朝から曇りです。少し肌寒いです。
今週は週末のかけて寒くなる予報です。
朝ごはん食べて、洗濯物を干してくれました。
床掃除もしてくれました。(~o~)
9時にバス通学しました。
学校では、朝めずらしく、「アーア」と怒りだし、手を嚙んで教卓を蹴り上げました。
その後は、落ち着いて作業できました。
午後3時半に帰宅。
夕方、イトーヨーカ堂でたこ焼き食べてきました。
晩ごはんは、醤油とんこつラーメンにしました。
私はDVD鑑賞しました。
vol26 「公開土大王」 第51話 第52話
第51話
高句麗(コグリョ)王の国婚の招待客に、後燕(フンヨン)、百済(ペクチャ)、新羅(シンラ)、靺鞨族(マルガル)を招待した。
契丹国(コラン)は、コウンの謀(はかりごと)で、欠席して、外交、貿易など国交断絶をした。
契丹国(コラン)から塩を買い入れていた高句麗(コグリョ)は、塩などの物資が不足して物価高騰するのであった。
このちょっと前に、へんな男が現れて、品不足、仲間の裏切りがでるといい残して立ち去る。
百済(ペクチャ)のアシン城主と新羅(シンラ)の使節を呼んで、初代高句麗王が残した金を溶かして作り直した
三本足の入れ物を百済(ペクチャ)のアシン城主と新羅(シンラ)のシルソン太子(使節)に渡し、
これからの3国同盟を呼びかけるのである。
(高句麗(コグリョ)を建国した第1代王、朱蒙(チュモン)王と、朱蒙(チュモン)の皇后、ソソノが建国した百済、新羅の3国)
高句麗(コグリョ)の国旗 三本足の鳥:三足鳥(サンゾクチョウ)
新羅(シンラ)のシルソン太子(使節)は、のちに、新羅の国王となる人です。
☆シルソン 新羅 伊勿(イチャン)テシジの息子 西暦392年に高句麗に人質になる
奈勿(ネムル)王が逝去(セイキョ)した西暦401年に帰国 第18代王になる。
第52話
高句麗を敵視する契丹族(コラン)に戦を仕掛けるタムドク王。
しかし、後燕国の臣下となったコウンにタムドク王の戦略が見破られていた。
高句麗軍の本隊3万とは別に、天軍を後燕国の商談に見せかけて契丹軍(コラン)の本陣に潜入させる。
契丹族(コラン)のタバル大族長(テゾクチャン)は、後燕国の事前の知らせをうけて待ち伏せしていた。
契丹(コラン)軍営の中で、戦闘が始まり、高句麗の天軍が敗勢になったとき、
靺鞨族(マルガル)の大族長ソルドアン率いる靺鞨軍が、天軍の援軍に駆けつけて形勢逆転して、
契丹(コラン)軍は敗走する。
契丹(コラン)兵500人を捕虜にして、高句麗流民1万人を高句麗に連れ帰る。
☆国婚の儀式を終えて帰る靺鞨族(マルガル)に、タムドク王が天軍の後詰めをお願いする。
契丹(コラン)軍が罠を仕掛けたときに、天軍を援護するようにお願いしたのです。
靺鞨族(マルガル)・大族長ソルドアンの面子(メンツ)が立つように、靺鞨族の冬の食料を提供したのです。
(靺鞨族は冬の食料が足りないので困っていたのです。)
☆一方、後燕国には、契丹を攻めるので、契丹に加勢しないように、事前にマルチを使節として後燕国に送り
了解を取ったのです。
後燕国王(慕容垂(ボヨウスイ))としては、恩を売り、後で倍返しで返して貰うつもりです。
☆またしても馮跋将軍(フンバイチャングン)、後燕国皇太子 慕容宝(ボヨウホウ)、コウンの策略は、
タムドク王により破られたのです。
今週は週末のかけて寒くなる予報です。
朝ごはん食べて、洗濯物を干してくれました。
床掃除もしてくれました。(~o~)
9時にバス通学しました。
学校では、朝めずらしく、「アーア」と怒りだし、手を嚙んで教卓を蹴り上げました。
その後は、落ち着いて作業できました。
午後3時半に帰宅。
夕方、イトーヨーカ堂でたこ焼き食べてきました。
晩ごはんは、醤油とんこつラーメンにしました。
私はDVD鑑賞しました。
vol26 「公開土大王」 第51話 第52話
第51話
高句麗(コグリョ)王の国婚の招待客に、後燕(フンヨン)、百済(ペクチャ)、新羅(シンラ)、靺鞨族(マルガル)を招待した。
契丹国(コラン)は、コウンの謀(はかりごと)で、欠席して、外交、貿易など国交断絶をした。
契丹国(コラン)から塩を買い入れていた高句麗(コグリョ)は、塩などの物資が不足して物価高騰するのであった。
このちょっと前に、へんな男が現れて、品不足、仲間の裏切りがでるといい残して立ち去る。
百済(ペクチャ)のアシン城主と新羅(シンラ)の使節を呼んで、初代高句麗王が残した金を溶かして作り直した
三本足の入れ物を百済(ペクチャ)のアシン城主と新羅(シンラ)のシルソン太子(使節)に渡し、
これからの3国同盟を呼びかけるのである。
(高句麗(コグリョ)を建国した第1代王、朱蒙(チュモン)王と、朱蒙(チュモン)の皇后、ソソノが建国した百済、新羅の3国)
高句麗(コグリョ)の国旗 三本足の鳥:三足鳥(サンゾクチョウ)
新羅(シンラ)のシルソン太子(使節)は、のちに、新羅の国王となる人です。
☆シルソン 新羅 伊勿(イチャン)テシジの息子 西暦392年に高句麗に人質になる
奈勿(ネムル)王が逝去(セイキョ)した西暦401年に帰国 第18代王になる。
第52話
高句麗を敵視する契丹族(コラン)に戦を仕掛けるタムドク王。
しかし、後燕国の臣下となったコウンにタムドク王の戦略が見破られていた。
高句麗軍の本隊3万とは別に、天軍を後燕国の商談に見せかけて契丹軍(コラン)の本陣に潜入させる。
契丹族(コラン)のタバル大族長(テゾクチャン)は、後燕国の事前の知らせをうけて待ち伏せしていた。
契丹(コラン)軍営の中で、戦闘が始まり、高句麗の天軍が敗勢になったとき、
靺鞨族(マルガル)の大族長ソルドアン率いる靺鞨軍が、天軍の援軍に駆けつけて形勢逆転して、
契丹(コラン)軍は敗走する。
契丹(コラン)兵500人を捕虜にして、高句麗流民1万人を高句麗に連れ帰る。
☆国婚の儀式を終えて帰る靺鞨族(マルガル)に、タムドク王が天軍の後詰めをお願いする。
契丹(コラン)軍が罠を仕掛けたときに、天軍を援護するようにお願いしたのです。
靺鞨族(マルガル)・大族長ソルドアンの面子(メンツ)が立つように、靺鞨族の冬の食料を提供したのです。
(靺鞨族は冬の食料が足りないので困っていたのです。)
☆一方、後燕国には、契丹を攻めるので、契丹に加勢しないように、事前にマルチを使節として後燕国に送り
了解を取ったのです。
後燕国王(慕容垂(ボヨウスイ))としては、恩を売り、後で倍返しで返して貰うつもりです。
☆またしても馮跋将軍(フンバイチャングン)、後燕国皇太子 慕容宝(ボヨウホウ)、コウンの策略は、
タムドク王により破られたのです。