先日、おもしろいことに気づきました
今から10年以上も前になりますが、夫はインドネシアのジャカルタに3年間駐在しました。その後も、5年ほど前に1年。いずれも単身赴任での駐在でしたが、私も子ども達も、夫のジャカルタ駐在中は、何度も何度もインドネシアを訪れました
みなさんもご存知かもしれませんが、発展途上国、それもイスラム教国家での駐在では、「バクシシ」という考え方があり、富める者は、貧しいものにほどこしをするのは当たり前、という考え方があります 当然、日本の駐在員達は駐在中、家庭でメイドや運転手などを雇い、「自分で何もかもする」というような節約をせず、富める者としての役割を果たすのです
夫は一人暮らしではありましたが、やはり、住み込みのお手伝いさんと、運転手がいました
年に数回、私が夫のところを訪れると、私は完璧に家事から解放されます それこそ、夫の下着にまでアイロンがきれにかけられて戻ってきますので、私はピシリと畳まれたものを、クローゼットに片づけるだけ。
しかし この生活には、ある意味、落とし穴があったのです
それは何か?と言えば・・・我が家のメイド(インドネシアでは、メイドさんのことをプンバントゥ、と呼びます。シティというのが、我が家の有能で、非常にクレバーなプンバントゥでした)さんは、私がジャカルタの家にいる間は、「私」に従って、家事をしてくれる、のです
夫しかいない時には、彼女のご主人様は「夫」ですから、洗濯の仕方も、家事の仕方も、そうじの仕方も、夫が文句を言わない限り、または夫が「○○は~~~のようにしてね!」とお願いしない限り、彼女は、日本人に仕えるプンバントゥとして、彼女なりに考えて行動してくれていました
しかし、妻の私が行くと、彼女は当然のこととして、その家の「奥様」の家事の方法を忠実に守ろうとしてくれるのです
特に食事に関しては、献立も、その献立のための野菜の切り方、炒め方、煮方、調味料の量、入れるタイミングまで、私に尋ねてくれます
おわかりになりましたか?
そうです 私は、私や子ども達の滞在中、自分達が気持ちよく過ごすために、プンバントゥのシティに、私流に動いてもらうためには「私が指示をださなければならない」ということです。
何語で指示を出すのって??インドネシア語ですよ、インドネシア語
・・・ということで。
私は、夫の駐在中、暇さえあれば、インドネシア語の勉強をしました 現地で暮らしていれば、常に耳から言葉は入ってきますし、毎日使いながら勉強していくので、学習も捗るのですが、なにせ、日本で独学をしているわけです 正直、大変でした・・・
私は、外国語の学習が大好きで、勉強すると、すぐに使いたくなる人です また、たぶん、比較的、音楽的に耳が良いのだと思うのですが、外国語学習をしていていると、それが何語であっても、案外、正確な発音ができます。(通じれば良い、と思うのではなく、同じ話すなら、発音も正確にしたい、と考えているからかもしれませんが)
とは言え、日本でテキストを前に一人でぶつぶつと言っていても、応えてくれる相手はいないですし・・・英語とは違って、そうそう、インドネシア語が話せるって人も日本には少ないですから。
しかし、そんな困難なインドネシア語学習でしたが、ラッキーだったのは、インドネシア語が「アルファベット」を使って書き表す言語だった、ということです
インドネシアという国は、赤道上にある、1万7千以上もの島から成り立つ、東西5000キロにも及ぶ国家です。ですから、ひとくちにインドネシア人と言っても、それはそれは多くの民族が暮らし、使われるローカルな言語ももともとは非常にたくさんあるわけです。
