気ままに

大船での気ままな生活日誌

国吉康雄展

2016-07-12 11:00:08 | Weblog

横浜のそごう美術館で開催されていた国吉康雄展が昨日で閉幕した。ひと月ほど前に観にいっているが、まだ紹介記事を書いていなかった。アメリカで活躍した画家で、ぼくにとっては、はじめての国吉康男(1889-1953)の回顧展であった。

まず、彼の人生史を辿ってみる。1989年、岡山市中出町で出生。地元の小学校、高小に通い、ここで内田百聞と同級だったという。工業高校で染織を勉強したが、二年後に退学し、単身、米国に渡る(1906)。雑役労働で生活の糧を得て、美術学校を転々とする。1914年、インディペンデント・スクール・オブ・アーツに入学、2年聞学ぶ。ここで、ヨーロッパ美術の新しい流れを知る。1917年、独立美術家協会第一回展に出品。前衛的な画家集団ペンギン・クラブに入会。1919年、米人と結婚。1925年、妻と共に、二度にわたり渡欧する。1929年、ニューヨークに戻る。MoMAの「19人の現代アメリカ作家展」の出品作家に選ばれる。この年、ウォール街の株価大暴落、大恐慌が始る。1931年、病気の父の見舞に、岡山へ帰る。そのとき、岡山、東京、大阪で個展を開催。この年、満州事変が勃発。1933年、アート・ステューデンツ・リーグの教授に就任、亡くなるまで20年間勤務する。1941年、太平洋戦争勃発、国吉の身分は”外国人居住者”から”敵性外国人”となり、行動の自由を束縛される。1953年、米国で死去。たいへんな時代を生きてきた。

企画者の粋なはからいで、会場の一部が撮影可能となっている。今の時代、展覧会はこうでなくてはネ。まず、その”国吉のアトリエ”コーナーから。

ここには、国吉が絵を描くために必要とした道具や、国吉が過ごした時間がわかるものを展示しました。ここにある国吉の遺物に触れ、歴史に触れ、時代と時代をつなげてみませんか。という呼びかけ。

制作中の国吉康雄。

周囲の壁には時代時代の絵画。ここで、国吉作品の変遷がちょっとだけわかる。

1920年代から作品をつぎつぎ発表し始めた。この時代は、平面的で幻想的な画面のなかに、人物や動物が素朴な表情で描かれる作風。

ふたりの赤ん坊(1923)

敵性外国人時代の作品↓

制作中(1943)

戦後は明るい色の作品が多くなる。

通りの向こう側(1951)

以上、三つの絵画をみても、画風は時代と共に変わっていったことが分かる。また、ジャンルも幅広い。自身で写真、版画も手掛けた。

では、ちらしに載った絵画で、国吉ワールドの一端をお楽しみください。

ウイリアム・グロッパーの肖像(1938) 岡山以外では初公開とのこと。

安眠を妨げる夢(1948)

クラウン(1948) 日本初公開の大作。

こいのぼり(1950)

もの思う女(1935) 全身像だが、ちらしでは、何故か頭部のみの掲載で残念。これが一番のお気に入りだったのに。


なお、展示品の大部分は、福武総一郎氏、哲彦氏二代にわたる”福武コレクション”ということだ。なお、岡山県立美術館では、2003年4月より、福武總一郎氏から、絵画・版画・写真および関連資料あわせて570点からなる「福武コレクション」の寄託を受けているとのこと。こんど、岡山旅行に行ったときは、大原美術館だけではなく、ここにも寄らねば。

では、みなさん、今日も一日、鯉のぼりのように、お元気で!

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