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気ままに

大船での気ままな生活日誌

東洋の白いやきもの 出光美術館

2012-08-12 11:13:12 | Weblog
今朝のボクシングミドル級、村田諒太選手の金メタル、よかったですね。昨晩の女子バレーの銅メタルにつづく快挙、ルンルン気分の朝を迎えました。さて、今日は、やっぱりルンルン気分にさせてくれた、出光美術館の展覧会をご紹介したいと思います。色白美人がずらりの”東洋の白いやきもの”展です。

これだけたくさんの”白磁”を、一度にみたのは初めてかもしれない。なかなか壮観であった。たとえていうと、衣装を脱ぎ捨て、全裸になった一流ダンサーがそれぞれ得意のポーズをきめて、ずらり並んでいるような(笑)。

全裸だから、みせるのは、身体そのもののうつくしさ。うるわしい形であったり、白肌と一口にいっても、いろいろな白の輝き、そして、よくみると、白肌にうっすらと浮かぶ模様。こんな裸の美女たちを眺めて歩いていると、いつのまにか時間がたってしまう。

これら白磁の出自は、商(殷)時代後期の”白陶”だといいうことを序章で教えてくれる。その出土品の断片も展示されている。長い、長い間、土の中にいたから、変色しているけれど、ところどころに、若い時は色白美人だったろうな、という面影をみることができる。

そして、唐時代に入ると、陶器のような肌触りの”白磁”が出現する。6世紀以降、唐時代まで、粘土に白土を塗った上に、透明な釉薬をかけて白い器が焼かれていたそうだ。これらには磁器原料の陶石を含まなかったり、焼成温度が低いことから、厳密な意味での”磁器”ではないが、白い素地に透明釉がかけられているということで、広義の”白磁”と呼んでいるとのこと。白いやきもののはじまりだ。夏の海岸でちょぴり日焼けしたビキニのお嬢さんといった感じ。10点ほどの壺や瓶が妍を競っていた。

第二章にはいると、”本格白磁の発展/磁器質の白磁”。そして、正真正銘の白磁が、河北省のけい窯や定窯(ていよう)で生産されるようになる。ここでは唐時代のけい窯、北宋時代の定窯の、本物の色白美人が並ぶ。後半のものは、牡丹、唐草、双魚等の文様がつきはじめる。

第三章では、ただの色白のものではなく、ちょっぴり青みがかった白磁も登場する。これは、純白の素地にかける透明釉に含まれる鉄分が焼成過程で、わずかな青色を生じさせることがあり、それを逆手にとり、”青白磁”として売り出したようだ。景徳鎮の特産品となった。これは、たくさん展示されている。なかなかいい、白に交わる青だ。

第四章では”皇帝の白磁”。モンゴル民族は、白に”純”のイメージがあり、最も尊ぶ。そういえば白鵬(笑)。元の皇帝は祭祀に用いる祭器は、この頃、青味の残らない白磁、甜白(てんぱく)を開発した、景徳鎮の製品を採用する。その頃のうつくしい白磁がずらり。さすが、御用器の品。

一方、第5章では庶民の白磁が登場する。素地の表面に白土を塗ることによって、安価で大量に焼造された白磁。庶民の白磁として人気だった。河北省、磁州窯系のもの。遼時代(契丹展、まだ記事にしていなかった)、北宋時代のものが中心。

中国の白磁は朝鮮、日本に輸入され、それをもとに、それぞれ独自の発展をとげる。第6章では朝鮮王朝の白磁。粉引徳利や高麗茶碗の一種、熊川茶碗( こもがいちゃわん)もふたつ。見事な進化。第7章では、日本の白いやきもの。美濃焼、京焼、柿右衛門へと進化。美濃焼、大名物、”白天目”(徳川美術館蔵)が、この展覧会のオオトリをとる。

仙がいさんにも、会えて、うれしかった。






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