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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

投稿者さんは、素晴らしいお孫さんをお持ちのようですね。

2019-06-25 01:42:36 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「大学生の孫に頼もしさ」というタイトルで、68歳の女性が投稿されていました。



 大学1年生の孫はイベントの物販や喫茶店での接客といったアルバイトを始めました。
5月初旬、初めて手にしたバイト代で同居している私たちのためにいちごケーキを買ってきてくれました。

 数週間後、私が愛知県小牧市のイベント会場で献血をしたので孫にも献血を勧めてみました。
すると翌日には孫は人生初という献血をしてきて。
年齢から私が献血できるのはあと1年ですが、孫は「来年も続ける」と言っていました。

 孫は幼少の頃から敬老の日や私と夫の誕生日には決まって手紙を書いて渡してくれました。
これほどまでに優しい青年に育ってくれるなんて、頼もしい限りです。

 夢に向かって充実した大学生活を送ってくれることを切に願っています。


 以上です。


 投稿者さんは、素晴らしいお孫さんをお持ちのようですね。

 「敬老の日や私と夫の誕生日には決まって手紙を書いて渡してくれた」なんて、
幼少の頃から優しい少年だったようで、そのまま素直に成長されたようです。

 私も学生時代バイトしたことはありますが、自分の小遣いとして全て使っていました。
このお孫さんのように初めて手にしたバイト代でおばあちゃんたちのために
ケーキを買うなんて、なかなかできないことです。

 大学生活を有意義に過ごしていただいて、夢に向かって邁進していただきたいです。







虹と雪のバラード(トワ・エ・モワ)

17、18歳ぐらいの娘が、自分の家の農作業を手伝った6歳の男の子を びんたするか!と思いました。

2019-06-24 02:21:38 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「びんたの戒め 苦い経験」というタイトルで81歳の男性が投稿されていました。


 戦時中の1944(昭和19)年4月、国民学校に入学しました。
6月には勤労奉仕活動があり、私たちはそれぞれ農家での作業を手伝うことになりました。

 私は訪れた農家で蚕の餌となる桑の葉をもぎ取る作業に見よう見まねで一生懸命取り組みました。
昼時、その農家でご飯をごちそうになりました。

 サツマイモをまぜてかさを増したご飯が当たり前だった時代です。
何と白米だけが茶碗いっぱいに盛ってあったのです。

 黙って口にしていたら、その家の17、18歳ぐらいの娘さんがいきなり私の頬をびんたしました。
「よそ様でご飯を出されたら『いただきます』ぐらいは言えんのか」と。

 私は以降、他人から親切にされたり恩義を受けたりしたときには必ずお礼の言葉を
欠かさないように努めてきました。

 私にとっては非常にほろ苦い経験ですが、今はとてもありがたいびんただったと思えてなりません。


 以上です。



 投稿者さん、国民学校に入学したばかりで農家の作業を手伝いに行かれたのですね。
今でいう小学校1年生の6歳の時だったんですね。

 国民のほとんどが食糧難で白米なんて食べたことがなかった時代に、
裕福な農家は白米を食べていたのかな?

 時代が違うとしても17、18歳ぐらいの娘が、自分の家の農作業を手伝った幼気な6歳の男の子を
びんたするか!と思いました。
口で言えば分かる話ではないか!
偉そうに!

 この投稿者さんは感謝されていますが、75年経っても憶えていらっしゃっると言うのは、
あまりにショックだったからだと思います。

 今はこの世にいらっしゃらないかもしれませんが、私なら一言この女性に文句を言いたいですね。

 特にこの時代、戦争が終わらなければ、男の子はみんな青年になれば戦場に赴いたのだから。







ザ・ピーナッツ ふりむかないで

この青年のように志を持っている方が、晴れて救急救命士になることができるといいですね。

2019-06-23 04:10:22 | 日記
 中日新聞の読書投稿欄に「救急救命士 絶対なるぞ」というタイトルで、20歳の男子専門学校生が投稿されていました。



 小学校の6年生の夏、部活動のバスケットボールの試合を終えた直後、
激しい吐き気に襲われて病院に救急搬送された。

 熱中症だった。
そのとき救急隊員が「大丈夫だからね、頑張れよ」と優しく声を掛けてくれた。
意識はもうろうとしていたが、とても安心できた。

 そんな体験が忘れられず、いつしか救急救命士を養成する専門学校に進んだ。

 この2年余、学校で厳しい現場に対応できるように
体を鍛えるとともに救急医療の知識を蓄えてきた。

 一線で活躍する救急救命士から直接話を聞いたり、
災害訓練やイベントに救護のボランティアとして参加したりしてきた。

 そうこうするうちに、この仕事の素晴らしさ、尊さをより実感することができた。

 これから各自治体で救急隊員の採用活動は本格化していく。

 あのとき世話になった救急隊員のように困った人の気持ちに
優しく寄り添える存在になりたい。

 もうひと踏ん張りだ。
絶対に夢舞台に立つぞ!



