築地本願寺は、明治・大正・昭和の時代の有名な建築家
伊東忠太博士により設計されました。
西本願寺22世宗主の大谷光端師と伊東忠太の
関係から生まれました。
伊東忠太と大谷光端師との
挑戦と挫折の記念碑と言われています。
なお、伊東忠太博士は、
建築界で初めての文化勲章受賞者です。
インタ-ネット図書館に「妖怪研究」伊東忠太があります。
本堂に伊東忠太博士の業績を展示しています。
先日、雨の中階段の両側の手すりの上の
狛犬?の写真を撮りました。
帰って来て、よく見ると、
どこか愛嬌があり、ほんのりとした暖かさを感じました。
また、会いたくなりました。
展示のなかに大変興味があることが書いてありました。
伊東忠太の設計した建物には、様々な空想上の
動物や怪物が登場する。
フィ-ルド・ノ-トには、建物のスケッチや図面に
混じって、空想の動物が描かれている。
「予は別に化け物学を修めたわけでもなく、またそんな学問が
あるかどうかだが知らないが、何の因果か、生来化け物が好きで
幼少の時、母の膝に抱かれて数々のおとぎ話を聞かされた中でも、
化け物の出てくる話には、一入興がったものである。
「元来西洋の奴等は理性が勝ち過ぎていて空想力に乏しいから、
到底東洋のような偉大なる、また深刻なる化け物は作り得ないであろう。」
伊東忠太にとって、この「怪奇図案集」にあるような独創性ある造形創造は、
新しい日本の様式建築の構想や創作と一体となったものだったのではないだろうか。
夕暮れの本願寺
玄関の壁の中 外が見えますね。
階段の手すり子の上に怪物君
象君は、すばらしい顔ですね。
目は遠くを見て笑っていますね。
実は、この怪物君たちは、インドの仏教に出て来ます。
マ-ヤ夫人は、ある夜、白象が右脇から胎内に入る夢を見て
お釈迦さまを懐妊したと言われています。
今日は、最後にお地蔵さん。
極楽浄土に行かれない衆生は、地獄の責め苦から
救ってくれるお地蔵さん。
真言 「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)」
邦訳すれば『オーム、ha・ha・ha(地蔵菩薩の種字を3回唱える)、希有なる御方よ、スヴァーハー』となる。
清水義久先生の「死の瞑想」の最後に話されました。
苦しく悩むときに
息を吐くときに 「はあ- は は は はああ-」と
すると無意識のうちに心の悩みが薄らぎます。
陰陽五行説で、怒り、イライラ・いじめる、考えて生ずるストレス
悲しみ、恐れ 5つの分類があります。
すべてを解消するのは「ゆるす」ことだそうです。
伊東忠太博士の座右の名は
「慈悲寛大 自己反省」はまさにそのことを意味してはいませんか。
妖怪研究から
「世界の歴史風俗を調しらべて見みるに、何國、時代に於ても、化物思想の無ない處ところは
決して無のである。しからば化け物の考へはどうして出て來か、
之を研究するのは心理學の領分であつて、吾々は門外漢であるが、私の考へでは
「自然界に對する人間の觀察」これが此の根本であると思ふ。」
何か、修験道に通ずるものがあると
思うのは、僕の思い込みでしょうか。
伊東忠太が好きになりました。
怪物君が好きなんて・・・
今日よりよりよい明日がくるように。
ありがとうございました。