本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

教育研修で、入社3年目、新人が読むべき本。 : reProfesional#66

2008-05-27 05:57:51 | reProfesional
仕事は聞け!デキる人は教わり上手
水上 浩一
アスカ・エフ・プロダクツ

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入社間もない、新入社員、部下を持ってはじめての3年目の社員の方。
もしくは、教育研修を担当する方などがよむと非常に価値のある本です。

私たちは、実は「教わるという経験がなかった」。
つまり、学校教育・社会に出た後での研修などで、半ば強制的に教わることはあっても、自立的に目的を持って自ら積極的に学ぶ、「教わる」という経験はなかったということを下に「教わること」の大切さを説いた本。

身近な上司などを、自分で目標と期限を設定し、弟子入りし、「教わる」。
そのことにより、1.今まさに知りたいことを知り、2.相手の経験時間を流用し、シミュレーションすることが出来る。3.人に聞くことで知りたいこと以外も学べるという辞書効果がある。4.問題点の把握に役立つ。5.教えることを前提に教わることで成長も早くなるということを書いた本。

教わるということは自分の成長のために必要で、
自分の成長のために、この教わるという体験がどのようなメリットがあるか?
その情報を得ることでどんな成果が出せるようになるか?
という観点で情報に接することが必要とする本。

教わることで、自分の人生を肯定し、
過去の点を生かしてさらに典をつなげる、つまり経験をたくさん積むということを目的にした本。
本当に、できるだけたくさんの方に読んでほしいと思う。

著者の最後の「自分はくじけたままで終わる人間ではないという信念とプライド」が、自分を最終的に成長させてくれた。という言葉は、多くの人が共感する言葉ではないだろうか?
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明日を支配する : reProfesional#65

2008-05-14 02:41:44 | reProfesional
明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
P.F. ドラッカー
ダイヤモンド社

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非常に面白い本だ。昔に書かれた本だが、現在の経営・組織・個人の課題を明確に書いてある。
以下、レジュメ。

---

ドラッカー『明日を支配するもの』

組織とマネジメントの常識=パラダイムの変化について書いた本。まず組織、経営のことを取り上げ、個人における自己に対するマネジメントを説く。

【事業について】
★ 経営戦略
経営戦略とは、事業の定義を成果に結びつけるもの

★ 21世紀という急激な変化と不確実性の時代における経営戦略の前提
A 先進国における少子化の進展
B 支出配分における変化
C コーポレートガバナンスの変容
D グローバル競争の激化
E 政治の論理との乖離

事業上最も重要な数字は、顧客が自社のサービス・製品に対してどれだけお金を払うかという支出配分の数字。
↓↓
★ 変化の中で明日を変える
変化はコントロールできない、出来ることは先頭に立つことだけである。
企業も個人もチェンジリーダーとして、自ら機会を変化として捉えていくことが必要になる。
↓↓
明日は、機能を捨てることなくして作れない。
«廃業のタイミング»
・製品・サービス、プロセス、市場の寿命
・償却
・既存の製品、サービス、プロセス、市場がこれからの成功を邪魔するとき。

★ 事業場の情報
ITの進展により、情報のコンセプトが変わってきている。
↓↓
事業・組織が必要とする情報は?富の創造のための情報は?
A 基礎情報
B 生産性情報
C 強みの情報
D 資金情報と人材情報

【組織について】
使命が戦略を定め、戦略が組織を定める。
組織は、ともに働く人たちの生産性を高める道具で、その成果は外に求められるべきである。また、組織によって、仕事によって適切な組織構造はかわる。仕事に応じた組織設計が必要。

★ 組織における5つの原則
A 組織は透明でなければならない
B 組織には最終的な決定権を持つものがいる
C 権限には責任が伴わなければならない
D 誰にとっても上司は一人でなければならない
E 階層の数は少なくしなければならない

★ 組織構成員の変化 知識労働者の特徴とマネジメントの要諦

⇒ 肉体労働者が決められたことを行うだけなのに対して、知識労働者は自らをマネジメントするもの。

知識労働者は、他の誰よりも詳しい領域を持ち、いわばオーケストラの指揮者と、演奏者のような関係が組織名において生じる。
知識労働者は知識という生産手段を持つ存在で、組織を持つ能力がある。
知識労働者の存在は、組織内、事業運営上の資本財であって、コストではない。
ということの帰結として、減らすものではなく、増やす性格のものである。
↓↓
○ 知識労働者のマネジメント
仕事のマーケティング:
一人ひとりの人間の強みと知識を生産的ならしめるために

知識労働者の動機付け:
A ボランティアの動機付けに似ている ⇒ お金ではなく仕事そのものがモチベーションの源泉である。
B 挑戦の機会

知識労働者の武器:
知識労働者、および今日の事業の勝敗を左右するものの基本は情報。希少性の原理ではなく、潤沢製の原理に従い、ネットワーク、情報そのもの自体が増えることにより、価値を増す。
○ 情報はコミュニケーションのためにある。
・ 人は自分に何を求めるかということが前提で
・ 自分はいかなる情報を求めるか?ということがくる。
一番、求められる情報を知るには、«医者として成長する最高の方法が自ら患者になり2週間ほど入院することである»ということばが示唆的である。

