中日新聞の「くらしの作文」に62歳の女性が「母の思い」というタイトルで投稿されていました。
かの万葉集にも詠まれ、風光明媚な和歌山・新和歌浦。
キラキラと輝く朝日をその身にまといながら、ポンポン船が水面をゆったりゆったりと過ぎていきます。
あの軽くはじける、何とも心地よい汽笛で目覚めていた、やんちゃ娘の隣には、
いつも優しい母がいました。
母はどんな時も私の味方で、百パーセント私を信じて、応援してくれる人でした。
あの頃の私は、この幸せな朝がずーっといつまでも続くと信じていました。
わけあって、大好きな母の元を離れて、神戸に住む厳格な父の元へと向かう日、
途中大阪・難波のレストランでの昼食のあと、母は好物のフルーツパフェを
注文してくれました。
パフェを口に運ぶ手を止め、ふと見上げた母の顔はなぜか笑顔でした。
当時幼かった私は「何でわろうてんの、うちはこんなに悲しいのに」と、
心の中で叫んでいました。
あれから50数年。
三河湾に抱かれたこの町で、母が91歳で逝ってはや、10年がたとうとしています。
そして今なら、痛いほど分かります。
なぜあの日、あなたが笑っていたのかを。
それは、自分の手元から離れていくわが子への「利枝子、頑張れ」という
精一杯のエールだったのですね。
以上です。
泣けました、母親の愛情って悲しいほど深いですね。
「パフェを口に運ぶ手を止め、ふと見上げた母の顔はなぜか笑顔でした。」
どのようなお気持ちで娘さんを見ていらっしゃったのでしょうか。
心は悲しみでいっぱいなのに、娘さんの将来を思い、笑顔で見送らなければと思われたのでしょうか?
どのような事情か分かりませんが、お母様の愛情が垣間見えました。
娘さんも今はお母様のお気持ちがわかる年代になられたんですね。
ズー・ニー・ヴーZoo Nee Voo/白いサンゴ礁Shiroi Sangosho (1969年) 視聴No.3
かの万葉集にも詠まれ、風光明媚な和歌山・新和歌浦。
キラキラと輝く朝日をその身にまといながら、ポンポン船が水面をゆったりゆったりと過ぎていきます。
あの軽くはじける、何とも心地よい汽笛で目覚めていた、やんちゃ娘の隣には、
いつも優しい母がいました。
母はどんな時も私の味方で、百パーセント私を信じて、応援してくれる人でした。
あの頃の私は、この幸せな朝がずーっといつまでも続くと信じていました。
わけあって、大好きな母の元を離れて、神戸に住む厳格な父の元へと向かう日、
途中大阪・難波のレストランでの昼食のあと、母は好物のフルーツパフェを
注文してくれました。
パフェを口に運ぶ手を止め、ふと見上げた母の顔はなぜか笑顔でした。
当時幼かった私は「何でわろうてんの、うちはこんなに悲しいのに」と、
心の中で叫んでいました。
あれから50数年。
三河湾に抱かれたこの町で、母が91歳で逝ってはや、10年がたとうとしています。
そして今なら、痛いほど分かります。
なぜあの日、あなたが笑っていたのかを。
それは、自分の手元から離れていくわが子への「利枝子、頑張れ」という
精一杯のエールだったのですね。
以上です。
泣けました、母親の愛情って悲しいほど深いですね。
「パフェを口に運ぶ手を止め、ふと見上げた母の顔はなぜか笑顔でした。」
どのようなお気持ちで娘さんを見ていらっしゃったのでしょうか。
心は悲しみでいっぱいなのに、娘さんの将来を思い、笑顔で見送らなければと思われたのでしょうか?
どのような事情か分かりませんが、お母様の愛情が垣間見えました。
娘さんも今はお母様のお気持ちがわかる年代になられたんですね。
ズー・ニー・ヴーZoo Nee Voo/白いサンゴ礁Shiroi Sangosho (1969年) 視聴No.3