新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月6日 その2 アナログ時代の営業担当者は思う

2020-08-06 10:46:04 | コラム
アフター新型コロナウイルスの時代の営業はどのように変わるのだろう:

1975年3月にW社に転進してからの私の営業担当マネージャーとしての手法は、M社の2年半のパルプ担当の頃以上にも増して、情報提供と交換に重きを置くようになった。ここから先は飽くまでも回顧談であって自慢話ではないとご理解賜りたいし、暴露ものでもないのだ。

W社ジャパンの実務を統括しておられた副社長のN氏は「君の担当分野では、営業力とかよりも何よりも政治力が重要である」と言われた。それは私が担当していた液体容器原紙は、世界最高と言っても過言ではない優れた技術を誇る我が国の製紙業界でもただの1トンも生産されておらず、全て輸入に依存している珍しい品種だった。故に、何も事改めて需要家に売り込みをかけていく類いの製品ではなかったのだった。私はN氏の言を「何故、数あるアメリカのサプライヤーの中からW社を選べば効率的且つ有利か」を取引先に理解して貰うのが「政治力」だと解釈した。

その政治力に当たると私が経験からも狙いとしていたのは「如何にして得意先の各社に有益であり有効であると受け入れられる情報を提供して、W社と私を選べば常に液体容器原紙の世界だけではなく、アメリカの紙パルプ産業界のみならず、あらゆる意味での世界経済の動向に関する情報を入手できる。故に、彼等に依存するのも悪いことではない」と認識して頂く事だった。その広範囲の情報を入手する為には、紙パルプ業界のみならず、関連業界をも包含する私徳治の情報網の構築することは絶対的に必要だった。

余談の部類に入るが、W社の本社にはアメリカ全土でも著名なエコノミストが率いる「経済調査部」と言える組織があった。この部門が四半期毎に発行する全世界をカバーする調査報告書は、知る人ぞ知るだったこともあって、その価値を知る得意先は争って入手されていたものだった。

情報の入手と一口に言うが、それは一方的に自分の方から貴重な情報を提供しているのでは何の意味もないのだ。先方からもその見返りというかも知れないが、何かを引き出すか語って貰わねば何の意味もなくなってしまう。その為には時には「肉を切らせて骨を切る」どころではなく、「骨を切らせても、先方の随まで切る」というような微妙であり、先方が「そこまでの事を教えてくれるのか」という極秘的なニュースの提供等を惜しんではならないのである。その際に「ここだけの話ですが」などと言うのは野暮で、何気なくサラッと語って先方を緊張させないことが肝腎だ。

私の手法はそういう先方にとって貴重だろうと思う情報というか事柄を、何も得意先だけに提供するのではなく、言わば八方美人的に勿論相手を選んで、機会を捉えて撒いておく事も心掛けていた。すると、提供を受けた側からは何時しか「こんな事は先刻ご承知かも知れませんが、実はこんな噂を小耳に挟んだので」というような、私が跳び上がるようなことを何気なく語ってくれることだってあるのだ。その際の反応の仕方は難しい。素直に感謝するか、「そんなことは既に知っていた」と偉そうにするかで、それから先も提供者であってくれるか否かが変わることすらあるのだから。

このような情報交換会は私のオフィスでのこともあれば、先方にお邪魔したときでもあれば、昼食会や夕食会でも発生するのである。遺憾ながら私はアルコールを嗜めない体質なので、ホテルのバーでの二次会などでという場合がないのは残念だった。換言すれば、情報などと言うものは何時何処で入手できるか、提供できるかなどは容易に予測できないのだ。肝腎なことは、常に一方通行にならないよう、と言うか“give and take”であるべきなのだ。

長々と述べてきたが、ここまででお察し願いたいことは当時は「情報の提供も入手も全く何ら記録も残っていない」という性質なのだ。私はこれと思う情報は全てりポートの形にして副社長に送っていたが、それこそ昨日も述べたように、その情報の価値の判断は上司に任せるようにも心掛けたし、記録にも残して置くようにしていた。だが、テレウワーキングやリモートの時代が本格化すれば、全ては何らかの形で記録されてしまうのだろうから、迂闊に失言に類するようなことは言えなくなりはしないかと恐れるのだ。

言い方を変えれば、何処か静かな場所で落ち合い、語り合いながら情報を交換するというような動きは封じられてしまいはしないかと、アナログ時代の営業担当者は密かに危惧しているのだ。いや、私が1994年までに続けていたような情報収集と交換のような形は通用しない時代が来るのではないかと言いたいのだ。先方と出会って語り合い、お互いに気心を通じ合って、意見と情報を交換するような手法は古物化してしまうのかと考えているのだ。故に、アナログ時代の営業担当で良かったなと、一人静かに回顧しているのだ。

ところで、最後の一言は「間違っても『アフター・コロナ』などと言う意味不明なカタカナ語は使いたくなかった」なのである。


お盆の帰省は各自の判断で

2020-08-06 09:25:36 | コラム
明瞭なようで意味不明の尾身分科会長の記者会見:

昨5日に、尾身分科会会長は西村康稔大臣に先駆けて「お盆の帰省はそれぞれの方の判断で」と言われ、「高齢者に感染しないように十分に配慮して、親戚一同集まって宴会などしない方が」とも念を押されていた。何ら命令も要請もされずに、各自の判断に任せるという、誠に結構な民主的な提言のようだった。

しかしながら、私にはほぼ意味不明のようにしか聞こえなかった。と言うのは「帰省する」とされた人たちは何処から何処に帰るのかが明確ではなかっただけではなく、何処かから(東京からか?)帰省される人たちは「ウイルス感染者である」との前提で提言されたようにしか聞こえなかったからだ。確かに、東京都内の感染者の比率は全国平均よりも高いので、地方で敬遠されるだろうとは理解できる。だが、まさか帰省する人たちが家族ぐるみで感染者ではあるまいと思うのだ。それに、帰省する人たちは東京からだけなのだろうか。私にはその辺りが明快ではなかった。

私事になるが、私は昭和16年に東京から藤沢に疎開を兼ねて転地療養していた。ところが、昭和20年4月に東京に残してきた家がアメリカの空襲で全焼してしまったので、帰るはずだった家も家財も失ってしまった。今では永年お世話になっていた藤沢市から東京都区内に戻っているが、帰省すべき故郷がないのである。そこで、尾身氏の提言も、後出しになった感がある西村康稔大臣の帰省に関する声明も、何処か余所の国の話のようにしか聞こえず現実感がないのが残念である。少なくとも、現時点で私は感染者ではないのだが。