新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

安倍総理が退任の意向を表明された

2020-08-29 09:47:48 | コラム
安倍総理がご退任とは誠に残念で遺憾と申し上げるしかない:

実は、私は慶応大学病院に7時間滞在されたという報道に接して閃いたことは「どうしても職務に復帰される絵が見えてこなかった」だったのだ。しかしながら、理屈で考えても希望的観測からしても「そんなことはあり得ない」という思いの方が勝って、「閃き」を抑え込んで何処にもそのことを発表しなかった。だが、昨28日の新型コロナウイルス制圧対策会議に出席された際の総理の表情のクロウス・アップ(余計な講釈だが、これが本当の英語)に見えた目の周りのくまが示す異常な衰え方で「これでは閃きのように、職務の継続はご無理なのではないのか」と感じた。

その後10分も経たない頃に、テレビの画面の上部に「辞任の意向を固められた」との「速報」が出て来てしまった。その時に感じたことは「ここから先が極めて大変な事態になるだろう」だった。残された仕事も山積しているが、後継者選びの点では有力と目されている複数の候補者たちは準備不足だろうし、正式に出るとは言っておられない有力候補者もおられるのから。

私は「人事」というものは厄介なものだし、迂闊に予想だの予測はしない方が良いと、経験から考えている。長い間、自社と取引先の人事を予想するか、また「この人こそ」と期待しまた希望していたのだった。アメリカの会社の難しいところは、必ずしも内部から有望株が昇進するよりも、ある日突然余所の会社から引き抜かれてきた人物が副社長兼事業部長として君臨することなど日常茶飯事だった。また、内部昇格の場合はその候補者がMBAでない場合には、社費か自費でハーバードの短期コースに派遣されるので「彼がそうか」と見えてくるのだった。

我々アアメリカの会社から見れば、取引先の事業部の担当役員の人事が重要なので、何時も万全の注意を払って探りを入れたり、仕事ぶりを観察していた。ところが、そこにはアメリカの企業にも通じるような奇妙な大原則があって「この人こそは」と期待し且つ見込んだ人物が予想と期待通りに昇進されのは極めて希な現象だったのだ。外野の期待に反して選ばれたのは何時でも「あの人だけは・・・」という望ましくない方か、全く想像も出来ないような畑違いの方が選ばれてくるのだった。

このような外「野からの観測によれば」という原則をこの度の後継総理・総裁の選択に当て嵌めると、次期総理は岸田文雄氏でも菅義偉官房長官でもなく、総理の意中にはないと言われている石破茂氏になってしまいはしないかと言えるのだ。だから、人事の予測だの予想はしない方が無難なのだと思う。

即ち、人事の評価というものは「外から見る」のと「上から乃至は中で見る」のとは大違いという事のようなのだ。以下は私の言わば極論に違い持論なのだが「如何なる重責でも難しいと誰もが認めるような職でも、未だ無理ではないかと危惧されているような人物にやらせてみれば、必ず短時日でそれらしい顔付きになっていく。そして、その人物の独特の手法で、それなりにこなして見せて、ある程度以上の実績を挙げるものなのだ。だが、結果が前任者と質が異なってくるのは当然で、それを周囲がどう評価するかだけの問題だ」なのである。

安倍総理の後継者が抱えるだろう最大の難問というか問題点は「全世界の指導者たちが一目も二目も置いた、外交面での手腕と実績を前任者並みに発揮できるか。特に(私は再選ありと閃いている)トランプ大統領との蜜月関係を如何にして速やかに構築できるかが重要だ」と見ている。余談にはなるかと思うが、私は後継者が総理が現在使っておられる通訳官を使われるかは意外に鍵を握るような気がしている。それは、あの堅苦しい文語的な英語の表現だと、トランプ大統領は「安倍晋三は生真面目な四角四面の堅苦しい男だ」と評価しておられないかと密かに考えている。

