先される。
神は気まぐれだ。本当の神ではない神は気まぐれだ。

人間というものは厄介だ、その中途半端な頭脳のゆえに、虚偽の神を多くつくりすぎてしまった。本当に信奉している甲斐ないかということとは別に、人間は時に惰性で神を信奉しなければならないシーンもある。
このおろかな人間。

ボクは神も、こうもりもそれほど忌み嫌っているわけではない。でも、神の思し召しで、異種の民を無残にもいましめるハトは嫌いだ。

タカよ!本当のところはどうだったんだい?
ボクは胸が締め付けれる思いだった・・・
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小説030 : reProfesional#103

2008-10-21 00:44:54 | reProfesional
chapter#30 嘘と正義

口から出た虚像。口から出なかった虚像。ボク等は、決してタバコの煙のように、ふと上を向いて、鼻を突くつかのまの存在に支配されるために、生きているのではない。生を全うするとは、軽く考えているよりもずっと、難易度の高いことである。

ボクは、前の章でボク等はある種の役割を演じながら、社会生活を営んでいるというように述べた。嘘というきりの中で身を紛らわせながら、嘘は虚像、虚実。
ここちのよい自慰意識で塗り固められた甘美なオブラート。
触れてはならない、唾液。

ボクは、彼の嘘が、彼の暴力が終焉していくのを目の当たりにした。彼は現実を破壊的に、破滅的に捉え、放棄すらしているというように、いっていたきがする。
ボクまでもが、決して、嘘をついているわけではないが、嘘を本当についていないかというと、嘘になる。
真実はあまりに危険だ。真実を保身のために正義として振りかざすときもあれば、真実をペテン師のように、巧みに操り、自分の都合のよいように誘導しようという人々もいる。
真実は真実。正義は正義。
人殺しは、人殺しは正義だと、本気で想い、無鉄砲なテロリストは、その行為自体を何の疑いもなく、正義だと信じる。

暴力は終焉していく。
暴力に決して正義はない。こうもりにも正常な部分がある。こうもりにも涙もあれば、情けもある。こうもりの暴力も終焉を迎える。こうもりの暴力が終焉を迎えるとき、ボクは戸惑いを覚える。彼の暴力が終焉を迎えるとき、ボクは、ガラスの窓に衝撃が走り、日々を伴うがごとき、涙がこみ上げてきた。
周囲の輩は、暴力がただ終わったということに、歓喜している。

彼は孤独な象徴。
彼の暴力は確かにこうもりに、大きな打撃を与えた。ボクはこんな屍を食らおうとするほど、堕ちてはいない。
堕落しきったもの同士の争いではない。
高貴な狼に、こうもりへ退治する狼に僕はなれるんだろうか?

空しさはもうこみ上げない。こうもりがした失敗。彼がした失敗。
正義は錯綜する。決して正義などない。

孤独の中での支配。破壊され、朽ちていく、主体性。僕は、何を望んで何を拒否していくのであろうか?
パラダイムを自分で変革していかなければならない。
身を削ってはならない、身を削らなければならない。
ただ生きるという残酷。
孤独の暗闇の中でボクらは回答を必死で探す。

僕も彼と変わらない孤独な存在。
倒錯状態の欲望の中で、疲労を深めていく深夜・・・・・・・・・・・・
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小説029 : reProfesional#102

2008-10-20 22:30:17 | reProfesional
chapter#29 倒錯状態

恐ろしく低い状態にある。
今のボクの願望に対する達成度、理想の自分に対する現状というのは、そういう風に言い表されるだろう。このままいくと、自分のなりたくな自分になってしまう、そういう恐怖は常々、ボクの頭を思い悩ます。チャンスがないのか?チャンスはあるんだと思う。
ボクは信念として、ボクがなりたい自分には必ずなれると思っている。でも、その自分になれるという保証はない、世界をgraspしていくだけでは何も変わらない。そんなことも、いたく痛感している。でも、まだ少なくとも、世界をまったくgraspしている状態からかけ離れている自分としては、まずは自分に出来る限り、世界をgraspしていきたいという欲望は大きい。
対外の身の回りにある欲望は、実につまらないことが多い。性的欲望を満たしたところでいったい何が生まれるというのだろう?食欲を満たしたところで、多少は頭脳がさえ、体が軽快になるくらいだ。睡眠欲を満たしたところで、体の疲れが取れ、頭脳が透明になるくらいだ。
テレビを見たところで、何の足しにもならないとまでは言わないが、ただの受身、成功者のくだらない宇佐話を放映し続けているだけだ。

