本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

けだま : 豆えっせい#17

2006-01-11 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
2005年のクリスマスに大切な人から手編みのセーターをもらった。
あったかい。
着ると抱擁をされているような感じ。
包み込まれるようなあったかさ。
このセーターを編んでくれていたときの思いそれがひとつひとつすごくあったかい。
ほとんど毎日うれしくてこのセーターを着ている。
さすがに半月ほど着ているとけだまが出てくる。

けだま
捨てられないけだま。
この欠片(かけら)も思いがこもっている。
そう思うととてもいとおしい。
一生の宝。
ずっと大切にしたいこのセーター。
大切な人。
ありがとう。
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白隠というひと:豆えっせい#16

2005-11-11 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
白隠!!
なんと深い人だ。
今日(11月10日)の朝テレビ東京系で美の巨人たちという番組を聞き流していた。
白隠は、どうやら禅宗の一派である臨済宗の中興の祖とのこと。
禅宗を日本の今の様式にした人とのこと。臨済宗では、公案といわれる命題に対峙することで真人すなわち完成された人間になることを目指すという。(参照:白隠 美の巨人たち)

この番組では、上のような白隠の生き方について、ある若者との公案の問答のような形で進められていた。この番組定期的にDVD化されているようなので出た暁にはぜひも追う一度じっくり見て見たいと思った。

たまたま、今日は、母が伊予鉄高島屋である相田みつを展を見に来ており、一緒にいたこともあり、珍しく感性によい刺激のある一日だった。
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哲学者、詩人というもの。:豆えっせい#15(卒業論文素描)

2005-11-03 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
「人間存在とは即自でありたいという欲求である」という風にも述べている。
という記述からだが、
この言葉は、哲学者としてのサルトルの中でも述べたが、哲学者もしくは、詩人というものの性格をまさしく言い当てたような表現であるといえる。

抽象的で、一見意味不明とも思える表現で哲学者、もしくは詩人というものは、何を言おうとしているのだろうか?
それは、すべてのケースに当てはまるとはいえないかもしれないが、個人として、この世界を生きるうえで、彼らが感じたことをできるだけ性格に「概念」として表現しようと試みているといえるのではないだろうか?
抽象的な表現を核に添えながら、この「人間存在とは即自でありたいという欲求である」という表現がそうであったように、実は、切実な生への問題として捉えられた問題提起が隠されているのである。

それゆえ、抽象的で一見社会へ閉鎖されたように見える文学、もしくは、哲学でこそ、強烈な社会へのアンガージュマンの意識が露呈しているという一見矛盾したようにも思える現象が起こることもあるといえるのではないだろうか?
そして、おそらくこのことが、サルトルが近年再評価されて来ているということの一因、ひいては、彼が、抽象的な表現で知られているマラルメをして最もアンガジェしている文学者であると評した所以であるともいえるのではないだろうか?
詳しくは、後にマラルメについて論じる際に再検討したいと思う。

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善きものへの歩み:豆えっせい#14

2005-10-30 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
人は近づこうとする

人は結びつきを求める



一つ一つの行動が

一つ一つの判断が

どうにか

自分の思い描く幸せというものに近づこうと

しているように思える。



どうして

そんなにけなげな歩みを

大きな釜で切りつけようとする必要があるのか

涙という心の潤い

血流という心の破傷・・・

どうかいつもあなたが幸せを感じられますように・・・


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小さな勇気:豆えっせい#14

2005-10-13 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
今回は簡単なことかもしれないが、日常生活の中での小さな勇気について考えてみたいと思う。
暮らしの中で、結構めんどくさいこと、でもしなければならないことというのは結構ある。
人と会うことであったり、仕事に関することであったり、
それが、コミュニケーションにかんすることであったり、
自分の中で決心することであったり、
シチュエーションはいろいろだろうが、
けっこう小さな勇気を少し出すことで片付くことが多い、ということはきっと皆経験していることだろう。

人生、けっきょく小さな勇気を出せるかが大きく左右する原因になるのかもしれない。
ファイト!!
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詩情:豆えっせい#13

2005-10-08 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
普段はこのページでは自分の作ったポエムは取り上げていないが、
なかなか自分なりにできの善いと思えるものができたのでUP!!

[存在と生、そして性]

サルトル曰く

「われわれの人生のかなりの部分は、いろいろな穴をふさぎ、いろいろな空虚を見達し、象徴的に充実を実現し確立するために、過ごされる」

「女の性器は口である。しかもペニスをむさぼり食う貪欲な口である(・・・)。けれども、それは、何よりもまず、女の性器が穴であるからである。」

と。



世に曰く

天才は真実を現そうとするゆえ、犬猿される

世人は

真実を覆い隠し生きようとする

それが、いわゆる積極思考ということなのかもしれない



それでもよい

真実を見るということは生以外のものへの接続を意味するのであれば・・・


[孤独の味わい]

胸をえぐるような孤独感

深くなり

赤黒い傷口のように化膿し、痛みがジンジン増していく

誰しも

このような孤独を体験するだろう・・・



しかし

めげてはならない

たとえ、

周りのものすべてがあくに見えても、それはあくまでも自分が作り出した幻やも知れぬ

醜きものは、滅び逝き

美しきものは完成へと向かう・・・

これ、自然界の摂理ではないか・・・



自らの思考の過ちから

不幸への滑走路のように考えてしまったら

美しき間性の形を思い描き

前へ、上へとこの生の階段を這い上がれるよう尽くそう




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自分説得術:豆えっせい#12

2005-10-05 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
最近、ふと頭の中に言葉が浮かぶと自分を向上させるために紙にその言葉を書き出すようにしている。
もっと、わかりやすくいうと、自分がこうありたいということを実際に書き記すということだ。

最近書いたものとしては、
-私はフランスに対する体系的な知識を手に入れられる。
-私はフランス語を学ぶのが楽しくて仕方がない。
-私は朝にめっぽう強い。
-私は日中眠気に襲われない。
-私には、あらゆるたくさんの時間がある。
-私は学ぶことが大好きだ。
etc
のようなものだ。

一見ばかげているように、思えるかもしれないがスピリチュアル系でいわれるようなアファメーションといったものに近いかもしれない。
就職するまでには、自分というマシンの基本性能をもっと向上させたいそういう想いがあるからこういうことをしている自分がいる。
コメント (3)
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