まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

オバサンの定義と八百万の神様

2008年04月30日 | う゛う゛ー
 チューブ状の容器に入った洗顔フォーム。
私は、そのペタンコになったチューブのねじ状のふたをはずし、チューブの中に手を突っ込んで、側面にへばりついたクリームをこそげて・・・今朝も顔を洗いました
 こんなふうにチューブと格闘し、洗顔を始めて、すでに1週間になるでしょうか・・・ 朝と夜寝る前の洗顔で1週間、と計算しても、何と、私は「捨てられる状態」になったチューブを救出し、14回も顔を洗ったことになります
 お風呂の中でも一緒です。
ポンプ式のボトルから、押しても出なくなったシャンプーやコンディショナーのふたを開け、中にお湯を少量入れて、シェイク。そして、じゃーっと手に出して残った最後の一滴まで使い着る・・・それは、私の役目?習慣です

 我が家では、家族全員が、違う銘柄のシャンプーやコンディショナーを使っています。そして、それぞれをチェックし、無くなる前に私が買いそろえておくわけです
 ただ、娘だけは、毎回、欲しい銘柄がかわります。そこで、私は毎回、娘に尋ねるわけです。
 「ねえ、次は何ていうシャンプーとコンディショナーがいいの?」すると、娘は・・・
 「じゃあねえ・・・ママ、今度は○○がいいな
と答える・・・そして、シャンプーかコンディショナー、どちらかが無くなった時点で、新しい銘柄に替えて浴室に置いておきます。
 娘は、1、2の3!で、シャンプーとコンディショナー、同時に新銘柄、という状態で使い始めます

 古いほうの片一方が無くなるまで使うのは私です
もちろん、娘もそのようにして私が最後まで使い切っていることを知っていますから、「ママ、ごめんね!」と声はかけています。
 教育的見地からいけば、使い切るのは私ではなく、「娘」であるべきですが、幼い頃から、物事の道理、物を大切にする心など、イやというほど伝え続けた結果、子ども達もそれを認識して暮らしていることを十分にわかっている私は、子ども達が成人した今は、「家庭は彼らにとっての平安の場所、母港である」という思いから、かなりの自由(好き勝手)を容認しているのです

 ただ、今回はあまりに洗顔フォームが(じつは、この洗顔フォームも娘のもの、なのですが)、いつまでも、いつまでも、チュープの側面にこびりついたクリームが使えるので、すっかり考えさせられてしました・・・

 確かに、娘は、チューブがぺったんこになるまで絞り出し、最後まできれいに使いきりました ですから、私は買い置きの新しいものを出しておきました。 娘は新しいチューブを使い始め、私はいつものように、古いチューブを捨てるはずだった・・・
 ところが 何となく、その日に限って、チューブを手に取り、ねじ状のふたそのものを外してみたのでした
 すると、そこには、想像もしていなかった量の、チューブを押してしぼり出すだけではキャップの外には出られなかったクリームが残っていたのでした。
 私は、あらまあと思い、それを使い始めた・・・

 以前、何かのアンケート結果を見たことがあります。
「あなたは、どんな人が『オバサン』だと思いますか?どういう行為が、『オバサン』を定義づける行為だと思いますか?」そんな質問だったと思います。
 その答えは・・・

  食品やおやつの袋、残った場合には、口をクルクルと巻いて、洗濯ばさみで止める人。
  シャンプーやコンディショナーのふたを開け、そこにお湯を入れて、最後の一滴まで使う人。
  チューブ状のものを、ふたを全部外したり、途中でチューブを切ったりして、最後までこそげて使う人。etc. etc.

 私はその結果を読んだ時、手を叩いて爆笑し、「確かに!確かに!」などと言った覚えがあります

 私は1月で50歳になりました 正真正銘の「オバサン」です ただ、常に前向きの私は、加齢に関してほとんど悪いイメージがありません。
 それは、一昨日より昨日、昨日より今日の私がステキになっている・・・という考え方、感覚があるからでしょうね
 ですから、老眼が進んでメガネなしでは小さな文字が読めなくなった時にも、「ああ、老眼鏡をかけないといけないなんて、ショックだわ・・・」と思うのではなく・・・
「今まで視力の良かった私には無縁だったメガネだけど、これからは、いろんなフレームを見つけて、老眼鏡を新しいオシャレのアイテムにしよ~っと」と思いましたし、「50歳」になった時も、「40歳代にしがみついてるみたいな49歳より、ぱきっと50歳になって、何か清々しいじゃな~い」と心底思いました

 でもね、そんな私が一番イヤなのは、「オバサン臭くなること」です
加齢によってオバサン、おばあさんになるのは当たり前ですが、「オバサン臭い」「年寄り臭い」というのは別の話、という気がしています。

 そして・・今回の洗顔フォームやコンディショナーのお話し、です
 私の行為は、まさに「典型的なオバサン」行為ですよね。私がふたをはずしたチューブの奥の奥に手を突っ込み、時にはのぞき、クリームをこそげ取っている・・・むー、確かに「オバサン」でしょうねえ

 でも・・・
私のお教室で、きれいな色の折り紙を、無造作に出し、ばらまいて、平気で置いて帰ってしまう子どもや、大きなスケッチブックに、グルグルグルっと殴り描きをしただけで、次のページに描き始めてしまう・・・というような子どもを見ていると、私はやっぱりものすごく悲しくなります
 そして、そういう子どものご家庭では、どんな言葉かけをし、自分の身のまわりの物を、大切にすることを教えているのか?と首をかしげてしまうのです

 そのもの一つができあがるまで、そのものひとつがその子の手に渡るまで、いったいどれほどの時間と、どれほどの人の手を借りてできあがってきたのか?そういうことを、親自身が考えたことがあるのだろうか?
 私達は、ほぼ100%のものを、お金を払って手に入れています。ですから、どんなものでも、生産者に触れることはないために、ついつい、物に対する思いが希薄になるのは当然でしょう。十分にそのことはわかります
 しかし それでも、なお、です

 「ものを大切にする」ということを、子どもに教えるのは「躾(しつけ)」の領域ではなく、親が、自分の身のまわりの物に対して、どれだけ深く意識を持っているか?どれだけ心を注いでいるか?ということだと思えてなりません

 ランチビュッフェで、食べきれないほどの食べ物をお皿に盛り、たーくさん残して平気で帰っていく家族・・・飽食の時代と言われる日本にいると、今この瞬間も飢えて死んでいく子ども達がいることなど、実際には想像できないでしょう どんなにNHKがそのことを訴える番組を制作し、世の中に訴えても、見なければ意味はありませんし、見たところで、その時限りのショックで忘れていってしまう・・・
 えんぴつ1本が手に入らず、ノートもなく、学びたいという意欲がありながら、学べない子ども達がいる、という世界の現実の中で、きれいな折り紙をくしゃくしゃに丸めて捨ててしまう子どもがいる・・・それを、うちの子は、後片づけが苦手です、などと、苦笑して済ませてしまえる親がいる・・・

 私は、日本古来の考え方、八百万の神(やおよろずのかみ)という考え方が大好きです ステキだと思われませんか?私達の身のまわりの物、すべてのものに魂が宿っている・・・私は本当だと思いますよ
 自慢するわけではありませんが、すっかり大人になった我が子達が、新しい靴を下ろし、古い靴を捨てる時に、そっと古い靴に手を合わせている姿を見るたびに、「三つ子の魂、百まで」を実感します

 さて・・・私は、やっぱり今夜も、明日の朝も、チューブのふたをあけて、最後の最後まで、洗顔クリームを使いきることにします


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