そんなインドネシアが、第二次世界大戦後、日本の統治から独立を果たし、統一した国家となった時、「基本的に話す標準語」として、マレー語をベースとした「インドネシア語」が生まれました
要するに、国家の共通語として、わかりやすい言葉が制定され、その言語を書き表す文字はアルファベットとなりました。
つい最近、友人がご主人の転勤についてカンボジアのプノンペンに行かれました。少し生活の落ち着いた彼女から来たメールには・・・
「言語であるクメール語の『音』には慣れそうだけれど、その文字は、ほとんど模様のようです」とありました。
そう、文字、言語を「アルファベットで表記する」ことが、いかに日本人である私達にとって、馴染みの深い、理解しやすいものであるか、・・・
それをまさに実証するように・・・
最近、テレビのクイズ番組で人気の「おバカキャラ」と呼ばれるような人達も、たとえば「telephone」を読めと言われた時、「テ・レ・プ・ホー・ネ」などと間違って読んだとしても、少なくとも、全く「読めない」ということはないわけです
しかし、そこに書かれた文字が、それこそクメール語だったらどうでしょう?それとも、韓国語を表記するための「ハングル」だったら?「アラビア文字」だったら?きっと読めないでしょうね
それほど、アルファベットというものは、私達にとって身近で、チンプンカンプンではない文字なんですね
そうそう、話を元にもどします。
そんな駐在の経験もあって、私達夫婦は、時々、無性にインドネシア料理が食べたくなります インドネシア、などと言うと、なかなか馴染みのない国だ、と思われがちですが、みなさんに馴染みのあるリゾート「バリ島」はインドネシアですから、そう言えば、「なーんだ!」と思っていただけるのであないでしょうか
そして、この間の日曜日も、夫が、六本木1丁目にインドネシア料理のレストランを見つけたらから、行ってみよう!ということになりました
大きな商業ビルの一画にあるそのお店は、従業員のほぼ全部がインドネシア人のようでした。
注文を聞きにきてくれるチャーミングな女性も、厨房でお鍋をふっているコックさんも、みな、インドネシア人。私の頭の中では、思わず・・・
「オラン ブックルジャ ディ スィニ、スムア オラン ダリ インドネスィア?(ここで働いている人は、みな、インドネシアから来た人ですか?)」という文章が浮かびました。
夫に、その文章を話すと爆笑し、「はっはっは!まだまだ十分、インドネシア語は覚えているんだねえ。びっくりしたよ」と言われました。
私達はメニューを開き、日本語の下に記載されたインドネシア語のほうを、思わず見て、読んでいました。
その時、私はあらためて思ったのでした。
「大人になってから覚える言葉は、耳からだけではなく、ある程度は「目(文字)」でも覚えるのだなあ・・・そんなふうに、耳と目と、両方で確認しながら覚えるから、しっかりと覚え、長い間記憶しているのだろうな・・・」と
それが良い証拠に。お恥ずかしながら、高校2年生の春に、友好訪韓団のメンバーとして、韓国を訪問して以来、私はずっと、死ぬまでに韓国語を学び、観光目的だけではなく、相手の母国語で、腹を割って話してみたい!そういう夢があります。
一時はそれを実現させるべく、個人レッスンで韓国語を勉強しましたが、どんなに意欲はあっても空回りし、十分に復習ができないと、過老のせいも手伝ってか、なかなか身に付いていかない、覚えられないのです
なぜなら、英語やインドネシア語と違い、テキストを見て、即座に読もうとしても、実際にはハングルはスラスラとは読めるほどまでなっていなくて、一字一字を、ぼつ・ぼつ・ぼつ・・・としか読めず・・・「telephone」のようにはいかないのです
では、私達が母国語を覚える時はどうでしょう?
