4/16日江の島片瀬の密蔵寺にお詣り。
その昔、江戸から藤沢の宿から江の島弁天様の
お詣りの街道に幾つかのお寺さんがあります。
相模国21箇所のうち第17番目のお寺です。
櫻が終わりですね。
新緑が青空に映えますね。
楽しいものがありました。
四国八十八ヵ所を廻った気持ちで・・・・
讃岐の国
伊予国
土佐国
ありがとうございました。
清水義久さんのセミナ-から「手作りキオ-クマン」?
昨日、無意識のことをお話ししましたが、
脳に情報を与える最大の手法は、聴覚です。
その聴覚を効率良く伝える方法は、片耳づつ行うことである。
清水さんの良く使う真言。
「あれはあれでよかったのだ」
「あれはきっと上手くいく」
「私は愛されている」
「私は大切にされている」
これらの言葉を片耳づつ聞く。
片耳づつ聞くことは脳が騙されてその脳全体に働きかけることになる。
片耳で聞く方法。片方の手の平を口の前にし、もう片方を耳に近づける。
昔、ホ-ミ-を教わるときにこの方法で自分の声を学びました。
子供を褒めるときに小さい声で易しく片耳づつ声を掛けて見て下さい。
勿論、恋人にも・・・・・
清水義久さんのセミナ-で沢山のことを教わりました。
思い出して少しづつお話しをします。
実は、面白いことが起こりました。
前日、清水義久さんから「気」を受け取りました。
もうホロトロでのことを受け5回以上になります。
瀧口寺のお詣りを終えて江ノ電で長谷に向かう途中で
お肉屋さんの前に托鉢姿の元気お坊さんに出会いました。
僕は、財布から小銭を出し、お布施をして合掌しました。
布施をして始めて気づきました。
素足でワラジ姿です。
自分でみすぼらしい雲水さんと思い込んだ自分が恥ずかしくなりました。
若い雲水さんは、名刺を下さいました。
昨年、火事で寺院を焼失し、再建をかけて歩いているという。
檀信徒さんへ頭割りのお布施依頼をせず、再建の旗を掲げながら活動しているのもまた
、寺子屋建立の旗を掲げて10年かかった私と同じである。
黙々と歩けば、肌で感じ、目で見、耳で聞くもののすべてが教えになり、導きになる。
師はまだ28才であり、こうしたところから立ち上がれば、
必ずしっかりした法務を行える僧侶になられることだろう。
雨の日、風の日、雪の日、カンカン照りの日、托鉢行は楽とは言えないが、
日々を生きる人々の苦からすれば、師の言うとおり、何ほどのこともない。
競い合って生きる糧を得るのではなく、修行をすれば生きられるのだから
、これほど恵まれていることはなく、これほどありがたいことはない。
托鉢を行うと、実に、感謝が仏道修行の原点であると気づく。
師の姿に、被災した地域の方々が感謝する。
もちろん、御霊も感謝しておられることだろう。
師にも、被災者にも、御霊にも苦がある。
しかし、祈りがそれらをすべて感謝に変える。
自分が雲水さんの姿を見て、ありのままの姿を見ることが出来なかったことに
自分の至らなさに寝床で泣けてきました。
でも清水さんの「気」の力が、多重構造の天の力・宇宙のエネンルギ-が
与えられたのだと思わずにはいられません。
70才を半ばを過ぎ、雲水さんのありのままの姿を見抜けなかったことに
まだまだ人生を学ばなければと思わずには・・・・・・
(雲水さんは、岩手県盛岡市 松籟山 石雲禅師 副住職 小原 宗鑑 師 です。)