とかく年をとると、いろいろと不安になるようで・・・
私の母は、4月の引越し以来、「ここに来てからは、まどかちゃんが毎月帰ってきてくれて、いろいろとしてくれるから、とっても安心やわー」と、私が帰省をするたびに満面の笑顔で言います。何と言っても、お口上手で愛想良し、という大阪人、です(お口が悪く、愛想良し、にもすぐに変身しますが)。
またまた上手いことを言って、私を良い気分にさせているよなと思いきや、両親の様子を見ていると、どうもそういうリップサービスではないようです
あちらの部屋のコントローラーがおかしい・・・お手洗いのあそこのランプがなぜかチカチカと点滅をしている・・・エアコンが変な音をたてている・・・etc. 私が玄関を入るやいなや、機関銃のように話し出します
先月はどうしても時間がとれず、1回帰省をスキップした私。今月は行けないのよ、と連絡をしたときには、「それはそうよね では、来月、よろしくね」などと調子良く応えてくれたのですが、そっちの言葉のほうがお決まりのリップサービスのようで、本当はかなり落胆していたらしい
新大阪からタクシーに乗れば、ほんの5分というところに引っ越した両親。
私の帰省の手段も、すっかり飛行機から新幹線にシフトしました
以前は、乗り物の中での拘束時間が短いから、という理由で、断然飛行機利用(じつは、行きは一番右、帰りは一番左の席をリクエストし、晴天の場合には、大好きな富士山を上空からじっくりと眺め、感動する・・・という隠れ理由もありましたが)と言っていた私ですが、乗ってみると、新幹線もなかなか一興です
地理好きの私です。あらためて車窓からの景色をじっくりと見ていると、まさに地図をたどっているようであり、また、小学校高学年の社会の授業で覚えた特産物が思い出されます 静岡のお茶畑などは圧巻ですし、そろそろ琵琶湖か、と思われるころに見えてくる青々と広がる田んぼを見ると、確かに近江米の産地であることもうなずけます
そんなことを思いながら、本などは読まず、熱心に景色を見ているのは、新しい楽しみになりました
そういう時間の中で、私にはどうしても気になる場所があります。そこは「関が原」です
大変お恥ずかしいのですが、10年ほど前までの私は、常識的な日本史上の登場人物、たとえば・・・聖徳太子や源義経、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康くらいはわかり、彼らがどのあたりの時代に生きた人か?はわかりましたが、大きな出来事、その年号、主要な人物・・・などとなると、とんとわからない 高校受験や大学受験の勉強もせず、一貫校の中で好きな勉強だけをしていた私の弱みでした
幸い、本好きだった主人の血を受け継ぎ、活字中毒?!だった息子は、小学校の高学年では司馬遼太郎の大ファンになり、むさぼるように読み漁っていました
そんな息子をちょっぴりうれしく眺めていた私。中学受験では、幸い、社会科の先生が彼の面接官にあたりました
「君は歴史が好きということだけれど・・・さて、歴史上の人物で、君は誰が一番好きなのかな?」と尋ねられ、息子は少し考えた後「はい、やっぱり、僕は島左近が一番好きです」と答えました。後ろで聞いていた私は、にこやかに微笑みながらも「げげげ、シマサコン???・・・お母さんは、島左近がお好きですか?なんて聞かれたら、もう、おしまいだな」と、冷や汗がでました。
あのとき以来、私は息子の司馬遼太郎の本を1冊ずつ借りて読み始め・・・私の歴史の教科書は、司馬遼太郎の小説になりました(今でも彼の小説が取り上げていない人は、まだ知らない人のままです)
1600年。この年号も良かったですよね 数字にとにかく弱い私でも、さすがに忘れることのない、簡単な年号。そう、「関が原」は、私にとって、もっとも興味ある歴史上での出来事になりました 何度も読み返しましたねえ・・・
そうです、その関が原の古戦場のそばを、新幹線は走ります。冬には雪が多く、新幹線はよく徐行運転をするするところ、です