今のボクに必要なものはそんなものではない。
ボクは思う、ボク達人間というのは、決してわれを忘れたりはしないということを、われを忘れたんだと思って、言い訳をしてしまうだけだということを。ボク達は、社会性の中で生きている。触れ合うタイプの人間によって、多かれ少なかれ引きずられてしまうということを知っている。ボク達は、日ごろ、Sであったり、Mであったりさまざまなタイプの人間と触れ合っている。

「こんな環境最悪だ」
「・・・・・今のボクらには、この現状を受け入れて生きていくしかないんだ」
「本当はこの環境はいいと思っている、でも、アイツがよくないというから、ボクはよくないというんだ」

身の回りには、およそ多くの種類の人間がいる。およそほとんどの人間が、MとSという立場を相手に応じて使い分けている。常に弱者であったり、強者であるというような人間はおよそいないのではないかと思う。
完璧に、その場その場に応じた立場を演じ分けると、僕たちは時として、八方美人になってしまうのではないかという恐怖を抱く。
でも、そんなことはないんじゃないかと思う。

時に、ボク等は、その時々の振る舞いを失敗と気づかずに失敗を犯してしまう。ボク等は、もっと失敗を積み重ねるべきなんだと思う。

ボクは今日も失敗を犯してしまった。
われを忘れたということは決してない。理想の自分と対置している存在に対して、かけ離れた言動を犯してしまったというのが正しいんだろう。ボクはおそらく明日も、多かれ、少なかれ、失敗をしてしまう。でも、その失敗をかさね、独自のハイエナとしてのHという立場を確立しなければならない。

そうしないと、ボクが恐れている、くだらない人生を送ってしまうということは目に見えている。まずは今すぐに出来る、世界をgraspできるための勉学をしよう。
遠くに輝く星をけちらせろ。


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小説028 : reProfesional#101

2008-10-19 21:57:43 | reProfesional
chapter#28 疑問と欲望

疑問とは、おそらく行動の源泉となるものではないだろうか。行動の源泉ということは、なにも疑問がわくからといって、それがそく行動に結びつくといった類のものでもない。
欲望とは、疑問が昇華して、行動そのものへ移す原動力ではないだろうか?
ボクは、ここで敢えて、前章での議論を緻密に再度見直してみようとは思わない。
なぜなら、これこそが次の章でボクが、回答を試みようと思っている倒錯状態をまさに物語っている状態だからである。

疑問、ソレ単体でも、あまり良質のものであるといいづらいが、欲望がソレ単体で、湧き出た状態というのは、いわゆる直情的で、性欲に近いものといえる。愛情から消化された性欲であればいいが、ボクには、たとえソレが愛情から昇華されたものであったとしても、決して、純粋なというか、その言葉が引きずる印象も大きく影響しているのであろうが、よいものであるように感じない。
セックスをしたいという願望が、美しいものによって、自分に快感を得たいという、どこか男性的なものに感じていしまう。もちろん、女性で強欲なものがいるというのも承知ではあるが、どうしてもそういう印象を受けてしまう。
疑問から、いわば高等な行動の源泉として作用する欲望、そういうものが、社会的なというか、自己を実現していく上での欲望となるのであろう。

さて、この欲望と疑問の議論というのは、裏返して、ボクが小説を読まない理由、読む理由というところにつながっていくだろう。かといって、この欲望の理論を構築してみようとしたところで、直接的に、その理由へと回答は試みられるわけではないが・・・
ボクが逆の観点から、小説以外の書物をようやく再度読み始めようと思えた理由というのは、世界をgrasp(把握)するためだといえる。英語のこの言葉が、ボクがたとえば、世界をつかむためとか、把握するためというよりボクの欲望をよく言い表しているように感じる。
世界をgraspするということは、どいうことだろうか?

おそらく、ボクをはじめとした、多くの人が、世界をgraspできているとはいえない状態からは程遠いのではないだろうか?たとえば、今日のニュースを騒がせている、トピックに対して、周囲の人間関係で起こった事象に対して、それがなぜ起こり、その原因は何で、はたまたソレを解決するには、どういう解決策が妥当か?そういうことを正確に理解できている状態、それがボクの思うgrasoであるといえる。何も、天才的な頭脳を持ったロジカルシンキングの達人にだけの得意技ではなく、ボクをはじめとした凡人にも、書物を正確に紐解こうとする姿勢があれば、世界をgraspすることは可能なのではないだろうか?そう思うから、ボクは、書物を新聞を読むという行為が現段階で重要であると思っているし、腐った化石にならないために、継続していきたいと思う。

