昨日、クラスで子供達と話しをしている時のことです
カードを見せて「この道具は、どんな時に使うものでしょう?」という質問に答えてもらう、というカリキュラムでした。
たとえば・・・「やかん」のカードを見せて、まずは「これは何?」とたずねると、「これは、やかんです!」と答えてくれます もちろん、名称がわからなければ、その道具の名前も教えます。
年齢の低い子供達に、同じ問題を出してみると、名称がはっきりと言える子供と、かなり子供の生活に身近なものでも「名前は、・・・わかんない」という子供とに分かれます
やはり、親が意識して「教える」という姿勢ではなくても、家庭生活の中の会話で、子供を相手に多くを語り、たくさんのことを話してあげているかどうか?が、ここではっきりとした差になって出てきます・・・
子供は、教えられる、ということに対しては無反応でも、興味を持たせて、聞かせる、というリードからは、たくさんのものを「自然に」覚えていくものなのですね
まあ、そういうお話は、また別の機会にして・・・
私が昨日、5,6歳児に見せたカードは、「水着」のカードでした
当然、「水着」と答えてくれます。
「じゃあ、これはどんな時に着るものなの?」とたずねると・・・
「プールで着るもの!」
「泳ぐ時に着るもの!」
「幼稚園の水遊びの時に着まーす!」
「海水浴に行ったら着ます!」
というような答えが次々に飛び出します。もちろん、正確に答えるとすれば、これは「水の中で遊んだり、泳いだりする時に着るもの」ということですね
私は子供達が答えた後で、「そうね、プールや海や湖、川など、水の中で遊ぶ時、泳ぐ時に着るものね。普通のお洋服のままでは泳がないし、裸では恥ずかしいし、体が冷えてしまうものね。水の中で裸は、いろんなものが体に触れて、危険かもしれないしね!」などと、いろいろなことを付け足しながら説明をしました
すると、熱心にその話しを聞いていた子供達が、みな、口々に言うのです。
「ねえ、先生!川って、あの川?川なんかで泳ぐの?ええええーーーーーっ」
そうなんですねえ
「川で泳ぐ」は、どうしても子供達のイメージには浮かばないようでした
私は、昭和33年、大阪で生まれました。かろうじて私の記憶の中に、母の郷里であった奈良県の五條市というところの榮山寺(えいさんじ 国宝である八角堂が有名)の前の川で泳いだこと、同じく、奈良県の十津川村に出かけた時、きれいな浅瀬で泳いだことなどがあります。
しかし、確かに、私の子供達にも、たぶん川で泳いだ、という記憶はない・・・かもしれません
長年、石炭の仕事に携わっていた主人が、マレーシアやインドネシアのジャングルに、何日もかけて鉱脈探査などに出かけた時、シャワーもお風呂もない中、頻繁に川で水浴びをしていた写真を見て、幼かった子供達は「一度でいいから、パパみたいに、川でシャンプーしてみたーい」などと妙にヒットしていたことはよく覚えているのですが・・・
「ウサギ追いし、かの山、小鮒釣りし、かの川・・・」私達でも理解できなかったこの歌詞が、これから大きくなっていく子供達にわかるわけはありませんよね。(私は小学校低学年の頃、この歌を歌いながら、ウサギをおんぶして、カノ山という名前の山に行くのだ、と大真面目に思っていました)
さすがに、今の子供達にも非常にポピュラーな昔話「ももたろう」。この話しのあらすじが話せても、詳しく内容について質問をしてみると、とっても楽しい答えが戻ってきたりします
「おじいさんは 山へ柴かりに、おばあさんは 川へ洗濯に・・・」
おじいさんは、お山の上にまた別のおうちがあって、そこには芝生の大きなお庭があると思っていた子供。
おばあさんのお家の洗濯機が故障し、お家にはお風呂に誰かが入っていて洗濯できなかったから、おばあさんは仕方がないから川に洗濯に行った・・・(その子は、お家で実際に、洗濯機が故障し、お母さんが非常に困ってお風呂で洗濯をしていた、と話していました)とか
子供との会話・・・いかようにも広がっていって、とっても楽しいものです そんな中で、私の子供の頃の話しをしたり、私が知りうる限りの世界の話しをしたり、子供達はいつでも、大変興味を示し、話しを聞いてくれます。
是非、試してみてみださい 子供との会話が楽しめて、なおかつ子供の興味と世界が広がる・・・一石二鳥の豊かな時間になりますよ
