歌舞伎も月に二回ほどは行きたいと思うが、ほかの遊びに忙しくて(汗)、一度、行ければいい方。ほんとに、人生って、時間が足りない。100%自由時間なのに、なんってこった。ということで、11月の顔見世大歌舞伎もようやく、千穐楽の前日、幕見で”若き日の信長”と、そのあとの”曽我綉侠御所染”の二演目を観劇するにとどまった。
海老蔵の祖父に当たる十一世市川團十郎五十年祭と銘打たれ、故人にゆかりの深い演目が昼夜に配されているとのことで、”若き日の信長”も十一世の初演だそうである。それは昭和27年のことで、大佛次郎が十一世のために書き下ろしたものだそうだ。なるべく史実に沿って、若き日の信長の孤独と苦悩、そして、それを乗り越えていく姿を描いたもので、心理描写に主眼がおかれている。この役は、十二世團十郎、そして今回の海老蔵と受け継がれている。
”うつけもの”と云われていた時代の信長、先君信秀の三回忌の法要が行われているのに子供たちと戯れている。読経が聞こえてくると、子供たちが、拝みに行こうという。仏を拝むなら、どこでもできる、と信長は答え、体裁だけを重んじる家臣たちを馬鹿にする。ここには、隣りの太国、今川義元の間者がうろついている。旅僧姿の覚円(右之助)が信長と気付かず、近づくが、自分が間者と見破られていることを知り、信長の眼力に驚く。
二幕目は、信長のお目付け役、平手中務(左団次)の屋敷。たびたびの箴言にそっぽを向く信長に死をもって諌めるしかないと、遺書を書き、切腹する。知らせを聞き、駆け付ける信長。遺書を読みながら、互いの思いを理解できぬまま、死んでしまった中務への思いを切々と吐露する。そこへ、山口左馬之助父子が今川に寝返ったという情報が入る。
そして、大詰。今川義元の大軍が押し寄せ、今川方への寝返りが続出。軍議でも和議か、籠城かなかなかまとまらない。舞台は回り、大詰二場は能舞台につづいた書院。ひとり、鼓の調べを調整する信長。そこへ、藤吉郎(松緑)が現れ、酒の用意をする。酒を飲みながら、思案する信長。そこへ、人質としてきている弥生(孝太郎)が現れ、父の翻意を促すため、使者に出してくれという。しかし、すでに左馬之助は討ったという、信長。そして、藤吉郎を呼び、桶狭間への出陣を触れるよう、命じる。
そして、弥生に鼓を打たせ、”敦盛”の舞を舞い始めるのだった。駆け付ける平手三兄弟をはじめとする武将たちの目はきらきらと輝いていた。
とても、面白かった。こうゆうナイーブな海老蔵もなかなかいいもんだ。舞台美術は守屋多々志。
以下、筋書の舞台写真から。
海老蔵と孝太郎↓
松緑と左団次↓
右之助↓
ラストシーン↓
代々↓
十一世市川團十郎の、”若き日の信長”。
海老蔵の長男、堀越勸玄初お目見え(江戸花成田面影)。 夜の部、みられなくて残念でした。
今月の筋書表紙絵は、清水達三(院展同人)の”波おろし”
曽我綉侠御所染につきましては、またの機会に紹介いたしまする。