私はこの7年と8ヶ月の間に安倍総理が残された実績は立派なものだと思っている。それは遺憾に思われたり痛恨だと言われた積み残しの件もある。だが、民主党政権が3年を無駄遣いして目茶苦茶にしてしまった我が国を、短期間に立て直して株価を上昇させ雇用増大されたのは誰だったかよく考えるべきだ。昨日の記者会見の後に「レガシーを残されたか」という愚問を発した記者がいた。何を残されたかを私がここで云々する必要はあるまい。

本当に有り難う御座いました。ゆっくりと治療に専念されて、国会議員として今後も国政に貢献してくださることを祈念して終わります。


8月28日 その2 「ポピュリズムという病」

2020-08-28 13:35:40 | コラム
40%の支持率でも:

週刊新潮に医師の里見清一氏が連載しておられる「医の中の蛙」というコラムに興味深い記述を発見した。今週の見出しは「ポピュリズムという病」となっており、独特の視点でポピュリズムを語っておられた。

里見氏は「ポピュリズムが多数決を原則とする民主主義というシステムの致命的な欠陥とも思える」という点を指摘しておられた。その辺りを簡単に要約してしまえば「必ずしも過半数ではなく40%のくらいの支持層があれば政権を維持できる」と語っておられた。「それは最近の傾向としてポピュリストは全体の人気取り(例えばバラマキ)ではなく、自分の岩盤の支持層にのみ受けることをやるようである」と言っておられた。

その例として里見氏は「トランプ政権の専売特許ではなくジョンソン首相や韓国の大統領もそうだし、またトルコのエルドアン大統領はイスラム層の支持を固めるため博物館となっていたアヤソフィアをモスクに変更してしまった」と述べておられた。私は何度かトランプ大統領は屡々その岩盤の支持層とされるラストベルトの労働者階層やプーアホワイト以下の層に向けての強烈な発言が多いのだと指摘して来た。その支持層は40%を占めているのだ。

トランプ大統領がその支持層に語りかけられるときには、彼等にとって分かりやすいような言葉遣いであるのも印象的だ。私はそれをポピュリズムと言うかどうかまでは知らないが、少なくとも支持層には自分の主張を理解して貰わなければならないと意識しておられるのだろうと思っている。トランプ氏は明らかに言葉を使い分けておられる。それが証拠に、本日の指名受託演説の最初の方だけ聞けたが、明らかに格調高く支持層に語りかけておられるときは違っており、如何にもアメリカ合衆国の大統領らしさが十分に出ていた。

その里見氏の指摘にあった通りで、韓国の文在寅大統領は反日を標榜していれば、彼の支持層である進歩派(=左派)の支持を確保できるという方針で臨んでいるようだ。であるから、先頃の選挙でも与党の「共に民主党」が勝利したのだと思っている。しかし、文在寅大統領はそれだけでは飽き足らず「親日派の墓を暴く」という挙に出たようである。事がそこまでに至れば、最早ポピュリズムの域をを通り越して、単なる反日派の頭目でしかないと言いたくなる。誠に困った隣国の指導者ではないか。我が国にとってより大きな問題は、他の隣国には全体主義の指導者がいることだ。

アメリカの人種差別問題(大坂なおみさんは黒人だった)

2020-08-28 08:50:32 | コラム
人種差別に抗議して:

大坂なおみさんがアメリカはウイスコンシン州でまたもやと言うべきか何と言うかアフリカ系アメリカ人(と言うべきなのだろうが、今回はここから先は敢えて「黒人」を使う)に警官が発砲したことに抗議して、出場中のウエスタン&サザンというトーナメントの準決勝出場を棄権したと報じられていた。先ほど彼女は棄権を撤回したとのニュースがあり、彼女の抗議文をチラと見る機会があった。何と言って良いか解らない複雑な印象を受けた。即ち、大坂さんは“as a black woman”という表現を使っていたのだった。

私は彼女の両親の人種的構成も報道で承知していたし、アメリカと日本の二重国籍を解消して、日本国籍を選択したと報道で理解していた。即ち、日本人になっていても、あれほどの人種差別に抗議の姿勢を見せたことには驚きもあったが、アメリカ生まれではなくともそこまでの意識があったのかと複雑な思いでニュースを聞いていた。

