新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月23日 その2 新型コロナウイルスの蔓延が暴き出した事柄

2020-08-23 16:13:43 | コラム
危機管理対応の拙さ:

新型コロナウイルスの何時果てるとも知れない感染が招きだした我が国における混乱というか対応の拙さで、初動を誤ると言うか不適切だったことが、今日の事態になってしまうのかということをあらためて振り返ってみた。

言葉の不統一:
常日頃からカタカナ語を始めとして我が国で日常的に(主としてマスメディアが責を負うべきだが)使われている言葉の不正確さ乃至は出鱈目さが、この「新型コロナウイルス」の名称か呼称にも遺憾なく現れている。私が最も嫌っているのは他でもない「コロナ」である。“corona”には「ウイルス」という意味はないと既に指摘したが、マスメディアはその常套手段である外国語等の頭の部分だけを採ることをせずに「新型」を飛ばして「コロナ」にしてしまった。私は不正確極まりないこの表現を採らずに「新型コロナウイルス」と言わばフルネームにしている。

外国語では「武漢ウイルス」、「チャイナウイルス」、WHO様ご推薦の「COVID-19」等々とあるが、英語の報道等を見るとCOVID-19が最も多く使われているようだ。尤も“China virus”は散見されるが。今からでは遅いだろうが、我が国でも英語になったときのみっともなさ考慮して「コロナ」は止めて、何かキチンとした名称で統一することを内閣の何方かにご提案申し上げたい。言って置くが、この提案は東京都知事の小池百合子さんだけにはする気はない。又ぞろお得意の英語擬きが出てきそうだから。

危機管理の無為無策:
この新型コロナウイルスの感染とその対応策ほど、国会議員というか各県の知事も含めて政治家の無力振りでなければ、無能振りをこれでもかというほど国民の前にさらけ出した事案はこれまでになかったと思う。私の見方では「政治家を志した方々の大半は、実務の世界で責任ある地位に就かれて、組織の長というか指導者として全体を引っ張られた経験がある方が極めて少ないのが、今日までの対応策の至らなさと責任回避をしたがる者たちを産み出した」となる。

私はこれまでに何度かサッカー協会の長としてJリーグを今日の人気ある存在に纏め上げ、混乱の極みにあってオリンピックへの参加さえ危ぶまれたバスケットボール協会を短期間に立て直された川淵三郎氏を例に挙げる。川淵氏は他の混乱ばかりしている競技の上部団体とは違って、名選手の成れの果てが論功行賞で役員になっているのとは異なって、古河電工という上場企業で部長という管理職を務められて、組織の長として如何に動かすかを経験してこられているし、この協会の幹部には大手企業の管理職の経験者が多いのも特徴だ。この辺りが政治家の大きな相違点だ。

言いたくはないが、私もアメリカの大手製造業の日本駐在マネージャーとして(お恥ずかしながら、アメリカの労働力の低い質が産み出す)数え切れないほどの品質による危機的な、我が国の細かく且つアメリかではあり得ない厳しい品質に対する受け入れ基準から生じた補償問題の処理に当たってきた。当初は「補償すれば良いのでしょう」と逃げ腰だったが、場数を踏んで見えてきたことは「絶対に逃げてはならない。逃げれば何処まででも追ってくる。誠心誠意で頭から突っ込んで解決に向けて、如何に辛くとも解決に努力する以外の道はない」だった。本当に辛かった。

だが、何度も何度も指摘してきたが、西村康稔大臣と加藤勝信厚労相は問題に正面から対峙して「頭を下げて突進してタックルしよう」という決意など、一度も示されたことはなかった。何時でも学業成績はさぞかし優秀だっただろうと読める巧みな言辞を弄して、責任回避するだけに終始していた。特に西村氏の場合は「専門家会議」という絶好の盾(=shield)を実に有効に使って言い抜けられていた。思うに難局に実際に当たられた経験がなかった為に「逃げたら追われる」とは知らずに「逃げるにしかず」作戦しか思い当たらなかったのだろう。その点は小池さんも同罪だ。

私は安倍首相もお眼鏡違いで西村氏の明晰なのだろう頭脳を見込まれて「経済再生」と「新型コロナウイルス制圧対策か、特措法執行」の「二刀流」を一任されたのだろうが、成功だったとは少なくとも私は見ていない。彼と加藤勝信厚労相をこのままその任に当たらせるのならば、今からでは遅いが然るべき大学にでも派遣して「危機処理学」と「危機管理学」でも学ばせて頂きたいものだと願っている。いっその事、川淵氏を招聘して「その心構え」の講義でも聴かせれば良いとすら思う。そこには小池さんと大阪の吉村府知事も入れると良いだろう。要するに「逃げないこと」を学ばせるべしだ。