カードを見せて「この道具は、どんな時に使うものでしょう?」という質問に答えてもらう、というカリキュラムでした。
たとえば・・・「やかん」のカードを見せて、まずは「これは何?」とたずねると、「これは、やかんです!」と答えてくれます もちろん、名称がわからなければ、その道具の名前も教えます。
年齢の低い子供達に、同じ問題を出してみると、名称がはっきりと言える子供と、かなり子供の生活に身近なものでも「名前は、・・・わかんない」という子供とに分かれます
やはり、親が意識して「教える」という姿勢ではなくても、家庭生活の中の会話で、子供を相手に多くを語り、たくさんのことを話してあげているかどうか?が、ここではっきりとした差になって出てきます・・・
子供は、教えられる、ということに対しては無反応でも、興味を持たせて、聞かせる、というリードからは、たくさんのものを「自然に」覚えていくものなのですね
まあ、そういうお話は、また別の機会にして・・・
私が昨日、5,6歳児に見せたカードは、「水着」のカードでした
当然、「水着」と答えてくれます。
「じゃあ、これはどんな時に着るものなの?」とたずねると・・・
「プールで着るもの!」
「泳ぐ時に着るもの!」
「幼稚園の水遊びの時に着まーす!」
「海水浴に行ったら着ます!」
というような答えが次々に飛び出します。もちろん、正確に答えるとすれば、これは「水の中で遊んだり、泳いだりする時に着るもの」ということですね
私は子供達が答えた後で、「そうね、プールや海や湖、川など、水の中で遊ぶ時、泳ぐ時に着るものね。普通のお洋服のままでは泳がないし、裸では恥ずかしいし、体が冷えてしまうものね。水の中で裸は、いろんなものが体に触れて、危険かもしれないしね!」などと、いろいろなことを付け足しながら説明をしました
すると、熱心にその話しを聞いていた子供達が、みな、口々に言うのです。
「ねえ、先生!川って、あの川?川なんかで泳ぐの?ええええーーーーーっ」
そうなんですねえ
「川で泳ぐ」は、どうしても子供達のイメージには浮かばないようでした
私は、昭和33年、大阪で生まれました。かろうじて私の記憶の中に、母の郷里であった奈良県の五條市というところの榮山寺(えいさんじ 国宝である八角堂が有名)の前の川で泳いだこと、同じく、奈良県の十津川村に出かけた時、きれいな浅瀬で泳いだことなどがあります。
しかし、確かに、私の子供達にも、たぶん川で泳いだ、という記憶はない・・・かもしれません
長年、石炭の仕事に携わっていた主人が、マレーシアやインドネシアのジャングルに、何日もかけて鉱脈探査などに出かけた時、シャワーもお風呂もない中、頻繁に川で水浴びをしていた写真を見て、幼かった子供達は「一度でいいから、パパみたいに、川でシャンプーしてみたーい」などと妙にヒットしていたことはよく覚えているのですが・・・
「ウサギ追いし、かの山、小鮒釣りし、かの川・・・」私達でも理解できなかったこの歌詞が、これから大きくなっていく子供達にわかるわけはありませんよね。(私は小学校低学年の頃、この歌を歌いながら、ウサギをおんぶして、カノ山という名前の山に行くのだ、と大真面目に思っていました)
さすがに、今の子供達にも非常にポピュラーな昔話「ももたろう」。この話しのあらすじが話せても、詳しく内容について質問をしてみると、とっても楽しい答えが戻ってきたりします
「おじいさんは 山へ柴かりに、おばあさんは 川へ洗濯に・・・」
おじいさんは、お山の上にまた別のおうちがあって、そこには芝生の大きなお庭があると思っていた子供。
おばあさんのお家の洗濯機が故障し、お家にはお風呂に誰かが入っていて洗濯できなかったから、おばあさんは仕方がないから川に洗濯に行った・・・(その子は、お家で実際に、洗濯機が故障し、お母さんが非常に困ってお風呂で洗濯をしていた、と話していました)とか
子供との会話・・・いかようにも広がっていって、とっても楽しいものです そんな中で、私の子供の頃の話しをしたり、私が知りうる限りの世界の話しをしたり、子供達はいつでも、大変興味を示し、話しを聞いてくれます。
是非、試してみてみださい 子供との会話が楽しめて、なおかつ子供の興味と世界が広がる・・・一石二鳥の豊かな時間になりますよ