ボクが小説を読めない理由というのは、どうもいまだに、小説と世界の接点というのを理解しかねているからだといえる。
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小説027 : reProfesional#100

2008-10-18 01:25:42 | reProfesional
小説#27 怠惰な現実

欲望と疑問。似ているが、少し違うものなのだろう。
一般的に、欲望のほうが疑問より程度の高いものと認識されるべき言葉な気がする。疑問がたまりにたまっていく。
それはきっと、よっぽど知りたい疑問なら、回答が与えれるのであろうが、そうでもない場合は、怠惰な状態として巻き散らかされた回答への萌芽を待つ種子として放置されるだろう。

疑問から始まり、大きな欲望へと変わっていく。
今の僕の中では、そういう関係性が両者の中に成り立つといえる。
ボクが本当に欲望できるものなどあるのだろうか?
適度にほしいと想い、ソレをそれなりに満たす。もしくは満たされもせずに疑問が巻き散らかされていく。

なんとしても満たさないとどうしょうもない疑問、それはおそらく年齢を重ねるごとに減ってくる類のものではないだろうか?
年齢を重ねていくごとにどうしても解決しなければならない疑問というのが減るとすると、それは赤ん坊のことに比べて、その疑問の答えが生死にかかわるわけでもなくなってくるし、それをそれとなく引き渡してくれる保護者もいなくなくなってくるからだろう。

自分で疑問を解決し、欲望を満たしていくことを学ぶ。これが人生の中の主たる構成要素なのだろうか。こういうことが順当にできなかったり、それほど疑問すらわかない人生を送っているとすると、それはおそらくシアワセな中庸の人生を送る天才だといえるだろう。

常に疑問を持つ人間、それだけだとただの怠惰で居心地の悪い人間だろう。
常に疑問をも持ち、ソレへの回答を試みる人間。
なかなか心地よいが、なにゆえか、あまり大きく歩みを進めれそうな人種には感じられない。
今のボクは段階で言うと、この段階の一歩手前くらいなんだろうか?

本当の成長って言うのはないだろうか?
絶え間なく疑問を持ちソレを回答へとして、行動への原動力となる欲望へと変えていき、ソレを知的に消化していける人間になっていくことだろうか?

どうしても、今のボクにとっての世間一般で言う、成長というのは、おとなしくなること、慎重な人間になることという匂いを強く感じてしまう。
そんな成長ならボクはあまりしたいと思うわない
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小説026 : reProfesional#99

2008-10-17 01:14:51 | reProfesional
chapter#26 欲望と求めるもの

ボクはこうやって、物語を前に進めていくにつれてどんどん、まだ芽も生えていない、種子を撒き散らしている。
ひとつの目に立派な生花をさかせてやるには、まずそこに種がまかれているということを認識し、土の上に無様に巻き散らかされたままの種子をまず土の中に、ここちいい状態で埋め込んでやらないといけない。

一度、創作活動を時間的に離れたり、空間的に離れたりすると、たちまち自分が種子をどこにまいたのかということを忘れてしまう。いったんペンを握ると、そこに種を、どういう種をまこうと思っていたのかということとは別に新しい種がまかれたり、目をはやそうという努力をしてしまう。

何がいったい、それまで、つまり実際に筆を握るまでに思っていた種と、実際種をまき始めてからの行動を隔てているのだろうか?

欲望はただ、ほっとらかしにするだけではいけない。そのつど、ソレに応じた方法で満たしていってやらなければならない。
小説を書くことも、ひとつの欲望だろう。
なぜ、欲望が沸き起こるのだろうか?その欲望が必要だから?もしくは、必要だというように勘違いしてしまっているから?
それでは、どこから欲望は沸き起こっているのか?
欲望が沸き起こっていない状態というのはあるのか?

欲望が沸き起こっていない状態があるとは思わない。たとえ、外から見ると完全にその営みの動性を確認できない睡眠という選択肢においてすら、私たちは欲望に取り付かれている。睡眠もまた満たしてやらないといけない欲望だし、ましてや、死すら満たしてやらないといけない欲望だと思う。
死を完全に満たすと、目に確認できる状態での営みは完全に止まってしまう。
死という欲望に向かって動くすべての付随する欲望というのが、それ以外の日々の営み、生きるという中での欲望ではないだろうか?

どんな欲望であっても、完全に満たしてはならない。完全に仮に欲望を満たすことがあったとしても、次なる欲望の種を植え付けていってやらないといけない。
欲望を満たさない状態というのは、ひとことでいうと、怠惰な状態といえるだろう。
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