私はこれまでに何度か述べてきたが、22年以上もアメリカの会社の一員として勤務していた。だが、白人たちの中にいても一度たりとも黒人を云々するような議論が出たことなどなかったし、自分自身が東洋人として差別を受けた覚えも感覚もなかった。ただ一度、同僚の一人が何かの弾みで黒人のことを「しょうがない奴らだ」と吐き捨てるように言ったのを聞いた記憶があった。しかも、その場ではこの話題はこの一言だけに終わった。更に確認しておけば、その20年有余の間に一度たりとも黒人たちと膝つき合わせて語り合うような機会はなかった。

何が言いたいのかと言えば、私には人種差別問題を云々できるような知識も経験もなく、アメリカにはそういう問題があるのだと何となく承知していただけに過ぎなかった。決して人種差別を認める議論をしているのではない。実感がなくて語りようがないと言うだけだ。それだけに、大坂さんがあそこまでの強烈な声明文を出したことに「彼女ほど活躍して知名度が上がっていても、そういう被差別認識というか強烈な意識を抱いているのか」とあらためて驚かされたのだった。

私にはこれ以上何も言えないが、そう遠からぬ将来に少数民族の人口が白人を上回ってしまうと言われているアメリカで、何時かはこの問題が解決される日が来るのだろうかとも思わせられた大坂さんの行動であり抗議文だった。


8月27日 その3 週刊誌情報

2020-08-27 16:46:22 | コラム
安倍総理の健康状態は:

本日はテレビや新聞の報道では扱えないようなことを書くだろう週刊誌が気になって、猛暑の中を最も遠いローソンまで買いに行きました。内容は言うなればbad newsと悲観的乃至は否定的な情報が主体で、私の密かな予想だった麻生暫定総理か菅官房長官しかいないという論調まで。私は側近と言われている秘書官たちが麻生氏に「何故ここまでの間に休ませなかったのか」と叱責されたのは当然かと思いました。

2006年以降頻繁に入院し病院通いをしていた身ですし、2代続いた医者の後を継げなかった駄目な長男として言えることは「お医者様は患者さんに絶対と言って良いほど少しの無理でもするな」と安全を採られる方たちだという点。ましてや、患者が内閣総理大臣とあっては「ご無理をなさらないように」と告知をするのが普通だろうと思うのです。それを総理が振り切って、9月の内閣改造や党内の人事等までやりきられれば良いのだがと期待したいのです。

全くの余談ですが、マスクの転売禁止が解除されるそうですが、ここ新宿区のイスラム横町では既に¥500/50枚1箱と言う投げ売りとしか思えないような店から¥1,000まであります。今は供給過剰かも知れませんが、いつ何時中国が供給停止か減少の厭がらせをするか分かりません。その辺りも、アメリカの大統領選挙の結果如何で変わってくる危険性がありはしないかと。私は中国の嫌らしさは、何を何発南シナ海に撃ったか知りませんが、本格化するばかりだと恐れています。そういう時にこそ安倍総理がご健全であって頂きたいのです。

8月27日 我が国のサッカー界を思って

2020-08-27 09:23:11 | コラム
内田篤人は言った:

先日、この元は日本代表の一員だったドイツ帰りの内田篤人が確か32歳だったかの若さで、膝の故障から回復できなかったようで引退を表明した。彼の引退は残念だし「ご苦労様だった」と声をかけてやりたいとは思う。だが、私が気になったのはその後の会見だったかで「我が国のサッカーの水準はヨーロッパとの差が開く一方だ」と述べた点だった。私はこれは以前からの彼の持論だったと聞いているし、テレビの画面等を通じてみる彼我のサッカーの質の相違(優劣でも良いか?)は、明らかだと思えてならない。

