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気ままに

大船での気ままな生活日誌

大船の邪馬台国

2008-12-18 10:20:58 | Weblog
今日もいい天気。そんな朝は富士山のみえる丘の上の公園散歩コースです。予想通り、ばっちり富士山がみえました。そして白い半月も。

弥生人も同じ景色をみてたんだな、とちょっと昔に、ここに住んでいた人々に思いを馳せました。この公園をつくるときに遺跡が発掘され、弥生後期(約1800年前)から中世にかけて、村が存在していたことが知られたのです。

その頃は、富士山の景観を邪魔している、マンション群もなかったし、丹沢の山々の一部を隠している工場もなかったし、すばらしい景観だったにちがいありません。そして、現在はみえない、丘の近くを流れる、いたち川も上流から下流まで見渡せたことでしょう。ちなみに縄文時代は大船地区は入り江が奥深く入り込んでいたそうで、たぶんこの周辺は海だったでしょうが、弥生時代に入ると、ほぼ現在に近い地形になったそうです。

弥生後期といえばあの、邪馬台国の時代。ここは、大船で一番の村だったでしょうから、ボクはここを”大船の邪馬台国”と名付けたのです(笑)。きっと、最近まであった大船松竹撮影所の華だった、原節子さん、そっくりの卑弥呼のような女王が村をしきっていたかもしれませんね。小津監督そっくりの長老の庇護のもとに(笑)。

笠間中央公園遺跡

土器

弥生時代からの道みたい(笑)

原節子似卑弥呼もみた白い半月

。。。

丘のふもとに庚申塔。これはちょっと前の、江戸時代のもの。万延元年のもありました。みざる、いわざる、きかざるの三猿が刻み込まれていました。

富士山がよく見える、真向いの丘の上の青木神社は、建武2年(1335年)に建立されたとのこと。


ボクの朝散歩道は歴史がいっぱいです。



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