中日新聞の「くらしの作文」に「最終ランナー」というタイトルで、81歳の女性が投稿されていました。
岐阜市では、今年も「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」が開催されました。
私は、いつもゴールまであと3キロの地点で、ランナーの皆さんを応援しています。
必死に最後の力を振り絞ってゴールに向かって走っている姿に感動します。
そして、元気をもらいます。
自撮りをしながら走っている人、沿道の人と記念写真を撮っている人、仮装をしている人など、走りを楽しんでいる人たちを見ると、ホッコリとします。
例年なら、40分ほどの応援で帰るのですが、今年はどうしても最終ランナーを応援したくて、その場所に立ち続けました。
午前11時35分、最終ランナーが来ました!「ありがとう、よく頑張ったね、ありがとう」と、精いっぱいの声と、力いっぱいの拍手を送りました。
昨年の夏、長くて辛い闘病生活の末、主人は旅立ちました。
その日、今夜が危ないと分かっていたのに、私はウトウトと眠ってしまったのです。
最後の最後に手を握ってやることも、声を掛けることもできなかったのです。「ありがとう、よく頑張ったね、ありがとう」は、主人に掛けたかった言葉です。
来年も、いつもの時間に、いつもの場所で応援します。
もちろん最終ランナーを迎えます。
以上です。
>その日、今夜が危ないと分かっていたのに、私はウトウトと眠ってしまったのです。
最後の最後に手を握ってやることも、声を掛けることもできなかったのです。「ありがとう、よく頑張ったね、ありがとう」は、主人に掛けたかった言葉です。
投稿者さんの後悔されているお気持ちはよく分かります。
長年の疲れがたまたま出てしまったのでは。
親の死に目には、なかなか会えません。
私は両親の死に目にも会えませんでしたし、かみさんの父親の死に目にも会えませんでした。
かみさんの父親の時、かみさんと二人で病院へお見舞いに行きました。
来週退院されるという事で、安心しました。
ところがお見舞いした1週間後に、亡くなってしまったのです。
看護婦さんも誰もいない間に。
それを聞いた時は、信じられませんでした。
親の死に目には、なかなか会えないものだと実感しました。
投稿者さんも悔しいでしょうが、どうしようもなかったと思います。
>「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」の最終ランナーを、毎年応援してあげて下さい。
今井美樹 -「瞳がほほえむから」Music Video