本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説023 : reProfesional#96

2008-10-14 00:53:58 | reProfesional
chapter#23 自己啓発ではなく

ボクはギャップを感じている。
かといって、ただポジティブな状態を導きたいわけでもない。若い頃から染み付いてみた皮肉なものの見方、ハイエナと自分をいわば卑下してしまうような習性から、どうしても、いまだ未完成の人生哲学上から、完全なポジティブ思考というのに賛同しきれないでいる。

ボクはこの物語を書くことで、決してひとつの自己啓発書を完成させたいわけでもないし、そういうふうになってしまったら、ボクの挑戦というのも失敗になってしまうだろうといえる。

ボクは、ここまで物語を書いてきて、それが第一部の終わりになるのかということはどうかわからないし、これまでは、このトピックを書き終えたときに、おそらくこの小説の中心的な議題は論じつくされてしまうのではないかという不安に駆られていたが、そんなことはないという確信を持てたので、いよいよ棚上げにされ続けてきた「ボクが小説を読めない理由」というトピックを論じてみたいと思う。

ひとことでいうと、いまのボクに、その面白さを感じられないからというのがボクを小説に目を向けさせない理由だろう。ただ、僕は小説を読むことに対して、大きな必要性は感じている。なぜか?決して、そこに今のボクの悩みの種である深みのある文章を書くという答えがあるとかそういう理由からではない。

とくに、ボクみたいに若いやつで、まともな人生を送り始めようとすると、利口でないと、相手にされない。正直、今のボクはまともな人生を送れているかというと疑問を持つ。
以前ボクは小説というものは、役に立つから読むということを書いたと思う。これはここにきても、ある程度真実であると思う。
書物を紐解くというのは、それなりに労力を要することであるし、たとえばビジネス書にしても、それが自分の現在の興味、関心になにかしらひっかかることがあるから、読もうという気になるんだろう。

目的がないところになかなか行動は現れにくい。
だから、ボクはついこないだまで、ただ書物を読むということに対してすら、倦怠感を覚えていた。こうもりに血液を抜かれきった状態が続いていたのである。
でも、救世主という大げさな名前をつけた彼に再会し、人生の中でのギャップを感じ、ボクは少しずつ気持ちを変えようとしていた。

・・・

ボクは少し疲労感と、文章を続ける勇気がわかなくなってきた。

「ダメだ。ここまでは、スラスラと文章を書けるけど、
 この続きを今書いちゃうと、なんだか、それこそ深みのない文章になっちゃうよ。
 少し、時間を空けて、この先を考えよう。」

「・・・・・」

特に誰かが応えてくれるわけでもない沈黙がしばらく続いた。
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