そこで、先ずいきなり我が国のサッカーを擁護することを言わねばなるまい。それは、ヨーロッパにもブラジル等の南アメリカには、我が国やアメリカに厳然として存在する野球があるようでないことである。具体的に言えば、優れた素材を我が国やアメリカほどには野球や(相撲とは言わないが)その他のプロスポーツに持って行かれていない点だ。いや、ヨーロッパでは明らかにサッカーがアメリカにおける野球やフットボールやバスケットボールの地位を占めていると思って見ている。それに、有名なサッカー選手たちの年収も群を抜いていると思う。

我が国のサッカー界を見ていると、残念ながら甲子園の野球に出てくるような高校生たちのような図抜けた素材が余り見当たらないのだ。この点は以前から指摘して来たことで、サッカー界には松井秀喜やイチローや強いて言えば、12球団のエース級の投手や3~5番を打っているような打者に見られる身体能力を備えた体格が良い選手が余り見当たらないのだ。

例えば、森保監督率いる全日本の代表の中心選手である南野、堂安、中島翔哉とうは確かにサッカーは上手いが、比較的細身で抜群の身体能力の持ち主とは見えないのだ。デイフェンス陣にも優れた選手はいるが、野球選手たちの身体能力を凌駕しているとは見えないのは僻目か。日本代表でさえこの状態であるから、私の目にはJリーグにも中粒かそれ以下の者しかいないように見えてならない。

そういう見方をしているので、私は申し訳ないことに自分がサッカー出身者でありながら、偶にしかないJリーグの試合の中継は先ず見ない。そこにはサッカーの質の問題もあるが、中継する側のカメラのボールと選手の狙い方に問題があるように思えてならないという理由がある。話は変わるが、当アパートに中国地方の野球の名門校、岡山の関西高校(カンゼイと読ませる)の監督をしておられた原田知雄氏(残念ながら故人である)がおられた。

原田氏が未だお元気だった頃に野球談義をしたときに「野球のテレビ中継は見ない」と言われた。理由を伺うと「我々はグラウンドにいるときは常に全体の動きというか選手たちの位置取りを見ている。だが、テレビの中継では部分だけしか撮さないので見ている意味がないから」と言われた。誠にご尤もなご意見だと思って拝聴した。サッカーの中継でもカメラがボールがある場所だけに焦点を絞られると、画面に入らないところにいる者たちの動きが分からない。実際には我々が言っていた「逆サイド」での動きが非常に重要なのだ。野球でも同様だと原田氏は指摘されたのだ。

事は何も野球やサッカーだけではない。フィールドというかピッチというかグラウンドと言うべきか知らないが、常に全体を俯瞰的に見て「誰が(どのポジションの者が)どのように動き且つ走ってフリーになるとかマークを外しているかが見えないと、観戦の興味が半減するのだ。野球でもその打者の打球が何処に飛ぶかをスカウテインド出来ていれば、守備陣が俗に言う「対誰某用のシフト」で守備位置を動かして備えているのだ。であるから、私はフットボールを現場で観戦するときには、出来る限り高い位置の席から見るようにしていた。

我が国のサッカーに話を戻そう。私は我が国の水準が世界から置いて行かれている原因の一つに「矢張り甲子園の野球と同じで、全国大会のようなトーナメント方式を重視している為に、どうしてもそれ用に指導者たちが小さく纏めてしまうような練習の方針を採っていること」があるように思えてならない。即ち、細かい技巧と駆け引きを仕込むが、身体能力を鍛え上げていくような基本が等閑になっていると思っている。その結果が「ラグビー選手たちと比較した場合に、あの繊細な体格の選手ばかり」となっていて、大柄な外国人選手たちにその点で既に劣ってしまうのだ。

身体の大きさと脚が短いのは仕方がないとしても、彼等に少しでも負けない身体能力を鍛えるトレーニングが不足しているとの指摘は何人ものフットボールとうの専門のトレーナーやコーチたちから聞いている。私はラグビーの日本代表の日本人選手たち(妙な言い方だが)があそこまで鍛え上げられたのだから、サッカーを志す者たちが出来ないはずがないと思っている。現に元法政大学のフットボール部監督だった安田氏は「ラグビー選手の体格を備えたサッカーのテイーム」の育成を目指しておられたではないか。森保監督にもご一考願いたいものだ。