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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「うぬぼれ」と「嫉妬」の心を無くすのは大変難しいです。(苦笑)

2019-09-11 03:08:41 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「五分の魂」というタイトルで飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。




 <一寸の虫にも五分の魂>ということわざがある。
小さい者や弱い者にも相応の意地や根性があるのだから、侮ってはいけない、ということ。
ここからおじさんは妄想を膨らませた。

 五分の魂とは何のことだろう。
虫ではなく、人間であったらこの五分の魂はプライド、すなわち自尊心となろう。
つまり、人間の(心の)半分は自尊心となる。
自尊心は言い換えれば「うぬぼれ」だから、人の心の50%はうぬぼれで出来上がっていることになる。

 では残りの50%は何だろう。
おじさんの脳裏にひらめいたのは、「嫉妬」という言葉だった。
嫉妬は人間の心の重要な要素の一つだ。

 嫉妬が人類の歴史を創り上げてきた、という人もいるほどだ。
とすると、残りの50%を「嫉妬」としてもおかしくない。
人間の心は「うぬぼれ」と「嫉妬」で出来上がっていると結論が出た。

 しかし、世の中には、多種多様な人間が存在する。
善良、謙虚、無私、奉仕、献身などの徳目を備えた人も数え切れないほどいる。
「うぬぼれ」と「嫉妬」で満杯なのは、どうも普遍化できそうにない。

 やはり、一寸の虫と同じく、個々の人間も侮れない存在なのだ。


 以上です。



>人間の心は「うぬぼれ」と「嫉妬」で出来上がっていると結論が出た。

 飛島圭介さんが言われた↑の言葉に納得できます。
でも「うぬぼれ」と「嫉妬」を表に出すと嫌われます。

>善良、謙虚、無私、奉仕、献身などの徳目を備えた人

 このような徳目を備えた人は、好かれます。
私はこのような徳目を備えていません。
せめて「うぬぼれ」と「嫉妬」を表に出さないようにしたいです。
でも「うぬぼれ」と「嫉妬」の心を無くすのは大変難しいです。(苦笑)







三木聖子・まちぶせ