本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説018 : reProfesional#91

2008-10-09 11:20:30 | reProfesional
chapter#18 生真面目さ

「明日の朝、目覚めるとすると、おそらく私は、両親への感謝の念。そして、公開の念で押しつぶされそうになり、感情は高揚し、制御不可能な状態となるでしょう。」

実際、死の間際の詩人の言葉だ。ボクには、到底その状況をリアルさをもって、実感することはできない。でも、この詩人の言葉に共感できなくもない。
両親に感謝されることをボクはこれまでの人生でしてきたかといわれると疑問に満ち溢れる。どちらかというと、両親に対して、謝罪したいということのほうが多いままで人生の幕を閉じてしまうという結末になるだろう。


さて、前回の奇論の中で、論理的構造で言うと、結論というか、具体論を先に出してしまったゆえに、論理的に物事を考えることのできる優秀な層にとっては、いささか読みづらさを味わわせてしまったであろう。

この章では、SとMの構造というのをボクなりに考察をしていきたいと思う。ボクはこの物語を書く中で、友人に「お前の文章は駄文だ」とか、「あれはどう見ても小説じゃないよね、おまえの学生時代の卒業論文と同じでいろんなものをかじって、結局はまとまっていない、似非論文だよね」とかという批判を実際受けないにしても、仮に懸命にこの文章を読んでくれている人がいるとすると、多かれ少なかれそういう批判を内心感じている方が多いことだろうと思う。

それは、致し方ない。今のボクの物語を書く能力というのがその程度だということだけのことだ。

さて、少し、毎度のことながら、本題とずれてしまった。
SとMの構造というのを見ていこう。
Mというのは、生真面目でなければならない。おそらく、それはSについても同じことは言えるのだろうが、ボクの中では、人生の横道でないSということを中心にして、主語として語らないが、おそらくこれから語ることをそのままひっくりかえすと、Sにも当てはまることになるのであろうから、そのあたりはご勘弁いただきたい。

Mがなぜ、生真面目でなければならいのか?
それは、簡単に言うと、自分は痛みを与えられていると思ってしまっては、それはすでに、Mでなくなってしまうからである。痛みを反転して受容し、それを快楽として自然に認識することができなければ、すでに公爵の思う壺になってしまう。
前回までの議論を思い返すと、ボクはMというより、Hつまり、ハイエナであったわけだから、特にそこに問題はないのかもしれない。
でも、目の前にいるこうもり、もしくは考えただけで、身の毛もよだつが、(本当のMなんていうのが、実際存在するのかどうか知らないが、ほんとうのMなら、あらたな公爵の出現で喜ぶべきところなのかもしれない。)まだ、ボクが出会っていない、おそらくこうもりよりも強烈な破壊力を持つであろう、おおかみであったり、熊であったり、もしくは動物界で言うところの百獣の王ライオンであったり、トラであったりというものにあったとすると、より強烈な痛みがともなうのであろうが、まずはいま、目の前にこうもうりという眼前たる公爵がボクには幸いいるわけで、ボクはこの場合、まだHという存在として確立されていないわけで、M的な振舞うほうがいいわけである。
それゆえ、生真面目にならざるを得ないのである。

ボクの今必要とされている生真面目さ。それは、仮に、また日があければ始まる苦悶の日々を苦悶と解釈せずに、自然に、その神経回路を、これは大きな物語という尺度で見た場合快楽であるという風に変換できるようにしなければならないということである。Mとして、みじめな人生を歩みたいわけではなく、ハイエナであり、ゆくゆくは、まだみぬ狼として、生きて生きたいと願っている僕としては、ここの変換を生真面目にしなければならない。
もし、これを、実際はボクはよくそれをしてしまうことにより、ヴァギナに、こうもりの鋭利な酢酸臭のするペニスを突き刺されるわけだが、これから、日々あっていくサド公爵のかっこうの餌食となってしまうわけである。

苦痛の快楽への変換。
これが、ボクが今いちばん手軽にできる、あるべき自分との仲での倒錯遊びであろう。ここから、ボクの中で都合の悪さという新しい感情がまたたち表れるわけである。

いっけんわけのわからないことを延々と述べてしまっているように感じられる構造となっているかもしれない。ただ、もしかするとこういうことで、「ボクが小説を読めない理由」というものの理由の外堀を徐々に固めていき、ボクは日々をまともな方向に軌道修正しようとしているのかもしれない。

ボクが一歩動くたびに、ひとこと発するたびに、それは苦痛へと表情を変えていく。ボクはまだまだ憂鬱なマゾでしかない。こうもりにこれ以上思いのままにされておくだけではいかない。小説を読もう、書物を読もう、そして、都合の悪い「引きずられ」の経験をまたしよう。
コメント
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