まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

お母さんは鑑、です!

2008年06月16日 | にこにこ
 私の父の誕生日は6月10日。世の中には浸透していませんが「時の記念日」生まれです。昔から時計好きで、いろいろと腕時計のコレクションがあったり(じつは、私も腕時計が大好き。これは父譲りなのでしょうねえ)、とても時間に厳しかったり・・・そんな父のことをいつも、母と私は「なんてったって、時の記念日生まれの人だからねえ。」と話したものです
 そんな父のお誕生日のお祝いをすべく、私は土曜日の夜、大阪の実家に来ました。
 昨日の日曜日は「父の日」です。本来は「お誕生日」と「父の日」を別にすべきでしょうが、結婚後は、ついつい一緒にしてしまいます

 土曜日、夕食後の時間に実家に着いた私に、母は・・・
 「とっておきの水ナスがあるんだけど、おいしいお茶と一緒にどう?」と満面の笑顔 きっと、これだー!!という水ナスの糠漬けを見つけたのでしょう
 着替えてダイニングに戻った私の目の前に、じゃじゃーんと現れたのは、ツヤツヤ紫の水ナス
 小さな塗りのお盆の上、赤絵の小鉢に盛られた「お漬物」は、それ以上の価値を与えられているようでした

 私は、大阪府堺市の出身です。
豊臣秀吉の時代に栄えた自由都市で、町のあちこちには千利休やフランシスコザビエル等、堺にゆかりの名所旧跡がたくさんある土地柄です
 そして、堺は「泉州」の中心地。最近ではすっかりグルメの中では有名になった「泉州の水ナス」は、すでに私の幼い頃から「夏の味覚」でしたし、お漬物だけではなく、和風のサラダなどにしてもよく食べました
 
 水分の多い水ナスは、すりこぎでとんとんと叩くと、簡単に手で裂けるようになり、母はそこに刻んだミョウガ(これも夏のもの、ですね)や大葉を入れ、さっとお醤油をかけて浅漬け風サラダにして「夏を感じる一品」を作っていました
 
 一夜明けた朝食の時間。またまた登場した一品
私がお膳立てをしていると、耳元で・・・
 「あのね、あなたが来るから、おととい、新ショウガをつけたのよ」と、またまた満面の笑顔
 熱々のご飯と一緒に登場したのが「新ショウガの甘酢漬け」。鎌倉彫の小さなお盆の上には、切子のガラス器に入った新ショウガ。
 いやー、これもまさにこの時期の「旬」なんですよねえ
 ショウガ好きの私は、子どもの頃から「紅ショウガの薄切りの天ぷら(これは、大阪でしか目にしませんねえ、とても残念です。おいしいですよ!)」と並び、この甘酢漬けが大好きでした

 私のブログによく登場する母ですが、実際にはあまり目立たない、控えめで「天然」の老人です
 長年、暴君(!?)だった父の後ろに控え、自分の意見や判断を求めてもらえない理不尽な生活に甘んじるしかない、という気の毒な人でした まあ、昭和一桁生まれの女性には、そういう境遇の人は多かったものです。
 しかし、そういう状況のもと、会社創業時から父の右腕として経理の仕事をし、社員からは秘かに父以上に信頼が厚く、今でも週に4日は現役で出社しています
 その一方で、家庭にあっては「優しく、有能な母」だったと思います。
 私は、幼い頃からたった一度も母から怒鳴られた記憶はなく、また、面と向かって何かを教えられた、ということもありません。
 ひたすら、私は母の日ごろの何気ない言葉や、当たり前の行動を見て、「女性のいろは」を学んだ、という気がしています

 その母は、頻繁に「私のお母さんはね・・・」と語りました。要するに、私の「母方の祖母」ですね。
 残念ながら奈良に住んでいた祖母とは、私は頻繁に会う機会はなく(長男の嫁、だった私の母は、父方の祖母や、父の兄弟姉妹と同居していましたので、思えばそれほど実家に行くことは許されなかったようです)、たくさんの思い出というものはありません
 けれど、和歌山の商人の娘として生まれたという母方の祖母は、楚々とした女性で、とても上品な人だっだ、ということはよく覚えています 晩年は不遇で、母は未だにそれを憂いています

 母は、その「自分の母親」から、たくさんのことを学んだ、と言います。
 「おばあちゃんはね、○○を作るのが上手だったのよ。」
 「お祭りのとき、おばあちゃんがたくさん作る△△はね・・・」とか。
 母が思い出話しとして語る祖母像は、やっぱり「母の鑑、妻の鑑」でした

 今の私は、諸々の雑用をするため、父の車椅子生活で、出かけにくくなった両親の外食をサポートするために、月に一度、必ず帰省をしているわけですが、毎回、母からは多種多様のことを学びます。年をとって、同じことを何度も言うようになったり、少々反応が鈍かったり?昔のまま、ではありませんが、それでも、母を見ているだけで「ほほー・・・うんうん・・・」と思うことは多いものです

 すでに、私がさりげなく書いていることの中でお気づきになった方もおいでになるでしょうか・・・
 今回の帰省で、あらためて私の目を惹いたのは、頻繁に登場する「お盆」でした。
 お台所からダイニングテーブルまで食事を運ぶときはもとより、父のヘルパーさんにおしぼりを出すときも、仏壇のお水を替えるときも、その時々にマッチした「お盆」が使われます
 当然、私の独身時代もそうでしたし、母が慌ててお盆を使わずに何かを出すときには「手盆でごめんなさいね」というフレーズをよみ耳にしました。
 けれど・・・今の私がお盆を使う機会は、きっと、母の半分くらいしかありません

 食事の後、母が父の世話をしている間に、私はキッチンの後片付けをしました。そのとき、食器を片付けてあるキャビネットの反対側の、比較的小さなスペースに、いろいろな大きさ、いろいろな種類の「お盆」が並べられてありました
 今までの帰省では、不覚にも気づきませんでした。母は、ここから、その時々に応じた大きさ、材質、デザインのお盆を選び、使っていたのですね・・・

 私はあらためて母を眺めながら・・・
きっと母は、自分の母親である祖母の後姿を見ながら成長したのでしょうね。そして、娘の私は、その母を見て、大人になりました
 ああ・・・私の娘も、今は学生生活を謳歌していますが、やっぱり、折に触れ、私を見ているのでしょう。

 季節を感じる献立然り、随所で使われていたお盆然り・・・私は、まだまだ母には全くかないません
 30年後、私の娘は私を見て、どんなことを思うのでしょう

コメント
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