そう、私達は、文字が読めない幼い時期から、「耳で聞いて」言葉を覚えていきます。頼りは、「耳」だけなんですね
でも、柔らかい頭は、どんどんと聞いた言葉を認識し、口に出してリピートし、そのうちに自分のボキャブラリーにしていく・・・これを、無意識の間に、子ども達は毎日、毎日、繰り返しているのです
そのことをあらためて、久しぶりに「インドネシア語」を見ることによって、思い出しました
そんな、「耳だけを頼りにして、母国語である言葉を覚えている子ども達」の絶対の先生は、子どもの最も身近なところで、自分が「先生」であるともあまり意識せず、ペラペラと話している親なんですねえ・・・
正しい発音で、正しい言葉を、子ども達が身につけていくかどうかは、毎日、ペラペラと話している親次第、です
成人した娘の話し方が、「だんだんとママに似てきたわね」と、最近、友人に言われました。
きゃー 20歳を過ぎて、母親との時間が極端に少なくなった今も、娘はやはり、私の話す言葉を聞いているのですね・・・
母親の話す言葉の大切さ。私も肝に銘じます
今から10年以上も前になりますが、夫はインドネシアのジャカルタに3年間駐在しました。その後も、5年ほど前に1年。いずれも単身赴任での駐在でしたが、私も子ども達も、夫のジャカルタ駐在中は、何度も何度もインドネシアを訪れました
みなさんもご存知かもしれませんが、発展途上国、それもイスラム教国家での駐在では、「バクシシ」という考え方があり、富める者は、貧しいものにほどこしをするのは当たり前、という考え方があります 当然、日本の駐在員達は駐在中、家庭でメイドや運転手などを雇い、「自分で何もかもする」というような節約をせず、富める者としての役割を果たすのです
夫は一人暮らしではありましたが、やはり、住み込みのお手伝いさんと、運転手がいました
年に数回、私が夫のところを訪れると、私は完璧に家事から解放されます それこそ、夫の下着にまでアイロンがきれにかけられて戻ってきますので、私はピシリと畳まれたものを、クローゼットに片づけるだけ。
しかし この生活には、ある意味、落とし穴があったのです
それは何か?と言えば・・・我が家のメイド(インドネシアでは、メイドさんのことをプンバントゥ、と呼びます。シティというのが、我が家の有能で、非常にクレバーなプンバントゥでした)さんは、私がジャカルタの家にいる間は、「私」に従って、家事をしてくれる、のです
夫しかいない時には、彼女のご主人様は「夫」ですから、洗濯の仕方も、家事の仕方も、そうじの仕方も、夫が文句を言わない限り、または夫が「○○は~~~のようにしてね!」とお願いしない限り、彼女は、日本人に仕えるプンバントゥとして、彼女なりに考えて行動してくれていました
しかし、妻の私が行くと、彼女は当然のこととして、その家の「奥様」の家事の方法を忠実に守ろうとしてくれるのです
特に食事に関しては、献立も、その献立のための野菜の切り方、炒め方、煮方、調味料の量、入れるタイミングまで、私に尋ねてくれます
おわかりになりましたか?
そうです 私は、私や子ども達の滞在中、自分達が気持ちよく過ごすために、プンバントゥのシティに、私流に動いてもらうためには「私が指示をださなければならない」ということです。
何語で指示を出すのって??インドネシア語ですよ、インドネシア語
・・・ということで。
私は、夫の駐在中、暇さえあれば、インドネシア語の勉強をしました 現地で暮らしていれば、常に耳から言葉は入ってきますし、毎日使いながら勉強していくので、学習も捗るのですが、なにせ、日本で独学をしているわけです 正直、大変でした・・・
私は、外国語の学習が大好きで、勉強すると、すぐに使いたくなる人です また、たぶん、比較的、音楽的に耳が良いのだと思うのですが、外国語学習をしていていると、それが何語であっても、案外、正確な発音ができます。(通じれば良い、と思うのではなく、同じ話すなら、発音も正確にしたい、と考えているからかもしれませんが)
とは言え、日本でテキストを前に一人でぶつぶつと言っていても、応えてくれる相手はいないですし・・・英語とは違って、そうそう、インドネシア語が話せるって人も日本には少ないですから。
しかし、そんな困難なインドネシア語学習でしたが、ラッキーだったのは、インドネシア語が「アルファベット」を使って書き表す言語だった、ということです
インドネシアという国は、赤道上にある、1万7千以上もの島から成り立つ、東西5000キロにも及ぶ国家です。ですから、ひとくちにインドネシア人と言っても、それはそれは多くの民族が暮らし、使われるローカルな言語ももともとは非常にたくさんあるわけです。