経済の面:
ここではマスコミが騒ぎ過ぎを問題にしたい。人の動きを封じ込めざるをえない事態が生じた以上、経済活動が停滞し、個人消費が落ち込み、多くの産業界で需要が停滞し操業短縮となり売上高の減少は当然のことだった。それに伴って輸送業も観光業も停滞することくらいは誰でも読めることではなかったか。マスコミはしきりに外食業と外飲み業を労って見せてきたが、私は要らざる騒ぎ方だとの思いで見てきた。彼等を補償することが焦眉の急だという論調は不適切だし、スタンドプレーを得意技とする小池都知事は浅はかにもそれに乗って都民の税金を補償に使って無駄に費やした。

専門家とテレビ業界が呼ぶ方々は経済の面でも色々と罪なき一般人を惑わすような見解を述べておられた。正直なところ、26年前までの営業担当者には遠慮会釈なく容赦なくグローバリゼーションとやらが幅を利かせている現在の世界の経済の動向など読みようがないのだ。だから彼らのご意見とご見解を伺うようにしているが、どうも良く解らない。簡単に言ってしまえば「ウイルスの征圧と経済の活性化の両方を同時に狙えない」と「いや両方を回していける」に分類できるのだ。だが「こうすれば決定的に有効である」という類いのことは誰も言わずに数字の羅列ばかり聞かされる。

つまり、専門家という名の多くのエコノミストや著名な大学教授たちは評論家であっても、実務家ではないのだという冷厳なる事実を遺憾ながらも示しただけに終わっていると思う。ただ、彼等が持つ豊富な統計資料とその分析は素晴らしいので「流石」と思わせられる。だが、「だったら、そうすれば良いの」という問いには答えていないのだ。私は在職中から「業界の評論は実務に携わっている現場にいる者が語るか書いてこそ意義があるのでは」と唱えてきたし、実際に匿名で専門誌のは投稿していた。陳腐なことを敢えて言えば「理論と実際が常に一致するとは限らないのだ」なのだ。

何処かで何方かが「思い切った財政出動を」と言われていた。あれもこれもとやってみるのではなく、政府に現在の経済とウイルス退治の両方を担当するのではなく、何れか片方を担当する実務経験豊富な人を2人任命して「経済活性化とウイルス征圧本部」でも設けて、2人の意思の疎通を常に十分にするような形にでもして、この両輪を確実に回していこうとでもしないと、現在のように良い大学を出て中央官庁で理屈ばかりを覚えてきたお利口さんに任せていても良い状態ではないのは明らかだ。

私はそれに加えて、経営者の質の低下があると見ているので、ここにも改革の必要があると思っている。彼等は取締役会員ではなく執行役というのだそうだが、20年以上も無駄にしてきた時代にノウノウと育ってきたので、危機管理も危機乗り切りの経験もしてこなかったのだから、未曾有のウイルスのよってもたらされた危機などに能動的に有効な対策が打てるとは到底考えがたいのだ。私は先ず賃金を上げるべき努力が肝要だと思っている。

この項の結び;我が国は実質賃金が下がり続けている世界にも数少ない珍しい国だという事を彼等が反省すべきだ。その面では国会議員も別な意味で要反省で、歳費をこれまで以上に下げるべきではないのか。


当たるも「閃き」当たらぬも「閃き」

2020-08-23 11:53:22 | コラム
渋野日向子の場合は悲しいほど当たってしまった:

「マスコミの騒ぎすぎは碌な結果を生じない」というのが私の持論だし、得意の「閃き」の根拠ともなっていた。その点からだけでも(日本時間22日)の渋野日向子の全英オープンゴルフの予選落ちは全く「閃き」通りだったのは、当たったと喜ぶ訳にはいかない結果だった。私はスポーツ新聞も(読んでいる訳では毛頭ないが)もテレビが「連覇だ、連覇だ」と過剰に騒ぎ立てているのを見聞きするだけでも「間違いなく駄目だろう」と閃いていた。だが、予選落ちとまでは閃いては来ていなかった。

私は渋野にしてもテニスの大坂なおみにしても、我が国のメデイアの持ち上げ方は過剰であると思っている。本人たちがあの持て囃し方をどう受けとめるか知らないが、あれほど持ち上げられれば、本人たちが「私はそこまでのものではない。偶々出会い頭で勝てただけだ。世界には未だ未だ上がいるものだから、一層の努力と精進が必要だ」とは中々自覚しにくいのではないかと懸念している。彼女らは競争相手たちに研究し尽くされて、追い落とそうと立ち向かってくる相手だけではなく、ゴルフの場合はゴルフ場その物の自然条件とも勝負せねばならないのだ。

