4年ぶりの宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」は、すでに話題になっています
先日、NHKの朝のニュースで、宮崎監督がインタビューの中でこんなことを語っておられました。
「微妙な『ゆらぎ』が、生命観を与える
」
今回の作品では、今までのようなCGという機械的な技術を使わず、ひたすら、スタッフ総動員で、背景の細かい部分の一つ一つまで、手描きによって仕上げたのだそうです。CGによっては表現しきれないものがある
そういう強い思いがあり、「微妙なゆらぎまで手で再現することによって、よりリアルな、いきいきとした生命観を与えたかったから・・・」
なるほど・・・・私は、この監督の言葉に、いたく感銘を受けました
私は、特に宮崎駿ファンというわけではありませんが、となりのトトロや魔女の宅急便など、代表作品はほとんど見ていますし、好きですねえ

そして、多くの評論家が語る、それぞれの作品のビッグポイントばかりではなく、特筆されることのないさまざまなシーンやセリフから、私はたくさんのことを感じたり、学んだりしていたと思います
このブログの少し前の回に、私は「雨の音」について触れましたね
また、この「ママ達のおやつ」のサブタイトルにも・・・

「身のまわりの出来事、ほんの少し心を込めて見てみれば、新しい何かが見えてきます。心豊かであれば、平凡な毎日もステキです!」
と書きました。
そうなんです
そうなんですよ
宮崎監督が話された「微妙な揺らぎ」は、もちろん、画像のことをおっしゃったのですね。たとえば、何てことのない海の中のシーン・・・主人公のポニョの背景でしかない小さな海藻や、細かいごみのようにも見えてしまう水の中を漂う微生物、海底の岩のまわりの水の動き・・・こういうものを、より手描きで正確に描くことが、そのシーンに生命観を与えると考えた、という意味です

実際、海の中のワンシーンが映像として紹介されましたが、本当に、何もかもが、片時も止まってはいないのです・・・上手く言えませんが、監督のそこのお言葉を聞いた上で、あらためてそういうワンシーンを見てみると、本当に、すべてのものが愛おしく思えます
私が解釈をする「微妙なゆらぎ」とは・・・自分の生活を取り巻く自然、人、もの、そんなものすべての「動き、揺らぎ」です。
私が電車の中で、つり革につかまって立って外を眺めている時も、車窓からは信号待ちをする車、その中で疲労の色を見せながら首を回す人、先を急ぐバイク便、ベビーカーを押して歩く女性・・・さまざまなものが見え、動いています
車両内でも、楽しそうに甲高い声で話す女子高生達、メールをしている大学生、右に左に身体を揺らして居眠りをするサラリーマン・・・強い陽射しを受けて真っ青に茂る木々、咲き始めたひまわり・・・
私は、常に日頃の生活の中で、自分の身のまわりのものすべての「揺らぎ」を感じ、時にはそれらから驚きを、時には潤いを、時にはゆとりを、時には安らぎを感じて暮らしているのですねえ・・・そのことを、宮崎監督の言葉から、あらためて実感しました

そして私は、家事だ、仕事だ、と時間に追われながらも、一生懸命に子育てをしているお母様方にこそ、こういう「微妙な身のまわりの揺らぎ」を肌で感じ、貴重な癒しの時間としていただき、これを肥やしとして、母の豊かさに一層の磨きをかけてもらいたい、と願っています
「ママ、あの雲、ソフトクリームみたい!おいしそうだねえ・・・
」
そんなことを言う子はだんだん減ってきました。それに・・・
「ほんとねえ。でも、あんなにおっきいソフトクリームを食べちゃったら、お腹こわしちゃうかもねえ・・・きゃー
」
なんて。一緒に楽しい会話をしてくれるお母様も減ったような気がしています
「雲はね、本当は小さな水のつぶつぶなのよ。だから、雲の上に乗りたいなんてことは、絶対にできないよ
」などと言ってしまったら?それが真実であれ、こんな無機質な、無味乾燥な会話はあまりに悲しいです

「生き生きとした感覚」「みずみずしい感覚」を持ち、わが子と関わっていってほしい・・・屈託なく笑う子ども達の表情を思い浮かべながら、そう強く強く思っている自分を、あらためて感じました

先日、NHKの朝のニュースで、宮崎監督がインタビューの中でこんなことを語っておられました。
「微妙な『ゆらぎ』が、生命観を与える


今回の作品では、今までのようなCGという機械的な技術を使わず、ひたすら、スタッフ総動員で、背景の細かい部分の一つ一つまで、手描きによって仕上げたのだそうです。CGによっては表現しきれないものがある

なるほど・・・・私は、この監督の言葉に、いたく感銘を受けました

私は、特に宮崎駿ファンというわけではありませんが、となりのトトロや魔女の宅急便など、代表作品はほとんど見ていますし、好きですねえ


そして、多くの評論家が語る、それぞれの作品のビッグポイントばかりではなく、特筆されることのないさまざまなシーンやセリフから、私はたくさんのことを感じたり、学んだりしていたと思います

このブログの少し前の回に、私は「雨の音」について触れましたね





そうなんです


宮崎監督が話された「微妙な揺らぎ」は、もちろん、画像のことをおっしゃったのですね。たとえば、何てことのない海の中のシーン・・・主人公のポニョの背景でしかない小さな海藻や、細かいごみのようにも見えてしまう水の中を漂う微生物、海底の岩のまわりの水の動き・・・こういうものを、より手描きで正確に描くことが、そのシーンに生命観を与えると考えた、という意味です


実際、海の中のワンシーンが映像として紹介されましたが、本当に、何もかもが、片時も止まってはいないのです・・・上手く言えませんが、監督のそこのお言葉を聞いた上で、あらためてそういうワンシーンを見てみると、本当に、すべてのものが愛おしく思えます

私が解釈をする「微妙なゆらぎ」とは・・・自分の生活を取り巻く自然、人、もの、そんなものすべての「動き、揺らぎ」です。
私が電車の中で、つり革につかまって立って外を眺めている時も、車窓からは信号待ちをする車、その中で疲労の色を見せながら首を回す人、先を急ぐバイク便、ベビーカーを押して歩く女性・・・さまざまなものが見え、動いています

車両内でも、楽しそうに甲高い声で話す女子高生達、メールをしている大学生、右に左に身体を揺らして居眠りをするサラリーマン・・・強い陽射しを受けて真っ青に茂る木々、咲き始めたひまわり・・・
私は、常に日頃の生活の中で、自分の身のまわりのものすべての「揺らぎ」を感じ、時にはそれらから驚きを、時には潤いを、時にはゆとりを、時には安らぎを感じて暮らしているのですねえ・・・そのことを、宮崎監督の言葉から、あらためて実感しました


そして私は、家事だ、仕事だ、と時間に追われながらも、一生懸命に子育てをしているお母様方にこそ、こういう「微妙な身のまわりの揺らぎ」を肌で感じ、貴重な癒しの時間としていただき、これを肥やしとして、母の豊かさに一層の磨きをかけてもらいたい、と願っています



そんなことを言う子はだんだん減ってきました。それに・・・



なんて。一緒に楽しい会話をしてくれるお母様も減ったような気がしています





「生き生きとした感覚」「みずみずしい感覚」を持ち、わが子と関わっていってほしい・・・屈託なく笑う子ども達の表情を思い浮かべながら、そう強く強く思っている自分を、あらためて感じました