★ 知識労働者の生産性が社会を変える。
↓↓
«知識労働者の生産性を向上させるもの»
A 仕事の目的を考える→行うべき仕事の明確化
B 働くもの自身が生産性向上の責任を負う。自らをマネジメントする。自立性を持つ。
C 継続してイノベーションを行う。
  イノベーションはすべての組織に必要なコンピテンシーである。
D 知識労働者の生産性は量より質が問題である。

【個人について】
★ 自らを最も貢献できるところに位置づけ常に成長していかなければならない。
★ 常に若々しく、イキイキと働かなければならない。
★ 自分の属すべきところを知るために、強みを知ることが必要。
→ 強みをするためには、フィードバック分析によりそれぞれの行動に対する「何を期待するか?」を考えていくことが必要。
並みの分野での能力向上ではなく、強みに集中すべき。

○ 自分の学び方を知る
「読む人間か」「書く人間か」「聞く人間か」
自分の本質は変えてはならないし、変わらない。

○ 果たすべき貢献を知る
A 状況が求めるもの
B 自らの強み、仕事の仕方、価値観に会うもの
C 成果の意義のあるもの
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必要、不必要。 : reProfesional#64

2008-05-06 21:27:41 | reProfesional
必要なもの。
不必要なもの。自分の何たるかを、自分が何でありたいかを明確に追及し、悩みつくしていれば、必然的に、近づき、離れていくもの。
いまの自分に出来ること。
ありきたりの考えを噴出する阿呆にならないこと。
吟味をし、発信する価値のあるものだけを発信する。
共感が問題なのではない。

自分が自分たるために、必要であるかどうかが基準。

必要なもの。
不必要なもの。
追いかけていく性質のものではない。
追いかけていくべきは、個々にじっとしているということ。
じっとして、激烈に動的であるということ。
自分の中の不確かではあるが、必要と感じるものに、
苦悶の中で、とどまる。

追いかけてはいけない。
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すっかりおじさん。変わるケータイ文化 : reProfesional#63

2008-05-06 15:16:40 | reProfesional
ケータイチルドレン 子どもたちはなぜ携帯電話に没頭するのか? (ソフトバンク新書 71)
石野 純也
ソフトバンククリエイティブ

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軽く雑誌感覚で読める本。
近頃の問題意識のひとつとして、なぜ、若者は、SNSなどのコミュニティサイトに興味を持つのか?ということがあった。
ダイレクトにそこに応えているわけではないが、
高校生を中心としたケータイの使われ方を知るという観点では面白い。

ケータイ「電話」というが、
高校生のほとんどは、メインはネット、メールで、電話はサブとなっているということ、
SNSなどで期待されていることとして、リアルな世界との別次元もしくは、同じ次元で、コミュニケーション、人間関係を求めているということ。
興味深いなと思ったのが、ケータイの世界の中だけでの「モバカノ」「モバカレ」「モバ家族」というのも出てきているらしい。

知者の提言としては、
モバゲーの中の勉強を質問しあうコーナー、あの『ドラゴン桜』の大学受験マンガとうのことを例に挙げ、うまく、この若者のケータイ文化を利用すべきだというもの。

雑誌のような本といった背景の一つとして、
「なぜ、わかものが、ケータイ・SNS当にコミュニケーションを求めるのか?」
「そこに何を求めているのか?」
といったことがほとんど語られていないということもある。
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路なかば。迷いの中を生きるということ。 reProfesional#62

2008-05-05 16:01:15 | reProfesional
キルケゴール『哲学的断片へのあとがき』より

レッシングは言った。神がもしその右手に一切の真理を持ち、またその左手に真理を追い求める、唯一の、たゆまない欲求を、常に、永遠に迷いの道を歩むべし戸の付帯条件をつけてではあるが、握りしめて、私に対して「選べ」と告げたとするならば、私は恭しく神の左手に向かってぬかずき、こういったであろう。「父よ、これを与えたまえ。純粋な真理は、汝にのみふさわしいものなのだから!」と

主観的思考は、一切を生成に掛け、結果を度外視する。というのは、一方では彼がその道を歩んでいる以上、結果が彼に帰属するには当然であり、また他方では彼が実存するものとして、絶えず生成の途上にあるからである。そして、たぶらかされて客観的になってしまったり、非人間的にも思弁的になってしまったりということのないに人ならばすべてそうなのである。


理念、生きる目的、自分にとっての真理とは、生成していくもの。
雑念に惑わされたりせずに追求していくべきものなのである。
キルケゴールほど、内面性追求が優れていない、わたしにあたっては、
それが、目的論的目的にならないように、
外的環境への配慮、適応も考慮に入れながら、
生成をしていくことが必要になる。
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父と息子。「与えられた」写し鏡 : reProfesional#61

