今、朝日新聞の夕刊の一面で、「ニッポン人脈記;数学するヒトビト」が連載されています。いつも面白く読ませてもらっています。今日は、第9回目で、数学のノーベル賞と言われれる、フィールズ賞の受賞者3人の方が紹介されていました。その中の一人、広中平祐さんのお元気そうな笑顔の写真を拝見し、30年近く前の、5月のある日を懐かしく思い出しました。
私達夫婦は、その日、ニューヨークからボストンに入り、荷物をホテルに預け、米国の建国当時を思わせるような、落ち着いたヨーロッパ風の町並みを通り抜けて、緑がいっぱいで、公園のような、ハーバード大学のキャンパス内を散歩していました。
ワイフが、あれ広中先生じゃない、とすっとんきょうな声をあげます。先生は当時、ハーバード大学の教授で、すでにフィールズ賞をとっておられ、日本のテレビや新聞によく出ていましたので、我々のような、数学の素人でも十分、お顔は存じ上げていたのでした。
私はどちらかというと、シャイな方なので、めったなことではこういう行動をとらないのですが、近づいてきた先生に対し、「広中先生、写真を一緒に撮らしていただけますか」と言ってしまったのです(やはり当時からミーハーだったのですね)。
先生は「ああ、いいですよ」とにっこり笑って、私の横でポーズをとってくれました。ワイフがあわててカメラを取り出し、シャッターを押しました。そのあと、先生は、どこから来たの、と気さくに声をかけてくれました。今、西海岸の大学に1年間、職場から派遣されて来ています、ワイフが休みをとってきましたので、東海岸を旅行しているのです、と答えますと、あの少しかん高い声で、「そりゃいいね、楽しい旅行だね、僕の友人がその大学にいるよ、がんばってね」と言って立ち去りました。同じ理系のあこがれの人と会話(とも言えませんが)を交わし、一緒に写真まで撮れたことが、とても嬉しくて、しばらく呆然としていました。
今も、そのときのサービス判の写真が小さな額縁に入って、私の部屋の書棚の上に飾ってあります。先生は、新聞によると、現在75才だそうですから、その時は、まだ40代半ばでした。長めの黒髪を七三に右分けし、若々しいハンサムな笑顔が正面を向いています。両腕を腰にあて、自信満々といった感じがよく出ています。服装は、茶色のジャケットに、茶系の縞のネクタイで、ズボンはグレーです。今、気づいたのですが、私の現役時代の服装とそっくりです。茶系が好きでした。もしかしたら、このときの影響だったのかもしれませんね、やっぱりミーハー(汗)。
一方、私は、まだ30代前半。ノーネクタイで、白地にグレーの縞の半袖シャツに明るいグレーのズボン、手には黒い掛けカバンをさげています。このころはお腹が出ていませんね(先生も出ていません)。髪は先生と反対分けですが、体つきはそっくりです。当時の私は、170cm60キロぐらい(今の数値は言えません)。顔まで似ています、ハンサムということです。証拠写真はアップしませんので、どうにでも言えます(うふふ)。大先生の前で、ちょっと、照れている、まじめそうな顔が懐かしいです。当時は純真そのものだったのです。
改めて、この写真をみると、まるで、うぶな星の王子さまと、自信まんまんの数学の王さまが並んでいるようです。現在は、先生はじょうずにお年をとられているようですが、私の方は、お腹も出て、頭の中にまで脂肪がたまって、ろくでもない親父になってしまいました。時の流れを感じます。
私達夫婦は、その日、ニューヨークからボストンに入り、荷物をホテルに預け、米国の建国当時を思わせるような、落ち着いたヨーロッパ風の町並みを通り抜けて、緑がいっぱいで、公園のような、ハーバード大学のキャンパス内を散歩していました。
ワイフが、あれ広中先生じゃない、とすっとんきょうな声をあげます。先生は当時、ハーバード大学の教授で、すでにフィールズ賞をとっておられ、日本のテレビや新聞によく出ていましたので、我々のような、数学の素人でも十分、お顔は存じ上げていたのでした。
私はどちらかというと、シャイな方なので、めったなことではこういう行動をとらないのですが、近づいてきた先生に対し、「広中先生、写真を一緒に撮らしていただけますか」と言ってしまったのです(やはり当時からミーハーだったのですね)。
先生は「ああ、いいですよ」とにっこり笑って、私の横でポーズをとってくれました。ワイフがあわててカメラを取り出し、シャッターを押しました。そのあと、先生は、どこから来たの、と気さくに声をかけてくれました。今、西海岸の大学に1年間、職場から派遣されて来ています、ワイフが休みをとってきましたので、東海岸を旅行しているのです、と答えますと、あの少しかん高い声で、「そりゃいいね、楽しい旅行だね、僕の友人がその大学にいるよ、がんばってね」と言って立ち去りました。同じ理系のあこがれの人と会話(とも言えませんが)を交わし、一緒に写真まで撮れたことが、とても嬉しくて、しばらく呆然としていました。
今も、そのときのサービス判の写真が小さな額縁に入って、私の部屋の書棚の上に飾ってあります。先生は、新聞によると、現在75才だそうですから、その時は、まだ40代半ばでした。長めの黒髪を七三に右分けし、若々しいハンサムな笑顔が正面を向いています。両腕を腰にあて、自信満々といった感じがよく出ています。服装は、茶色のジャケットに、茶系の縞のネクタイで、ズボンはグレーです。今、気づいたのですが、私の現役時代の服装とそっくりです。茶系が好きでした。もしかしたら、このときの影響だったのかもしれませんね、やっぱりミーハー(汗)。
一方、私は、まだ30代前半。ノーネクタイで、白地にグレーの縞の半袖シャツに明るいグレーのズボン、手には黒い掛けカバンをさげています。このころはお腹が出ていませんね(先生も出ていません)。髪は先生と反対分けですが、体つきはそっくりです。当時の私は、170cm60キロぐらい(今の数値は言えません)。顔まで似ています、ハンサムということです。証拠写真はアップしませんので、どうにでも言えます(うふふ)。大先生の前で、ちょっと、照れている、まじめそうな顔が懐かしいです。当時は純真そのものだったのです。
改めて、この写真をみると、まるで、うぶな星の王子さまと、自信まんまんの数学の王さまが並んでいるようです。現在は、先生はじょうずにお年をとられているようですが、私の方は、お腹も出て、頭の中にまで脂肪がたまって、ろくでもない親父になってしまいました。時の流れを感じます。