ああ、あのあたりが南宮山?笹尾山というのは、あれかな?・・・そんなことを考えているうちに、私には、まるで黒澤明監督の大スペクタクル映画のように(実際に、彼はそんな作品は撮っていませんが)見えるはずのない合戦の様子が、しっかりと頭の中で広がります
そんなことを息子に話すと、中高時代は地歴部で、関ヶ原を何度か訪れた息子が笑って言うのです
「お母さん、そんなふうに、自分で勝手にロマンの世界を広げちゃだめだよ あそこには、なーんにもないんだよ 史跡としても、見学をするだけの価値があるかどうか・・・全部、想像する以外に何もないんだから。そんなに好きなら、何度も本を読み返して、自分で好きに想像するほうがいいと思うなあ・・・ 行くとしても、なかなか電車の便は不便で、時間のかかる遠いところなんだからね」と。
でもねえ・・・やっぱり、近いうちに行ってみたいなあ、と思っています
みなさんも一度、いろんな場所を、ちょっと目先の違った目で見てみませんか?案外、自分の身近なところに、すごい歴史が隠れていることもあるものですよ だって、今、あなたがいる場所は、太古の昔から、「確かにそこにあった」のですから もしそこが埋立地であったとしても、そこは海か川、湿地・・・として、やっぱりそこに「あった」のですもの
そして、そこでは、やっぱり「人の暮らし」があったのです。すごい!って思いませんか?
4,5年前、私は一時、東京の都心のタウンウォーキングに凝ったことがありました ガイドブックを片手に、どんどん歩いていると、あちこちに史跡を示す看板があったり、歴史上のさまざまなドラマを説明してくれています 坂の多い東京では、坂の名前にも由来があり、それもまた興味深いものでした。
毎日、当たり前に過ごすのではなく、ちょっと違った視点で、いろんな場所を見てみるのは楽しいものです
「視点をかえる」それは、どんな場合でも、新しいことが見える、とっても素敵なチャンスですね
私の母は、4月の引越し以来、「ここに来てからは、まどかちゃんが毎月帰ってきてくれて、いろいろとしてくれるから、とっても安心やわー」と、私が帰省をするたびに満面の笑顔で言います。何と言っても、お口上手で愛想良し、という大阪人、です(お口が悪く、愛想良し、にもすぐに変身しますが)。
またまた上手いことを言って、私を良い気分にさせているよなと思いきや、両親の様子を見ていると、どうもそういうリップサービスではないようです
あちらの部屋のコントローラーがおかしい・・・お手洗いのあそこのランプがなぜかチカチカと点滅をしている・・・エアコンが変な音をたてている・・・etc. 私が玄関を入るやいなや、機関銃のように話し出します
先月はどうしても時間がとれず、1回帰省をスキップした私。今月は行けないのよ、と連絡をしたときには、「それはそうよね では、来月、よろしくね」などと調子良く応えてくれたのですが、そっちの言葉のほうがお決まりのリップサービスのようで、本当はかなり落胆していたらしい
新大阪からタクシーに乗れば、ほんの5分というところに引っ越した両親。
私の帰省の手段も、すっかり飛行機から新幹線にシフトしました
以前は、乗り物の中での拘束時間が短いから、という理由で、断然飛行機利用(じつは、行きは一番右、帰りは一番左の席をリクエストし、晴天の場合には、大好きな富士山を上空からじっくりと眺め、感動する・・・という隠れ理由もありましたが)と言っていた私ですが、乗ってみると、新幹線もなかなか一興です
地理好きの私です。あらためて車窓からの景色をじっくりと見ていると、まさに地図をたどっているようであり、また、小学校高学年の社会の授業で覚えた特産物が思い出されます 静岡のお茶畑などは圧巻ですし、そろそろ琵琶湖か、と思われるころに見えてくる青々と広がる田んぼを見ると、確かに近江米の産地であることもうなずけます
