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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

17、18歳ぐらいの娘が、自分の家の農作業を手伝った6歳の男の子を びんたするか!と思いました。

2019-06-24 02:21:38 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「びんたの戒め 苦い経験」というタイトルで81歳の男性が投稿されていました。


 戦時中の1944(昭和19)年4月、国民学校に入学しました。
6月には勤労奉仕活動があり、私たちはそれぞれ農家での作業を手伝うことになりました。

 私は訪れた農家で蚕の餌となる桑の葉をもぎ取る作業に見よう見まねで一生懸命取り組みました。
昼時、その農家でご飯をごちそうになりました。

 サツマイモをまぜてかさを増したご飯が当たり前だった時代です。
何と白米だけが茶碗いっぱいに盛ってあったのです。

 黙って口にしていたら、その家の17、18歳ぐらいの娘さんがいきなり私の頬をびんたしました。
「よそ様でご飯を出されたら『いただきます』ぐらいは言えんのか」と。

 私は以降、他人から親切にされたり恩義を受けたりしたときには必ずお礼の言葉を
欠かさないように努めてきました。

 私にとっては非常にほろ苦い経験ですが、今はとてもありがたいびんただったと思えてなりません。


 以上です。



 投稿者さん、国民学校に入学したばかりで農家の作業を手伝いに行かれたのですね。
今でいう小学校1年生の6歳の時だったんですね。

 国民のほとんどが食糧難で白米なんて食べたことがなかった時代に、
裕福な農家は白米を食べていたのかな?

 時代が違うとしても17、18歳ぐらいの娘が、自分の家の農作業を手伝った幼気な6歳の男の子を
びんたするか!と思いました。
口で言えば分かる話ではないか!
偉そうに!

 この投稿者さんは感謝されていますが、75年経っても憶えていらっしゃっると言うのは、
あまりにショックだったからだと思います。

 今はこの世にいらっしゃらないかもしれませんが、私なら一言この女性に文句を言いたいですね。

 特にこの時代、戦争が終わらなければ、男の子はみんな青年になれば戦場に赴いたのだから。







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