以前にも仕事の関連で回顧したが「我が事業部が日本市場で#1のシェアーホールダーになろうと、全員と全体で懸命に努力していた頃の方が楽だった。いざその地位に到達してそれを守ろうと努力する方が、数百倍も辛く、且つ月並みな表現で恐縮だが厳しかった」のだった。極端に言う訳ではないが、事業部の方針と政策だけに止まらず、抜き去ったcompetitorだった企業や業界全体から全員の振る舞いまでも常に監視されていて、隙あらば引き摺りおろうと立ち向かってきているのだった。その攻勢から自社を守る術は知らなかった、追い付こうと励む方法は承知していても。

次は藤井聡太八段及び二冠を採り上げたい。私は未だ高校に在学中のこの将棋指しが今日の前人未踏の地位に到達するまでの間は「あのマスコミの持ち上げ方が例によって過剰で、未成年である藤井君に見えざる悪い影響を当たるのではないか」という程度にしか見ていなかった。と言うのも、私は将棋が出来ないし、将棋という広辞苑によれば「室内遊戯の一つ」とあるものが国内でどれほどmajorであるのか、諸外国にも普及しているのかは全く承知していなかった。そこに彼が現れてあの騒ぎである。従って最も案じたのが騒ぎ過ぎの見えざる悪影響である。

だが、藤井君はあの「勝負飯」などと称して(あれは将棋界における正式な呼称か?)対局中に何を食べたかまでを報道するのは「過剰」以外の何物でもなく、藤井君が彼等がでっち上げた「虚像」となってしまうのかとも「閃いて」いた。だが、彼はそれをものともせずに二冠と八段昇進を達成して見せた。ということは、彼はあの持て囃しすぎと騒ぎ過ぎを乗り越えるに足る「本物」だと証明して見せてくれただけではなく、当方の「閃き」に出ていた懸念まで一掃してくれたのだった。偉いものだと思う。マスコミがあれ以上騒ぐのを止めたら、もっと上昇すると思う。

次なる「閃き」の対象は何と言ってもアメリカの大統領選挙である。これに関しては権威ある専門家の方々が色々と語っておられるので、私から何かいう事はない。「閃き」ではトランプ氏の再選と来ている。重ねて言うが、ここには何の理屈も理論もない。何の試合でも良いから、競技場に入って着席した場合と、テレビ観戦で画面が出てきたときに「どっちが勝つか」と閃いたのと同じ現象である。一言だけ言えば、我が国の専門家の先生方はごく少数の例外を除いて有権者でも何でもなく、取材と資料と経験に基づいて発言しておられるのだという事。当事者ではないのだ。

さて、チャイナウイルスと言うか新型コロナウイルスと言うかCOVID-19である。「閃き」では年内の収束はないとなっている。私は既に我が国では「人災」化しつつあると述べた。それは西村康稔大臣と加藤勝信厚労相のカタカナ語にすればリーダーシップの欠如と、最多の感染者を出してしまう結果になった小池都知事の無知と無経験と指導力の悲しいまでの欠如に加えて、政府と対決姿勢を見せることが能事だと思ってスタンドプレーを挙げたい。ということは、究極の責任は過労の状態にあると報じられている安倍晋三総理大臣にあると言うこと

この新型コロナウイルスと大いに関連するのが、来年に延期された「2020東京オリンピック」である。私の「閃き」では延期になる前から「どうしても新装してしまった国立競技場でオリンピックが開催されている絵が見えてこなかった」のだ。だが、それが如何なる理由で開催されないかは閃いてこなかった」のだった。その原因がこに忌まわしき中国発のウイルスだった。「閃き」は「恐らく開催は無理ではないか」で「無理だ」とまで断定までしきれてはいない。

「なるほど、そうう事だったか」と分かったが、私は我が国であれほど崇拝し尊敬するIOC等は単なる増長した白人の集団に過ぎず、来年になって実施するか延期するかの判断がまともに出来るような能力など備えていない、どうと言うことない連中だと思っている。私はその程度の連中のご託宣などを畏まって承っている必要など更々ないと思っている。経験上から言えるのだが、彼等は思いがけないところから強硬ことを言われたり、堂々と論陣を張られると、非常に脆いのである。私は森組織委員会長以下は遠慮する来なく「開催すると言え」とせめて欲しいと思っている

最後は安倍晋三総理大臣の後継だが、岸田、石破、菅、茂木、河野等々の世上噂されている方々ではないないところから、誰かが突如浮かび上がってくるのなと思うときがある。尤も、そこには小泉進次郎氏はないが。即ち、全く誰も「閃いてこない」状態である。但し、個人的な好みから言えば、岸田文雄氏だけは願い下げにたい。だが、これまでの経験では、そのように毛嫌いした人物が選ばれることが、自分が所属した企業以外でも非常に多かった。とすると「閃き」を離れて、岸田文雄氏になってしまうのだ。