そんなことを思いながら、本などは読まず、熱心に景色を見ているのは、新しい楽しみになりました
そういう時間の中で、私にはどうしても気になる場所があります。そこは「関が原」です
大変お恥ずかしいのですが、10年ほど前までの私は、常識的な日本史上の登場人物、たとえば・・・聖徳太子や源義経、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康くらいはわかり、彼らがどのあたりの時代に生きた人か?はわかりましたが、大きな出来事、その年号、主要な人物・・・などとなると、とんとわからない 高校受験や大学受験の勉強もせず、一貫校の中で好きな勉強だけをしていた私の弱みでした
幸い、本好きだった主人の血を受け継ぎ、活字中毒?!だった息子は、小学校の高学年では司馬遼太郎の大ファンになり、むさぼるように読み漁っていました
そんな息子をちょっぴりうれしく眺めていた私。中学受験では、幸い、社会科の先生が彼の面接官にあたりました
「君は歴史が好きということだけれど・・・さて、歴史上の人物で、君は誰が一番好きなのかな?」と尋ねられ、息子は少し考えた後「はい、やっぱり、僕は島左近が一番好きです」と答えました。後ろで聞いていた私は、にこやかに微笑みながらも「げげげ、シマサコン???・・・お母さんは、島左近がお好きですか?なんて聞かれたら、もう、おしまいだな」と、冷や汗がでました。
あのとき以来、私は息子の司馬遼太郎の本を1冊ずつ借りて読み始め・・・私の歴史の教科書は、司馬遼太郎の小説になりました(今でも彼の小説が取り上げていない人は、まだ知らない人のままです)
1600年。この年号も良かったですよね 数字にとにかく弱い私でも、さすがに忘れることのない、簡単な年号。そう、「関が原」は、私にとって、もっとも興味ある歴史上での出来事になりました 何度も読み返しましたねえ・・・
そうです、その関が原の古戦場のそばを、新幹線は走ります。冬には雪が多く、新幹線はよく徐行運転をするするところ、です
ああ、あのあたりが南宮山?笹尾山というのは、あれかな?・・・そんなことを考えているうちに、私には、まるで黒澤明監督の大スペクタクル映画のように(実際に、彼はそんな作品は撮っていませんが)見えるはずのない合戦の様子が、しっかりと頭の中で広がります
そんなことを息子に話すと、中高時代は地歴部で、関ヶ原を何度か訪れた息子が笑って言うのです
「お母さん、そんなふうに、自分で勝手にロマンの世界を広げちゃだめだよ あそこには、なーんにもないんだよ 史跡としても、見学をするだけの価値があるかどうか・・・全部、想像する以外に何もないんだから。そんなに好きなら、何度も本を読み返して、自分で好きに想像するほうがいいと思うなあ・・・ 行くとしても、なかなか電車の便は不便で、時間のかかる遠いところなんだからね」と。
でもねえ・・・やっぱり、近いうちに行ってみたいなあ、と思っています
みなさんも一度、いろんな場所を、ちょっと目先の違った目で見てみませんか?案外、自分の身近なところに、すごい歴史が隠れていることもあるものですよ だって、今、あなたがいる場所は、太古の昔から、「確かにそこにあった」のですから もしそこが埋立地であったとしても、そこは海か川、湿地・・・として、やっぱりそこに「あった」のですもの
そして、そこでは、やっぱり「人の暮らし」があったのです。すごい!って思いませんか?
4,5年前、私は一時、東京の都心のタウンウォーキングに凝ったことがありました ガイドブックを片手に、どんどん歩いていると、あちこちに史跡を示す看板があったり、歴史上のさまざまなドラマを説明してくれています 坂の多い東京では、坂の名前にも由来があり、それもまた興味深いものでした。
毎日、当たり前に過ごすのではなく、ちょっと違った視点で、いろんな場所を見てみるのは楽しいものです
「視点をかえる」それは、どんな場合でも、新しいことが見える、とっても素敵なチャンスですね