まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

戦争を伝える

2007年08月12日 | う゛う゛ー
 8月6日、8月9日・・・と、毎年、8月に入るとテレビでは「過ぎし日の戦争」の番組、ニュースが多くなります。
 戦後60年。確かに、何もしないでほおっておくと、日本という国が経験した「戦争」は、風化の一途を辿ることは必然でしょう。
 
 私が生まれた昭和33年は、まだまだ戦後色が色濃く残っていた、と思います。それが、一気に「過去」として語られるように?感じられるように?なったのは、昭和39年の東京オリンピック以降だったのではないか?私は、そんな気がしています。

 先日、ある卒業生のお母様から、こんなメールを頂戴しました 私がブログの中で、沖縄で主人がケガをした、と書いたすぐ後のことです。たまたま、時期を同じくして、夏休みの家族旅行で、沖縄にいらしていた、ということでした。

 「先生がブログに書かれていた通り、沖縄の方は本当に笑顔が素敵で、素朴な方が多いですね。
悲惨な歴史を乗り越えてきている強さと、それを許す寛大な心を持った方たち、だからではないでしょうか。私はそんなふうに思いました。
私自身、沖縄は日本ではなく、独自の文化を持った人々だと感じました。それもとても崇高なものを・・・
娘は海の美しさに驚いていました。そして、その美しさが故に、いっぺんに沖縄のとりこのなってしまったようでしたが、その一方で、沖縄の中にあるアメリカ軍の基地の多さにも驚いていました。
「ねえママ、沖縄ってアメリカなの?」という疑問を持ったようです。
何とか、2年生の娘に上手く説明をしようと思いますが、まだあまりに難しいことを教えても、なかなか理解してもらえないかもしれません。
けれど、それでも敢えて、私は、沖縄の歴史、沖縄の文化、そして沖縄の地が経験した戦争の悲惨さを、この夏休みに親子で考えていきたい!心からそう思った旅行でした。」

 私は、このメールを頂戴し、とても感動したのでした。
お嬢さんの鋭い感性にも、そして、それをキャッチし、何とか素直に親の心でさまざまなことを語ろうとなさっているお母様にも・・・

 確かに、戦争の話しをするのは、なかなかむずかしいことです。
実際に戦争を経験した人間が、「自分の体験、自分のこと」としていろんなことを語られると、それを聞く側もストレートに言葉を聞き、受け止められます
 しかし、戦争を知らない人間が、戦争のことを語ろうとすると、妙に教訓めいてしまったり、悲惨さばかりを強調してしまったり、事実を伝えようとするがあまりに、詳しすぎたり・・・
 そして、最後に「だから戦争って怖いものよね。戦争はダメ。争いごとはダメ。幼稚園でも、ケンカはダメよ!」みたいに、急に飛躍して、薄っぺらな話しになってしまったり・・・

 昨年の同じような時期に、私はやはり戦争に関連したブログを二つ書いています。(ブログ1ブログ2) 
 未だに私の息子は、「ぼくは今でも『火垂るの墓』は苦手なんだよ・・・あの映画のいろんな場面を思い出すたびに、悲しくて、情けなくて・・・胸が詰まる・・・」と言います。
息子があの映画を観たのは、もう10数年前の小学生の頃だったと思うのですが、「火垂るの墓」は、そんな彼の中に強烈な印象をもって「戦争」をインプットした作品?時間?なのでしょう。

 毎年、この時期になると息子のそんな言葉を聞き・・・私は、戦争を風化させないためには、多くの様々な戦争に関する知識を与えるのではなく、この、自ら何かを敏感に感じる「感性」こそが、何よりも意味を持っているのではないか?と思えてなりません。
 ですから、親や大人が、教育的見地から、太平洋戦争のことを教え、語った後で、さっと話しを現代に転じ、9.11以降の世界の動きにスポットを当て、「だから戦争はいけない!」という結びに持っていったとたん、子どもにとって戦争は、急に「自分からは遠く離れた世界で起こっている『いけないこと』」として、立派な額縁に入った絵のように、確かにそこにあるけれど、あまり興味の持てない遠いもの、となってしまうのではないか、と思うのです。

 戦争は歴史です。戦争は事実です。
評論ではなく、その人がその戦争という事実を知って、何かを自分の五感で感じる・・・それこそが「戦争を知り、ひいては平和の本当の意味」を知る上で大切なこと、なのではないかと思います。

 那覇空港に着陸し、滑走路からターミナルの方向に機体が進んでいくと、機体の右側の窓からは次々に陸上自衛隊、海上自衛隊の格納庫が見えてきます。日中であれば、実際に戦闘機がたくさん停まっていて、時には自衛官が操縦席に座って何か作業をしている時もあります。
 那覇から名護に向かう高速バスに乗っていると、米軍の住宅の真横を通ります。延々と続く日本離れした住宅地・・・巨大な嘉手納基地の側なのです。
今では、貴重な沖縄の名所?としてたくさんの人が訪れる「ひめゆりの塔」をはじめとする、沖縄本島南部の太平洋戦争の戦跡があります。
 山原(やんばる)と呼ばれる沖縄本島北部にある海洋博記念公園。美ら海水族館があることで有名なその公園の入り口の真ん前、真っ青な海に浮かぶ美しい島「伊江島」は、沖縄本島に進軍してくるアメリカ軍が、まずは壊滅的打撃を与えた島です。

 多くの幸せそうな家族連れ、半裸に近い格好で那覇空港を闊歩する若いお嬢さん達・・・
 しかし、沖縄は、青い海、青い空の美しい南の島であると同時に、本当は今でも「多くの顔」を持った島であり、語り尽くせない悲惨な戦争体験を乗り越えてきた島なのですね・・・

 予期せぬことでしたが、私はの時期に、頻繁に沖縄を訪れ、非常に身近に沖縄の人々と触れるという機会に恵まれました
 年配のタクシーの運転手さんから聞く何気ない話しの中にも、本土に暮らしている人々とは全く違う経験、沖縄だからこその問題が多く含まれています。

 本来、旅行とは「楽しむべきもの」であり、お勉強?学習?の場であってはいけない!ましてや、まだまだ幼い子どもには、刺激の強いものは御法度で、戦争なんて自然に知るようになってからで十分・・・というお考えの方も多いことと思います。

 しかし、私は、5歳には5歳の、10歳には10歳の感性というものがあり、幼いからこその鋭い感性で、「悲惨なこと、ショッキングな事実」を知り、そして考える時間となる、と常に考えています
 
 そろそろ終戦記念日がやってきます。
今はすっかり大人になった我が家の子ども達は、太平洋戦争終結後50年の日を、主人の赴任先、インドネシアのジャカルタで迎えました。
 インドネシアにとっての8月15日は、統治していた日本の敗戦の日であり、2日後の8月17日には、スカルノ大統領がインドネシア国の独立宣言をします。
 終戦後50年は、インドネシアにとっては、独立50周年を意味し、盛大な式典が数多く催されました。小学生だった子ども達は、真剣にテレビでの式典の模様を見つめていたことを、今でもよく覚えています。

 よく「人の痛みのわかる子どもに育って欲しい」と多くのお父様、お母様がおっしゃいます。
 人の痛みを理解するためには、まずは、人の痛みの事実を知らなければ始まりません
 痛みを理解するということは、痛みを知る感性をもつこと・・・ということではないでしょうか?
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