おはようございます。
横浜山手の神奈川近代文学館で、”広津和郎と絵画”展が開催されているというので、文学展の初詣をしてきた(笑)。
和郎(1891~1968)の父(柳浪)そして長女桃子(1918~1988)も作家で、親子三代にわたり文学の道を歩んだ。桃子没後、広津家の文学資料が多数、当館に寄贈されたそうだ。また、和郎はもともと画家志望であったようで、自身でも絵を描き、また当代の画家の作品の蒐集もした。それらのうち、絵画は平塚美術館へ、陶磁器類は神奈川歴博に寄贈されている。そして、最近、桃子の友人の遺族から和郎旧蔵の中村彝(つね)、安井曾太郎などの絵画作品が当館に寄贈されたとのこと。
本年は広津和郎の没後50年に当たり、記念として、寄贈絵画のお披露目を兼ねて、本展が開催されたものである。”スポット展示”ということだが、これら新収蔵の絵画と、和郎と画家たちとの交流を示す書簡、関連図書、雑誌、写真等、約70点もの資料が展示され、見応えのある展覧会であった。
まず、熱海の自宅でのコレクション絵画と和郎の写真を。これらの絵画はすべて展示されている。
青 中村彝画 「画室の庭」(1918年頃 油彩)
黄 安井曾太郎画 「湯河原風景」(1951年 パステル)
赤 北尾政美画・蜀山人賛 遊女の〇(自分のメモの字が分からない)
桃 岸田劉生画 卓上林檎葡萄図
緑 唐三彩蓮華三足盤
中村彝画 「画室の庭」
この絵は1952年に東京の画廊で購入したが、額縁は、自宅に写真を撮りにきていた土門拳に依頼して、老舗のお店で2万5千円でつくってもらった。そのやりとりの手紙も展示されている。土門とは親しかったようで、古寺巡礼の写真集も贈呈されている。こういう下世話な話も面白い(笑)。
和郎は前述のように自身でも絵を描き、”大船風景”という作品もある。鎌倉に住んでいた頃、鎌倉は軍の要塞で写生は禁止され、近くの大船まで出て、よく絵を描いたようだ。その後、熱海に移り住んだが、親友の志賀直哉も当地におり、仲良くしていた。また、近くの湯河原には、安井曾太郎が、先日紹介した、栖鳳が晩年を過ごした温泉旅館天野屋の別荘に住んでいた。親交もあり、手紙のやりやとりもしている。萬鉄五郎の”海岸風景”は写真だけだったが、これだけは、最後まで手放さなかったようだ。
広津和郎というと松川事件を扱かった”松川裁判”や同時代の文学者を活写した文壇史”年月のあしあと”だそうだが、ぼくはまだ読んでいない。後者が面白そうなので、そのうち、図書館で探してみようと思う。
ただの文学展ではなく、画家や写真家なども現れ、なかなか面白い展覧会であった。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!
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