2008-05-05 01:31:14 | reProfesional
キルケゴール『人生行路の諸段階』より

~ 
父が立ち止まって、悲しそうな顔をして息子の前に立ち、彼を見つめながら、「あわれな息子よ、おまえは沈黙の絶望の中で生きていくことになる」といったことがあった。それをどのように理解すべきであるのか、それがどれほど真実であるのか、ということについて、それ以上何も語らなかった。そして、父は、息子の憂鬱の責任は自分にあると信じており、そして息子は、父の悲しみの原因は自分にあると信じていた


父という存在が善きモチーフか、そうでないかということが問題なのではない。
純然たる自分の近しい存在として、存在するモチーフ。
自分が、映し鏡のように、父に近しい遺恨を感じながら生きるというのは、
多かれ少なかれある。
すでにある自分の将来としてのモチーフとしての父。
それは、あくまでも、決定としての存在ではなく、
可能性としての存在である。

どう、自分が、存在を形成していくか。
問い掛けにより、すすめていこう。
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キルケゴールに見る人生の本来性 : reProfesional#60

2008-05-04 00:25:21 | reProfesional
キルケゴールいわく、
人生の目的はと、問う安っぽい著作・「宗教」・教条にだまされてはいけないと、
自分自身にとっての真理を見出すことが重要で、
いわば、問い掛けのように主体性を持って、明らかにしていくべきものであると。

「真理とは理念のために生きるということ」
「おまえは物狂おしい気晴らしに身を投げ込むか-それとも牧師のうやむやとはま ったく違った絶対的宗教性に没入するかどちらかだ」

という。上記の文脈から、「宗教性」ということばは、いわゆる「~教」というものではないということは、懸命は方ならわかるだろう。
よく、キルケゴールは、「彼はキリスト教の範疇で物事を考えてるんでしょ」というような批評は受けるが、そんなことはないと思う。
いま、自分が、自分の真理を主体的に探そうとしているか?
一時の気晴らしに流されていようとしてはいないか?
自問しながら、生きていかないといけない。
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キルケゴールからみる人生の遺恨 : reProfesional#59

2008-05-02 23:07:15 | reProfesional

私たちの青春の始まりは、朝まだき花弁に一滴の美しい露をのせて咲く花のようなものです。その露の中には、花を取り巻く周囲の全景が、ある調和をもったメランコリックな風景として映し出されているのです。しかし、太陽が地平線上に昇り始めると、その露の滴は蒸発して消えてしまいます。そしてそれとともに、あの人生の夢も姿を消してしまいます。
しかし、そこには、また花のたとえでいいますならば、その人生の果実となって実を結ぶことが出来るように、この露の一滴を育てることが出来るかということが課題となって残ります・・・・・・。


[キルケゴール従兄であり、師への手紙より}

ひとは、だれも過去の囚人である。
キルケゴールの解説書を読んでいて、今日のある出来事を通じて、痛感した。
意識していようが、無意識であろうが、上の花のたとえでいうならば、
幼少期に、ひとは、のちのちの茎となり、葉となる部分を支える根を形成する。
根から吸収し、栄養分を脳をはじめとする体内全体にいきわたらせる。
脳は、植物における根といってもいいのかもしれない。

価値判断も、果実も実らせることは可能だろう。
後の努力を円滑に進めるためのよい根が這っている人は幸い。
根の部分に何かしらの遺恨があり、のちのちの人生をむしばむことは、
よくあるもの。

「調和を持ったメランコリック」の中で、
根無し草(=精神破綻)をきたさないよう、細心の注意を払い、
あつかましくも、いきていく。
きれいなことばでいうと、感謝をし、罪を、形成されてしまった原罪を意識しつつ、悔い改めながら、善き方向を志、ある意味、
一種の逃避を伴い、いきていく。
それが、人生というものなのかもしれない。
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メディアの進化 : reProfesional#58

2008-05-01 21:22:32 | reProfesional
グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書)
森 健
光文社

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要旨としては、web2.0とはどういう現象かということの話から、
アマゾン、グーグルがweb2.0を代表する企業で、ふたつの企業に代表される一極集中と分散化という流れが社会に流布してきているのではないかという話。
これは、空港を思い描いてもらえるとイメージが付きやすいが、スケールフリー・ネットワークというらしいが、いくつかのハブとスポークの集まりによる関係性により、極となるハブに情報が集まるということをあらわす。

批評することが目的の書評ではなく、自分なりの備忘録的なことが目的なので、
ここがよかったとかそういうことは差し控える。

面白い意見だなと思ったのが、上記の2社に代表される、パーソナライゼーション機能、リコメンデーション機能により、思いがけないもの(セレンディピティ)が
失われていくという話。

たしかに、本の価値をはかるのに、amazon頼みになったり、googleのアルゴリズムで算出された情報の一部を見ることで、価値判断基準が形成されていくということはそうだろう。

あと、mixiのコミュニティに関する記述は、個人的に現在の問題意識に近いということもあり、非常に興味深かった。
コミュニティをはじめとした、mixiの機能は、自己を中心とした関心により、形成され、上の傾向を強めるということ。

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