団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

私の義兄も同じ「一過性全健忘症」を発症されました。

2024-05-25 01:42:35 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「連休を前に」というタイトルで、72歳の女性が投稿されていました。

 「じゃあ、12時15分にね」とプールの入り口で夫と別れた。

 プールが遠いので、夫の送迎運転つきなのだが、連休前のその日は、そこから記憶がない。

 夫が何か話している。

 私が待ち合わせ時間に来ないので、事務所に聞くと、もういなかったという。

 バスで帰ったのかといったん戻ったが、帰っていない。

 私の携帯にかけると、プール近くのバス停にいると返答したので、再度、迎えに来てくれたと。

 プール教室の内容、お昼に何を食べたか、何を聞かれても覚えがないことを夫に伝えた。

 午後3時すぎ、「お母さんが急性認知症になった」と、夫が娘に電話しているあたりから、意識が戻ってきた。

 夫がかかりつけの先生に相談してくると出かけたのは覚えている。

 翌日、夫と共にかかりつけ医に出してもらった紹介状を持ち、脳神経内科を受診。

 医師による認知症テストをクリアし、CTを撮ってもらったが、異常なし。

 結果は「一過性全健忘症」と言われた。

 「抜け落ちた5時間ほどの記憶は、思い出すことはありません。
 今後、この状況が起こるのは稀です。薬もありません」と診断された。

 不安半分で娘夫婦との連休を過ごしたが、まるでドラマの一場面のようなお騒がせな経験をしてしまった。

 こんなこと、今でも信じられません。

 以上です。

 私の義兄も同じ「一過性全健忘症」を発症されました。

 4〜5年前まだコロナ禍になる前、かみさんのところの法事があり、お寺さんに親戚一同集合しました。

 この日は2月、とても寒い日でした。

 坊さんのお経が長いこと長いこと、いつもの1,5倍ほど長く感じました。

 お経をされる本堂の寒い事、寒い事。

 暖房がほとんど効いてない本堂で、長いお経を聞きました。

 「一過性全健忘症」になられたのは、このせいではないかと思いました。

 法事が無事に終わり、近くのお店で食事をし、JR名古屋高島屋に義兄夫婦と私たち夫婦は行きました。

 私たち夫婦が地下2階の御座候で自分達用に御座候を買っていると、義兄夫婦は買い物を済まされて帰られました。

 翌日義姉さんから、かみさんに電話がありました。

 義兄が名古屋駅から地元の駅に帰り、迎えに来ていたご子息の車で自宅まで帰られたとの事。

 義兄の様子がおかしいので、義姉さんが聞いたところ「義兄は私たちとJR名古屋高島屋で別れたあたりから何も覚えていない」と言われたようです。

 翌朝 病院で調べてもらったところ、投稿者さんと同じ「一過性全健忘症」だったとの事です。

 それ以降は何も起こっていません、投稿者さんと同じです。



恋の風車
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