 以上です。


 救急救命士になるには消防官試験に受からなければいけないようです。
地方公務員ですね。

 頭脳も体力も必要とされるので、かなりの難関のようです。

 この青年のように志を持っている方が、晴れて救急救命士になることができるといいですね。
頑張って、合格して欲しいです。

 救急隊員さんには、去年かみさんが車に跳ねられた時お世話になりました。
もの凄いスピードで救急車を走らせ、病院まで行ってくれました。
とてもありがたかったです。
救急車の座り心地は悪かったですが。(苦笑)










(9) 懐かしの昭和メロディー 恋のバカンス 恋のしずく 可愛いベイビ-

特に女性の字の綺麗な方は、それだけで美人に思えます。(笑)

2019-06-22 04:08:22 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「良い字 万年筆で目指す」というタイトルで65歳の男性が投稿されていました。


 
 草書体で流れるように書かれた字から、見知らぬ人柄や知性を感じたことがあった。
まねをして練習したが少しもうまくならず、友達から「誰もが見て判読できる字が大切」と諭された。

 思い当たる節があった。
仕事をしていた頃、打ち合わせや会議の要点を手帳に記入したものの、
後で読み返すと自分が書いた字が読み取れないことが何度もあった。

 草書は断念して今は楷書を練習している。
一画一画を崩さずにゆっくりと大きめに書く。
手にするのは愛用する万年筆だ。
毛筆やボールペンなど他の筆記具とはひと味違った風格が気に入っている。
万年筆を持つと気持ちが張り詰めてくるようで。
誰かに字を書いてみせるわけではないが、
暇さえあればブルーブラックのインクでつづっている。

 文字からにじみ出る技術や知識、経験は絶対に買うことはできないが、
せめてこの万年筆に恥じないような文字や文章を書きたいものだ。



 以上です。



私は字が下手です。
字の上手な人にコンプレックスを持っています。
字の上手な人はいいですねぇ〜。
特に女性の字の綺麗な方は、それだけで美人に思えます。(笑)


>草書体で流れるように書かれた字から、見知らぬ人柄や知性を感じたことがあった。

 この投稿者さんが↑のように書かれているように、美しい字は人柄や知性を感じていただけるから。
私なんて、人柄も知性も最低のように思われてしまう。(苦笑)

>友達から「誰もが見て判読できる字が大切」と諭された。

 私は友人からではなく、会社の上司から「誰もが見て判読できる字が大切」と諭された。
その上司の字が私と同じぐらい下手なんですが、「俺は分かりやすい字を書いている」と言われていました。
どう見ても、分かりやすい字とは思えませんでしたが。(苦笑)

>後で読み返すと自分が書いた字が読み取れないことが何度もあった。

 これはしょっちゅうです。(苦笑)
孫にも「おじいちゃんの字は、何が書いてあるかわからない!」と、言われていますので。(苦笑)

 最近 字を書くことはほとんどないですが、年賀状には1筆メッセージを添えます。
それがイヤですね。知性のかけらもないように思われますから。(苦笑)
パソコンでメッセージを書きたいくらいですが、そうもいかないですし。


>手にするのは愛用する万年筆だ。
毛筆やボールペンなど他の筆記具とはひと味違った風格が気に入っている。

 投稿者さんは万年筆で書かれているようですが、私は何で書いても同じですので、
日頃は使いやすい滑らかなボールペンで書いています。






03 01.11 谷村新司×さだまさし×南こうせつ 70年代フォーク

私も小学校の修学旅行は、京都と奈良でした。

2019-06-21 02:27:13 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「修学旅行 憧れの古都へ」というタイトルで、小学生6年生の女の子が投稿されていました。



 私は小学校6年生になった。
楽しみに思っていることは京都と奈良への修学旅行だ。
今歴史について学んでいて登場する人物が住んでいた場所を早く見て見たいなと考えている。

 東大寺の大仏はきっと想像できないくらい大きいのだろう。
清水寺は真下が谷底のようになっていると聞いたが実際はどうなっているのか。
そんな想像をふくらませている。

 修学旅行では班行動がたくさんあると思うので、そのためにしっかりと
ねらないといけない。
しかも小学校生活で最後となる泊まりもある。
メリハリをつけて楽しい修学旅行にしたいな。

 そして、最上級生となった私が今がんばっていることは通学班での行動だ。
小学校1年生が安心して学校まで行けるようにうながしていき、
班員みんなの安全を守りたい。
そう考えている。


 以上です。


 しっかりした女の子ですね。
私も小学校の修学旅行は、京都と奈良でした。
この女の子のように、
「東大寺の大仏はきっと想像できないくらい大きいのだろう。
清水寺は真下が谷底のようになっていると聞いたが実際はどうなっているのか。
そんな想像をふくらませている。」。

 ↑ようなことは、まるっきり思っていなかったです。(苦笑)
奈良へ行ったら鹿を見て、鹿の笛を買いたいと思っていました。
私が小学生1年生の時に、通学班の小学校6年生からのお土産で鹿の笛をもらったからです。
今度は私が下級生にお土産を買わなくてはと思っていました。

 修学旅行の思い出は、東大寺の大仏さんと宿泊先での枕投げですかね。
今年の秋 末っ子の小6の孫が、京都・奈良へ修学旅行に行くようです。
この投稿者の女の子のようなしっかりした思いは、持っていないでしょうね。(笑)







懐メロJポップス 25 昭和43年頃のGS