気ままに

大船での気ままな生活日誌

井上ひさし/鎌倉の日々

2020-07-02 10:52:07 | Weblog

おはようございます。

コロナ自粛が明けて間もない頃、鎌倉文学館で開催されている”没後10年・井上ひさし/鎌倉の日々展”を見に行っている。井上ひさしは昭和から平成に代わる頃、世田谷から鎌倉市佐助に引っ越してきて、そのあと亡くなるまで20年間、この地に住んだ。そして、没後10年となり、ゆかりの鎌倉文学館での本展である。

2013年に神奈川近代文学館で大規模な”井上ひさし展”が開かれ、そのブログ感想記事の冒頭にこう書いた。井上さんは鎌倉にお住まいだったので、小町通りや横須賀線のホームや、佐助の紅茶専門店やら、いろんなところで出くわしている。偶然にしては、ちょっと多すぎるし、きっと縁があるのではと密かに自慢していた。その井上さんが突然いなくなって、もう3年経つ。だから、井上さんは、あの2年前の東北大震災を知らない。震災直後に、(前売り券を買っていた)井上ひさし脚本の”日本人のへそ”を観に行った。たいていの催しものが中止になっていた頃なのに、劇団はあえて強行した。”悲しいこともあるだろさ、泣くのはいやだ、笑っちゃおう 進め、進め”の精神だと思った。井上ひさしの劇作家としての本格的なデビュー作が、この”日本人のへそ”だった

本展は第1部井上ひさし、生活者として第二部井上ひさし/創作者としての二部構成になっているが、はじめに作家デビュー前後の紹介がある。1939年に山形の小松町(現川西町)に生まれ、父親が5歳のとき亡くなり(松竹大船撮影所の脚本部に採用されてすぐ急死)、15歳までここで過ごしたあと、仙台の児童養護施設に預けられる。仙台一高から上智大に進学するがなじめず、休学し、母の住む釜石に移り、働きながら戯曲を書いていた。復学してから浅草のストリップ劇場の喜劇の台本作りにはまり、芝居の面白さを知る。卒業後はNHKのラジオドラマの脚本を手掛け、30歳で”ひょっこりひょうたんじま”が大当たりした。35歳で元ストリッパーの半生をコミカルに描いた戯曲”日本人のへそ”で演劇界にデビューした。38歳で戯曲、”道元の冒険”で岸田國士戯曲賞、小説、”手鎖心中”で直木賞を受賞。そのあと、ヒット作となった”吉里吉里人”の連載を始める。

ひょっこりひょうたんじま プロットノート

日本人のへそ(井上ひさし追悼公演)文化村シアターコクーンで観たときのポスター。

手鎖心中 山東京伝に憧れる栄次郎は人気作家のマネをして手鎖の刑になり偽装心中まで図る。直木賞選考委員の清張は”ふざけた小説と見るのは皮相で、作者は戯作者の中に入って現代の”寛政”を見ていると評した。

第一部では、コメの話、ナショナルトラストの話、憲法の話、などむずかしいことをやさしく・・

第二部では戯曲がいっぱい。深いせりふと共に。

人間合格(太宰治の評伝劇)

修治:友情の宝石がひとつでももてたら、生まれてきた甲斐がある。

シャンハイムーン(魯迅の評伝)

魯迅:それでいい。雑感文でこの世の中の欠点をつく。つきつづける。それがこの自分の後世に対する責任でしょうから。この場所を、そしてこの時代を背負って生き続けましょう。

マンザナ、わが町(日系人強制収容所)

ソフィア:地球は水、その水分から生まれた色はみな美しい
リリアン:地球の色はすべてうつくしい

黙阿弥オペラ(黙阿弥の評伝)

新七:人の心と言葉、これはそうやすやすとは変わりませんよ。そしてその二つで芝居はできているんです。芝居がそうたやすく変わってたまるものですか。


安野光雅作)

東京セブンローズ 終戦後、占領軍の日本語のローマ字化計画を聞かされた信介は、それを止めようとする東京セブンローズの存在を知る。

なんていったらいいのか、夫を亡くすよりも漢字とカナをなくす方が骨身にこたえるような気がする。子供たちの先行きにひびくからかしら。どうもよくいえないんですけど。

東慶寺花だより 江戸時代の駆け込み寺、東慶寺での物語。門前の御用宿の居候、中村新次郎は戯作者として芽が出ず、悩んでいた。新次郎は様々な事情で寺に駆け込む人たちと出会い、人々の心をほぐしていく。

なにかをごまかしている。ずるい。こんな人といっしょにいては、生涯、親孝行ばかりで、あたしの一生がめちゃくちゃになってしまう。

映画化もされ、ぼくも見に行っている。(2015年5月)

歌舞伎座でも。新作歌舞伎”東慶寺花だより”。初演、初日の歴史的生中継で染五郎緊張の一場面。(2014年1月)

まだ、いろいろあるが、面白いのを最後にひとつ。

円生と志ん生 6代目円生(松尾)と5代目志ん生(孝蔵)は戦時中、満州に慰問興行に出掛ける。しかし大連に着いて二日後に終戦。二人はなんとか日本に帰ろうと悲喜こもごもの珍道中。二人の実体験をもとに戯曲化した。

松尾:この世が涙の谷なら、どうせ災難がつづけざまに襲いかかってくるんでしょう。それならその災難を、ステキだなと思って乗り越えちゃうんですよ。

三:あたしたちなんぞは、人が死んでもシャレをいますからねっ。友達の葬式に行くと、後家さんになった奥さんが薄化粧かなんかしてきれいに見えるから、うん、後家はいい、後家は好きだ、おいらのかかあも早く後家にしよう、なんてな。

では、みなさん、今日も一日、お元気で!

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