近くの大学の公開講座(徒然草)が、午後2時20分という中途半端な時間からはじまるので、遠出はできず、北鎌倉で1時間ほど遊んだ。
梅はまだかいなと東慶寺に入ったが、境内の梅園には花を咲かせているのは、見事なくらい一つもなかった。
一輪ほどの暖かさを期待していたのに残念だった。しかし老害(ミス打ちです)、蝋梅は4本ほどのうち、早咲きのはもう終わっていたが、残りは見頃に入っていた。
早春の東慶寺といえばハクモクレンだが、今年は蕾をいっぱいつけていて、幸せいっぱい胸いっぱい(?)膨らませていた。初花はおいどんがみつけるゾ!
さて、蝋梅といえば、浄智寺にも何本かある。それよりも、お寺の入口の民家の蝋梅の方がすごい。さて、今年はどうか。あっとおどろくため五郎、と言うと、歳が知れるので言わない。やばい、めっちゃすごい。満開!
さて、浄智寺のお堂の前の蝋梅三人娘はどうか。
昨年末は固い蕾だったが、だいぶほころんできた。
よしよし、順調と微笑む布袋さま。お正月の七福神回りの大仕事を終え、やれやれですね。
浄智寺の向かいの横須賀線沿いの蝋梅も花盛り。
ひいらぎ南天の紅葉も、見事だった。
さて、今日は、これから、何処へ行こうか。気ままな生活、いいですなぁ。ぼく以上、気ままな人はいないだろうと思っていたら、徒然草の第60段の仁和寺の塔頭のお坊さんには足元にも及ばない。このお坊さん、里芋ばかりを食らい、質素に暮らしている。容貌うるわしく、力も強く、字も上手、学問もあり、弁舌さわやか、あらゆる面で優れているのだが、世間を軽くみる曲者で、すべてに渡り、自由にふるまい、ほとんど他人に従うことがない。たとえば、饗応のもてなしがあっても、膳が運ばれたら、すぐ食べ始め、おわれば、さっさと帰ってしまう。普段の食事も食べたいときに食べる。寝たい時に寝る。何日も眠らず、鼻歌を歌いながら散歩したりもする。このように、世間の規範の埒外にあるのだが、他人からは嫌がられず、自由な振る舞いがゆるされていた。”至上の徳人”というべき人物だと、兼好法師は結んでいる。
考えてみれば、草木の花だって、結構、気ままに、咲きたいときに咲いたりしている。蝋梅だってそうだし、ぼくの散歩道の百合っぺ(高砂百合)なんか、真夏の花なのに、真冬にもう一か月近く、咲き続けている。〝至上の徳花〟といえるだろう。話のついでに、今日も元気だった百合っぺの写真で締めよう。
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