こんばんわ。
茅ヶ崎美術館で開催されているミュシャ展/アール・ヌーヴォーの美しきミューズは、パリ時代から祖国チェコ時代までの優品が200点もそろう素晴らしい展覧会であった。写真撮影も可能で、みなさん鑑賞に邪魔にならないようにマナーよく撮られていた。どの作品にもミュシャ風の麗しいミューズがいて、あれもこれもついパチリ(もちろんシャッター音は無音にしていますが)。なるべく多くの写真をここに記録しておきたいため、本展の紹介シリーズも時間がかかってしまった。それでも、ようやく今回が最終回となる。
ミュシャは大成功を収めたパリを離れ、まず、アメリカへ。そして、スラヴ民族への愛は変わることはなく、50歳のとき、当時、オーストリア・ハンガリー帝国に支配されていた祖国チェコのプラハに戻った。国の平和を願いスラヴ民族の誇りを作品にした。とくに有名なのは、17年かけて、巨大なカンヴァスに、古代から近代に至るスラブ民族の歴史を描いた”スラブ叙事詩”だろうか。これら20点の連作が、2017年に国立新美にやって来た。国外へは初の大遠征だった。写真撮影も可能で、その一枚。
そんな予備知識も入れて、本展の6,7,8章を強行突破し、今日で千秋楽としたい。
本展の章立て。
第1章 パリ時代の魅了的なポスター
第2章 暮らしを彩る装飾パネル
第3章 装飾資料集 装飾人物集
第4章 挿絵の魅力
第5章 くらしの中で愛されるミュシャ
第6章 ミュシャとアメリカ
第7章 わが祖国、チェコ
第8章 暮らしの中で愛されるミュシャII
第6章 ミュシャとアメリカ
1904年、ミュシャは初めてアメリカを訪れ、大歓迎を受ける。それ以降1910年までパリとアメリカを行き来する。そこで肖像画の依頼を次々と受け、また、個展や講演会を数多く開いた。これは彼の後半生をかけることになる”スラブの叙事詩”製作の資金を集める目的もあった。
レスリー・カーター アメリカの女優の肖像画
セントルイス万博 ポスター
ズデンカ・チェルニー ミュシュが居候していたチェルニー家の次女
ウェヴァリー自転車
ハースト・インターナショナル(月刊誌、表紙)
第7章 わが祖国、チェコ
1910年、ミュシャはアメリカで得たスポンサーと”スラブ叙事詩”構想を胸にパリでの栄光を捨て、祖国チェコへ戻った。そして、プラハの近くにアトリエを構え、家族と共に18年間をすごした。そして20点に及ぶ歴史画”スラブ叙事詩”の大作を完成させた。これらはすべてプラハ市に寄贈された。またこの作品制作のかたわら祖国のためにさまざまな仕事を引き受ける。1918年独立を宣言した新生チェコスロバキア共和国の新政府から依頼された切手、紙幣、国章、警察官の制服のデザインまで無償で引き受けた。
スラヴ叙事詩展 スラヴ叙事詩20点がプラハ市に寄贈される式典のポスター
作品の数々
第6回ソコル祭 オーストリアの支配から脱却する運動
第8回ソコル祭
モラヴィア教師合唱団ポスター
イヴァンチツェの地方祭 イヴァンチツェはミュシャの生誕地
ヒヤシンス姫 チェコのサラ・ベルナールと称された女優がモデル
国の目覚め チェコ独立の鉛筆書きポスター
スラブ叙事詩展カタログ
コルナ紙幣
郵便切手(25枚)
第8章 暮らしの中で愛されるミュシャII
最終章では、レストランのメニュー、サラベルナール劇場のパンフレット、三面鏡、陶磁器、ビスケット箱などミュシャデザインの様々な身近な作品が飾られる。
素晴らしい展覧会でした。(完)ミュシャ展、またいつかどこかで。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
暑い中を、お気を使わせてのこと、お身体大丈夫でしょうか。
連日の暑さです。
美女よりも、木陰が必要かと思えます。
ご自愛くださいませ。
ありがとうございます。
この暑さにも困ったものです。”美女より木陰”ですね。でも、慣らしていかないと、どこにも出かけられないので、今日も軽く出ようと思っています。山百合か七夕か、でも、やっぱり木陰か(笑)。
いい一日を。