そんなインドネシアが、第二次世界大戦後、日本の統治から独立を果たし、統一した国家となった時、「基本的に話す標準語」として、マレー語をベースとした「インドネシア語」が生まれました
要するに、国家の共通語として、わかりやすい言葉が制定され、その言語を書き表す文字はアルファベットとなりました。
つい最近、友人がご主人の転勤についてカンボジアのプノンペンに行かれました。少し生活の落ち着いた彼女から来たメールには・・・
「言語であるクメール語の『音』には慣れそうだけれど、その文字は、ほとんど模様のようです」とありました。
そう、文字、言語を「アルファベットで表記する」ことが、いかに日本人である私達にとって、馴染みの深い、理解しやすいものであるか、・・・
それをまさに実証するように・・・
最近、テレビのクイズ番組で人気の「おバカキャラ」と呼ばれるような人達も、たとえば「telephone」を読めと言われた時、「テ・レ・プ・ホー・ネ」などと間違って読んだとしても、少なくとも、全く「読めない」ということはないわけです
しかし、そこに書かれた文字が、それこそクメール語だったらどうでしょう?それとも、韓国語を表記するための「ハングル」だったら?「アラビア文字」だったら?きっと読めないでしょうね
それほど、アルファベットというものは、私達にとって身近で、チンプンカンプンではない文字なんですね
そうそう、話を元にもどします。
そんな駐在の経験もあって、私達夫婦は、時々、無性にインドネシア料理が食べたくなります インドネシア、などと言うと、なかなか馴染みのない国だ、と思われがちですが、みなさんに馴染みのあるリゾート「バリ島」はインドネシアですから、そう言えば、「なーんだ!」と思っていただけるのであないでしょうか
そして、この間の日曜日も、夫が、六本木1丁目にインドネシア料理のレストランを見つけたらから、行ってみよう!ということになりました
大きな商業ビルの一画にあるそのお店は、従業員のほぼ全部がインドネシア人のようでした。
注文を聞きにきてくれるチャーミングな女性も、厨房でお鍋をふっているコックさんも、みな、インドネシア人。私の頭の中では、思わず・・・
「オラン ブックルジャ ディ スィニ、スムア オラン ダリ インドネスィア?(ここで働いている人は、みな、インドネシアから来た人ですか?)」という文章が浮かびました。
夫に、その文章を話すと爆笑し、「はっはっは!まだまだ十分、インドネシア語は覚えているんだねえ。びっくりしたよ」と言われました。
私達はメニューを開き、日本語の下に記載されたインドネシア語のほうを、思わず見て、読んでいました。
その時、私はあらためて思ったのでした。
「大人になってから覚える言葉は、耳からだけではなく、ある程度は「目(文字)」でも覚えるのだなあ・・・そんなふうに、耳と目と、両方で確認しながら覚えるから、しっかりと覚え、長い間記憶しているのだろうな・・・」と
それが良い証拠に。お恥ずかしながら、高校2年生の春に、友好訪韓団のメンバーとして、韓国を訪問して以来、私はずっと、死ぬまでに韓国語を学び、観光目的だけではなく、相手の母国語で、腹を割って話してみたい!そういう夢があります。
一時はそれを実現させるべく、個人レッスンで韓国語を勉強しましたが、どんなに意欲はあっても空回りし、十分に復習ができないと、過老のせいも手伝ってか、なかなか身に付いていかない、覚えられないのです
なぜなら、英語やインドネシア語と違い、テキストを見て、即座に読もうとしても、実際にはハングルはスラスラとは読めるほどまでなっていなくて、一字一字を、ぼつ・ぼつ・ぼつ・・・としか読めず・・・「telephone」のようにはいかないのです
では、私達が母国語を覚える時はどうでしょう?
そう、私達は、文字が読めない幼い時期から、「耳で聞いて」言葉を覚えていきます。頼りは、「耳」だけなんですね
でも、柔らかい頭は、どんどんと聞いた言葉を認識し、口に出してリピートし、そのうちに自分のボキャブラリーにしていく・・・これを、無意識の間に、子ども達は毎日、毎日、繰り返しているのです
そのことをあらためて、久しぶりに「インドネシア語」を見ることによって、思い出しました
そんな、「耳だけを頼りにして、母国語である言葉を覚えている子ども達」の絶対の先生は、子どもの最も身近なところで、自分が「先生」であるともあまり意識せず、ペラペラと話している親なんですねえ・・・
正しい発音で、正しい言葉を、子ども達が身につけていくかどうかは、毎日、ペラペラと話している親次第、です
成人した娘の話し方が、「だんだんとママに似てきたわね」と、最近、友人に言われました。
きゃー 20歳を過ぎて、母親との時間が極端に少なくなった今も、娘はやはり、私の話す言葉を聞いているのですね・・・
母親の話す言葉の大切さ。私も肝に銘じます